アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳55


第6章 修練会に対する反応(6)

回心の体験

アンケート用紙に記入した(あるいはインタビューされた)ときにすでに会員になっており、まだ運動にとどまっていた者たちは、修練会に対して、非入会者とほとんど同じくらいに多様な反応を示した。どうして入会したのかという質問は、いくつかの異なった方向からのアプローチがなされた。メイン・アンケートでのこの主題に関する最初の質問は、自由回答形式であった。すなわち、いかなる特定の回答も提示することなく、回答者に「あなたがそのときにファミリーに入会を決めた理由は何か?」と尋ねただけである。過半数の回答は、主な理由として教えの真理性に焦点を当てたもので、「統一原理が真理だと知った」といったような言葉を使った。数名の者が、講義を聴いたことによって現実の見方が変化したことを次のように書いている。「気持ちがすっきりした。人生についての私の混乱した思考は、美しい絵のようになった。歴史は目的を持つようになった。それは神が自分の心の中にいるからだ」。教えを聞くことによって、長い探求が終わったように感じたという人もいる。「神は私を捜し出し、ご自身の真理を示したかったのだと感じた。私は常に探求し、疑問を提示し続けていた。そして初めて、私の疑問に答えが示された」。人生に目的、意味、方向、あるいは希望が与えられたという回答者も何人かいた。「ファミリーを通じて、世界の復帰を助け、私がこれまで望んできた人間関係を築くことができることが分かった」。ほかに希望がなかったからだという、むしろ否定的な理由で入会していると思われる人も数人いた。「より良い明日に導くことのできる人生の道を、ほかに見いだすことができなかった。人生における私の他の体験は、本当にそのことを気付かせてくれた」。

統一教会が必ず天国を復帰するということをそれほど確信してはいないものの、それでもなお、何かを与えてくれたと感じている者も数人いた。ある回答者(運動に8年間在籍している)は、自身の理由について次のように述べた。

「基本的に自己中心的なものだ。・・・神を中心とした生活を試してみたかった。ファミリーの真理をそのときは確信してはいなかった。真理なのか、そうではないのか?」

確信がないと表明した別の男性は、入会しないという選択肢のほうがもっと確信が持てないという理由によって説得された。彼は次のように書いた。

センターに通っていたとき、働きながら日々の生活を送っていた。私には違いがはっきりと分かった。私は思ったのだ。「もしこれが真理ではないのに入会すれば、人生を無駄にすることになる。もし入会しないなら、・・・まあ、人生はもとより無駄である。だが、もしこれが真理であるなら、・・・」私は決断するまで、そのことを何度も何度も考え抜いた。

知的な解放を表明する者と同様に、心理的または情緒的な解放や慰めについて語る者たちもかなり多くいた。それは、彼らが「アットホーム」な感じのする雰囲気を見いだしたときに体験するものであり、多くの者が、入会したいと思わせたものは、親近感や愛情表現だったと語っている。

全てのファミリー・メンバーのように、愛と、寛大さと、喜びに満ちた人になりたかった。彼らは人生に目的を持っていた。自分にはそれがなかった。

妻と一緒に入会した非常に有能な29歳の電子技師は、以下のように述べた。

神と、世界に対する神の計画についての論理的な説明に影響を受けた。そして、私たちはこの使命のために、人生においてさまざまな形で準備されてきたのだと悟った。神は私たちを守ってきて、いまや私たちに「十字架を負い」、神の計画に従うように求めてきた。私たちは、このことを「統一原理」を通じて理解した。・・・「統一原理」は、伝統的な教会の教義における解釈の間違いについて多くを説明している。そして神を中心として私たちの夫婦関係を完成させるこのとのできる生き方について説明している。そして神の摂理の方向に従い、世界に罪のない子供たちを生み出すのである。

「統一原理」が真理であることを受け入れたときに解放や自由を感じた、と述べた多数の回答者は、この種の自由のやや逆説的な側面を理解していた。ある回心者は、「大きな高揚感を伴う大きな責任を感じたし、また大きな重荷が取り除かれたと感じた」といった体験を述べた。

私は、多数の(決して全てではないが)回心者が、ムーニー自身から受けた影響をなおざりにして、教えの重要性の方を強調したのではないかと疑った。回心者たちと会話することにより、その理由は、ムーニーたちは主として教えを学ぶための媒体であると見られており、回心者たちが入会する「本当の」理由は教えそのものであるらしい、ということが分かった。しかし、私が尋ねた選択式の質問事項の二つは、その他の要因により多くの重みが置かれているという結果を示した。表7は回答者たちに、1から5という数字を使って、5つの要因の「相対的な」影響を評価するように求めた結果である。ただし、「入会を決める上で、確実に、全く重要ではない」というものにはゼロをつけるように求めた。アメリカ人の神学生(数人はカリフォルニアで入会した)たちからの回答が含まれており、これらはイギリス人の回答とはやや異なっている。大陸のヨーロッパ人は、会員の重要性をそれほど高く見ておらず、「結論(メシアが地上にいる)」がそのリストの中で高い位置を占める傾向にある。

 

表7

表7

 

表8

 

 

表8は、「統一原理」のそれぞれの部分に対する相対的な印象を記録したものである。回答者が最初にこの教えを聞いた時点と、このアンケートに回答した時点の両方について尋ねた。回心者たちが実際にムーニーになった後の原理の作用については、私はこの著作で扱うつもりはないが、この数字を含めた理由の一つは、「結論」の重要性が「入会した後」にいかに高まっているかを示したかったからである。さらにこのことは、一般的な仮定とは裏腹に、人々が統一教会に入会するのは、文が個人的に持っていると考えられている何らかのカリスマ的な資質のゆえではないという、私の印象を裏付けている。この運動に入会する前に文に会っている回心者はごく少数にすぎない。しかし、ひとたび会員になると、私が「成長カリスマ」と考えているプロセスを見いだすことができる、と私は信じている。会員たちはそれを通じて、文をカリスマ的な人物であると見ることを「学習する」のである。(注5)原理の「結論」が入会する時点で特別に重要だと考えた場合、その理由は、通常はメシヤ(カリスマ的な指導者としての文ではなく)が地上にいて天国を地上にもたらすのを助けることができるという信仰を受け入れるからか、あるいは文が「統一原理」を解き明かし、われわれの身代わりに苦難を受けたことに対する感謝という形を取るのであり、文への「個人的な」献身という形ではなかった。それは後から来るものである。大西洋の東側(訳者注:欧州のこと)の人々にとって、文はより遠い存在であるにもかかわらず(あるいはそれ故にかもしれないが)、イギリス人(および他のヨーロッパ人)は、アメリカ人よりもメシアの重要性を強調したし、いまもそうであるということもまた興味深い。

 

(注5)この「成長カリスマ」のプロセスと、私が「ムーノロジー」と呼ぶ信仰は、アイリーン・バーカーの「行動するムーニー」オックスフォード、ブラックウエル、近日出版の中で述べられている。

 

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