神学論争と統一原理の世界シリーズ30


第七章 終末について

2.終末はいつ来るのか?

イエス・キリストは再臨の預言を残して昇天した。そこで歴史上多くのキリスト教徒たちが、今こそは再臨の時であると信じて待ち望んだ。しかしそれらの運動のほとんどが、失望と落胆のうちに終わった。なぜなら待ち望んだキリストが来たためしはなかったからだ。現在でも再臨運動は世界中で見られる。しかしそれらはいずれも散発的で、熱しやすく冷めやすい一時的な運動にすぎない。イエス・キリストの時代から二千年たった今、主流のキリスト教会においては、再臨や終末に対する待望はほとんど死滅してしまっている。これはひとえにイエスがいつまでたっても再臨しないからである。

終末の遅延・待ちくたびれたクリスチャンたち
イエスの時代の人々も、メシヤの到来とともに天地の終わりがすぐそこに迫っているという信仰を持っていた。イエスの「あなたがたがイスラエルの町々を回り終わらないうちに、人の子は来るであろう」(マタイ 10:23)という言葉は、当時の人々にとっては世界の終末が迫っているということを意味した。ところがこのような終末はイエスの生前には来なかったし、またイエスの死後すぐにも来ると信じていたのに、いつまで待っても来なかった。

初代教会はこの「終末の遅延」という問題に直面せざるを得なくなった。待ちわびていたキリストの再臨が無期延期状態に陥ったとき、彼らの終末論は大きく変化せざるを得なくなった。すなわち終末はこれから起ころうとしている世界破滅の出来事ではなく、イエス・キリストの十字架と復活によって「既に地上に到来した」のだ、そしてイエスの宣べ伝えた神の国は、キリストにあって新しく生きる共同体としての教会の中に、「既に実現している」のだと考えられるようになったのである。(注1)

さらに、キリスト教がパレスチナから出発してヘレニズム世界へと広まっていくにつれて、ユダヤ的な色彩の濃い黙示文学は妥当性が失われていくようになり、聖書はことごとく比喩的に解釈されるようになったため、終末は文字どおり歴史的な一点に起こる事件とは考えられなくなっていった。

キリスト教会がある程度の社会的成功をおさめて、教義や司教体制を固めていくと、こんどは極端な終末思想は既存の秩序を覆そうとする危険思想として排斥されるようになり、「異端」というレッテルを貼られるようになる。(注2)このようして教会の主流は、極端な終末論を否定するようになっていった。キリスト教会が築き上げた最も秩序ある安定した社会である中世ヨーロッパにおいては、あの新約聖書時代の終末論的なものはすっかり脱ぎ捨てられてしまう。「神の国」は「教会」と同一視され、カトリック教会は、地上に実現された「神の国」と見られるようになったのである。

ルネサンス以降の近代的な歴史観においては、「進歩の思想」が歴史の目的を規定するようになる。カントの影響を受けた近代の自由主義神学はキリスト教でいう「神の国」を近代世界に有効なものとするため、黙示録的な「世の終わり」によって突然やってくるものではなく、人間の倫理的な進歩によって漸次もたらされるものと解釈した。このようにして「神の国」の概念は、黙示文学的な終末論とは完全に切り放されて定義されるようになったのである。

終末の実存主義的解釈
二十世紀に入ると聖書批評学の発達により、忘れられていた終末論は再発見されることになるわけだが、現代の神学者たちにとって「黙示文学」はあくまで二千年前のパレスチナに流布していた古代の思想であった。科学文明の洗礼を受けた現代に生きる我々には、聖書に記された天変地異や、キリストの再臨などの出来事を文字どおり解釈することは難しい。それでは聖書の記述はいかなる意味を持つのか? 神学者たちの結論は、それは何かこの地上に起こる具体的な出来事を予言しているのではなくて、信仰によってキリストと出会うとき、人間の心の中に起こる劇的な変化の「神話的表現」であるとか「象徴的表現」であるといったような、実存主義的な解釈へと傾いていかざるを得なかった。

「統一原理」もまた、黙示文学に表現されている天変地異を実際の出来事としてではなく、メシヤの到来とともに起こる世界的な変革の「象徴的表現」であると見ている。しかし実存主義的な現代神学と「統一原理」の決定的な違いは、前者が天変地異だけでなくキリストの再臨や終末そのものまでも「象徴」や「神話」として具体的な歴史から追い出してしまったのに対して、後者はそれを歴史上の一点で具体的に起こるものとしてとらえている点である。

