アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳72


第9章 感受性(4)

全回答者の過半数が、自分たちは両親と良好な関係を持っていたと述べた。ムーニーは親と「非常に親密」よりも「友好的」だったという傾向がやや高かった。そして対照群よりも多くのムーニーが、(特に父親について)関係は「良かったが、距離があった」と述べた。統一教会と出会う直前の期間に両親の関係が悪かったと述べたのは、10人中1人以下であった(ただし彼らの約半数は、1ヶ月以上にわたって両親と会っていなかったけれども)。かなりの割合のムーニーが、自分たちは両親のお気に入りの子供であると信じていた。

英国のムーニーが育ってきた信仰を最初に見たとき、私はローマ・カトリックとして育てられた者たちに偏っている(21%、英国の人口全体では12%)のはなぜか、そしてさらに高い割合(35%)の修練会参加者がカトリックの背景をもっているのはなぜか、について戸惑った。さらに興味深かったのは、修練会参加者における非国教徒の割合は人口全体と同じ程度(12%)だったが、英国のムーニーはその2倍の割合(25%)が非国教徒の背景(最も多いのが長老派とメソジストだった)を持っていたことである。しかしさらなる分析により、私はまたしても誤った仮定に基づいて自分自身に質問をしていることが明らかになった。すなわち、異なる信仰の間の何らかの本質的な違いによってではなく、以下のような事実によって説明がなされるようなのである。第一に、修練会参加者がカトリックの国、とくにアイルランドの出身者(あるいは両親がその国の出身)に偏っていたということであり、またそのうちの何人かは「旅行者」(フランスなどの国々からの学生やオペア・ガール)であった。こうした人々は、私が既に指摘したように、運動に実際に参加するというよりも、週末に誰かと会ったり、「何かをして」過ごしたりすることに関心があったようである。第二に、さらに重要なのは、最終的に会員になるかどうかを予測するより重要な判断材料は、関わっている信仰の「種類」ではなく、宗教的な「関与」にあるらしいのである。(英国では、キリスト教の伝統の中にある限りにおいてはそうである)(注11)。英国の成人人口の3分の2以上が英国国教徒であると自称するであろうが、実際に英国国教会の会員になっているのは20人に1人に過ぎない(注12)。「英国国教会」はかなり曖昧な呼称になっており、宗教的な信条というよりもむしろ文化的な意味合いを持つようになっている。そしてムーニーは他の一般国民に比べてより宗教的であるといえる家庭で育てられている傾向があるのである(注13)。
対照群は意図的に宗教的な背景を持つ方向に偏っている人々を選んできたため(注14)、このテーマについては限られた数の比較を提供することしか期待できなかった。結果的には、2つのグループ(ムーニーと対照群)の回答者たちは、両親の生活における宗教の重要性の評価において、かなり類似した分布を示すことが判明した。しかしながら、この類似性にもかかわらず、ムーニーが対照群よりも組織的な宗教にはるかに多く触れてきたことは明らかであると思われる。そして実際に、ムーニーは非入会者や離教者よりもはるかに多く触れてきている。それでも後者の2つのグループは、他の人口一般に比較すればかなり多く触れてきていた(注15)。

最も顕著な相違は、教会の礼拝出席率にあった。これはムーニーの幼児期において特に高かった(注16)。青年期に移行するにしたがって、ムーニーと対照群の相違はそれほど顕著でなくなるが、生涯の全期間において、非入会者そしてとりわけ離教者が礼拝に頻繁に出席する割合は、入会者よりもはるかに低かった。対照群と離教者はクリスマスやイースターなどの特別な機会に、年に数回教会に行く傾向がより強かったものの、全てのグループは、一般人口よりも二分極化していた(つまり、頻繁に礼拝に行くかまったく行かないかのどちらかであった)。言い換えれば、ムーニーから表れたパターンは、教会に行くことは幼児期においては特に重要であったが、その後は教会と中途半端な関係に陥ることはなかったようで、定期的に礼拝を守るか、組織的な宗教との関係を完全に絶ってしまうかのどちらかに決定したようである。もう一つの発見は、両親が異なる教派に属している――例えば片方がカトリックで、他方はメソジストであったというような――ムーニーの割合が予想外に高かった(43%)ことである。このことが示唆しているのは、両親にとって宗教が重要であったという事実と考え合わせると、ムーニーは諸問題に対する宗教的回答を探す準備があった人々であるが、そのような回答を必ずしも一つの特定の信仰にのみ求めることを学んだわけではないということである。

(注11)いまはイスラム版の「原理講論」(『原理概論:イスラムの視点』ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1980年)が存在しているという事実にも関わらず、イスラム教徒たちにとってその教えをコーランと一致させるのは困難であると思われる。1979年にロンドン地区で約60人のイスラム教徒が2日間の修練会に参加を開始したが、少なくともその3分の1が2日間の終了以前に去っている。より少ない人数の仏教徒やヒンズー教徒も参加したが、彼らは修練会に留まった(そして入教したケースも2~3件ある)。彼らの評価は、「統一原理」が正しいとか間違っているかというよりも、「受け入れることができる」多くのものの一つに過ぎないという見解を示す傾向があった。英国では、ユダヤ人が修練会に参加することは極めて希なことであり、実質的に入教する者はいない。これは米国の状況とは極めて対照的である。米国ではユダヤ人の割合は一般よりも多いのである。スパージンは「統一教会会員の横顔」の3ページで、フルタイム・メンバーの5.3%がユダヤ人の背景を持っていると述べている。ギャラップの「アメリカの宗教」(1981年)は、8ページと11ページで、ユダヤ人は米国の総人口の2%を構成していると指摘している。

(注12)P・ブリアリー(編)「英国キリスト教ハンドブック」ロンドン、福音派連合、聖書協会、およびマーク、1982年、p.14

(注13)「統一教会に入教した人々は一般の人々よりも宗教的な信仰を顕著にもっていた。また会員は非常に宗教的な家庭の出身であった。統一教会の会員は一般的に、教会に入教する以前から宗教的な人々だった。その多くは独立した宗教性を持っており、伝統的な宗教や既成の教会には不満を抱いていた」スパージン「統一教会会員の横顔」p.2
(注14)私は「アンケートの配布者」の中に、例えばカトリックの神父、長老派の牧師、メソジストの青年労働者を含めた。それは対照群にアンケートを配布するようになる頃には、私はかなりの割合のムーニーが宗教的な背景を持っていることを知っており、その相違が私の知らなかったその他の相違の発見に影響を及ぼさないようにしたかったからである。
(注15)ムーニーの約4分の1は特定教派が設立した学校に通っていた。
(注16)ムーニーの78%、非入教者の63%、離教者の52%、対照群の57%が、10歳になるまで毎週教会の礼拝に参加した。英国で毎週教会の礼拝に参加する全国平均は、子供(14歳以下)では7人に1人であり、大人では10人に1人である。(ブリアリー「80年代の予測」)

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