「終末」に代わって登場した「革命」
現代の神学者たちは概して人間の具体的な歴史(すなわち世界史)に対して非常に悲観的であり、その中に神の働きを見いだすことはできなかった。そこで彼らは人間の主観の中にある「内なる歴史」と、客観世界の種々雑多な出来事からなっている「外なる歴史」を分けて、神の摂理は「内なる歴史」の中にしか見いだすことはできないとしたのである。したがって歴史の終末も、人間の主観の中にしか存在しない「内なる歴史」の中に閉じ込められてしまう。

このことは主流のキリスト教神学が主観的な内面世界に閉じ込もり、具体的に歴史内に起こる終末や、地上における神の国の実現という考えを放棄してしまったことを意味している。彼らは終末を歴史のフィールドから追い出してしまい、「人間が時間の枠を越えて永遠なるものに出会う瞬間」という意味にすり替えてしまったのである。では、その結果何が起こったか? 主流のキリスト教が終末論的なメッセージを失った結果、人々はそれを別のところに求めるようになったのである。それがマルクス主義とその神学的展開である解放神学(注3)が急激に人々の間に広まって行った理由である。

マルクス主義はいわばユダヤ・キリスト教の「鬼っ子」であり、キリスト教の終末論を世俗化したものだ。人々は本質的に「未来に対する希望」と「社会の変革」を求めていた。マルクス主義は「革命」という希望によってそれにこたえようとしたが、キリスト教はそれにこたえられなかったのである。人々の期待にこたえられないキリスト教は力を失っていく一方で、こたえようとしたキリスト教は、結局マルクス主義にのみ込まれる形で解放神学に走っていった。そして今や、世俗世界においては冷戦の終結とともにマルクス主義は滅びたにもかかわらず、キリスト教の内部においてはいまだに根強く生き残っているという奇妙な様相になっているのである。

「終末は希望の時」と主張する統一原理
こうしてみると「統一原理」は、マルクス主義のような唯物論でなく、伝統的なキリスト教の基盤の上に立ちながらも、独自の歴史観に基づいて終末をもう一度歴史のフィールドに再登場させる大胆な思想であると言える。そしてそれは終末はすでに来たと断言しているのである。

終末や再臨の預言なんて、うさんくさくて信じられないという方もいるかもしれない。しかし「統一原理」は根本主義者たちのように空を仰いで雲に乗ってやってくるキリストを待ち望みなさいと教えているのではない。それは過去の歴史を詳細に分析した結果として、現代が終末の時代であると述べているのである。キリストが再臨する時期の細かい計算法については『原理講論』の「歴史の同時性」という項目で詳しく述べられているが、それはあまりに膨大な内容なのでここでは紹介することはできない。しかしそれを学べば、「統一原理」が具体的に世界史上に起こったさまざまな出来事の中に神の摂理が働いていることを見いだし、それらの出来事の意味、目的、年代などを細かく考慮した最終結論として、現代が終末であると主張していることが分かるだろう。

「統一原理」は、人類始祖アダムとエバの堕落より、神が人類救済のために具体的に世界史に働きかけてきたその軌跡を詳細に分析している。そしてそれが「メシヤの降臨」という一つの目的に向かって計画され、動かされてきたことを示している。そして我々は今、まさに終末の時代に生きている。それは天変地異による破壊が起こる恐怖の時代ではなく、神の理想が地上に実現する希望の時代としての終末である。

<以下の注は原著にはなく、2015年の時点で解説のために加筆したものである>
(注1)こうしたとらえ方を英語で“Realized eschatology“といい、新約聖書学者C. H. Dodd (1884 – 1973年) によって広められた概念である。
(注2)キリスト教初期の終末論的異端としては、2世紀の小アジアに出現したモンタノス派をあげることができる。紀元150年代、小アジア西部のフリュギアでモンタノスの創始した運動がルーツである。モンタノスはキリストの再臨が近いと預言し、キリストが新しいエルサレムと共にフリュギアに降臨すると説いた。やがて、モンタノスのもとにプリスカとマキシミラという二人の女預言者が加わり、モンタノス派の中心となった。
(注3)「解放神学」は、グスタボ・グティエレス(1928年~)など主に中南米のカトリック司祭によって提唱された神学をさす。社会的抑圧や経済的な貧困の視点からの神学という特徴をもち、解放者、正義をもたらす者としてのイエスに焦点を当てる。この神学に対する評価はさまざまだが、統一教会においては「共産主義に乗っ取られたキリスト教神学」として否定的に評価する。

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