アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳42


第5章 選択か洗脳か?(5)

私自身の研究の中で、私はまだムーニーだったときに知り合った何人かの元会員たちと話す機会があった。彼らの大部分は、外部の助けなしで離れたものであり、その後にカウンセラーの世話を受けてはいなかった。また反カルト運動やメディアとほとんど、あるいは全く接触しなかった。一人を例外として、こうした自発的な脱会者は、入会のときに不当に強制されたはと言わなかった。ほぼ全員が脱会は難しかったと認めたが、彼らのほとんどは、もし望むならいつでも離れることができたと主張した。一度離れて、再度入会し、また離れ、二度あるいは三度離れたことがあるものが数名いた。無論、このことはこれらの元ムーニーたちが洗脳されていなかったということを意味しない。しかし、ソロモン、ライト、ギャランターの調査結果とあわせると、少なくとも示唆することがある。それは、統一教会の新会員獲得の行為を洗脳やマインドコントロールの概念や考え方で描くことを後で「学んだ」人々の証言は、そのような概念や考え方が最も適切で正確な描写であることの証明として受け取ることはできない、ということである(注26)。
主として元ムーニーの証言に頼る人々はときどき、彼らがそうしなければらないのはムーニーが「天的欺瞞」(注27)を行うからだと言い、ムーニーから正確な情報を得たと主張する人々は、騙されているか騙しているかのどちらかだと主張する。無論、ムーニーの証言だけに頼ることは、元ムーニーの証言だけに頼るのと同じくらい愚かなことだろう。しかし、だからといって「実物の」ムーニーを観察することが関連性のあるデータを豊富に提供できないということにはならないし、数多くのテクニックが、第一章でその一部を論じたが、得た情報の価値をチェックし評価するために利用できる。また元ムーニーも、ムーニーたちが統一運動に参加する以前に彼らを知っていた人々も、共に有益なデータを提供していることも事実である。(これらの情報は、ムーニーの提供したデータと同様に厳密にチェックする必要があるが)しかし、これまでほとんど完全に無視されてきた、決定的に重要な情報源が外にある。非ムーニーである。

非ムーニー
第一章で私は対照群の重要性について簡潔に述べた。ここでその点について詳しく説明しよう。幾人かの人々は、ムーニーが運動に入る以前あるいは離脱した以後の特徴について語っていると主張する。だがそのような記述は結局、それ自体ではほとんど無価値であることが分かる。新入会員についての知識が何らかの意味を持とうとするならば、非ムーニーについての情報をも得なければならないのである。われわれがムーニーの保有する特徴であると認識しているものが、ムーニーに固有のものなのか、それとも運動のメンバーではない人々も共有しているものなのかどうかを知る必要があるのだ。大部分のムーニーは足の指を10本持っているという情報は疑いなく正しいが、われわれが知りたがっているのはそのようなことだろうか?
教義を植え付けられたときの個人的な体験に焦点を当てて、元統一教会員の患者(彼の言葉)30名に対してどのようにインタビューを行ったかを語る専門家について考えてみよう(注28)。「精神診断医、精神療法士および家庭カウンセラーとして専門的な経験」を主張しながら、彼は「私が治療したカルト会員の約50%は、カルト会員になる前は心理学的に正常だった」と述べる(注29)。
別の精神療法士は、「私が研究した回心者の非常に多くは、若い時代に情緒的な困難を経験し、乱れた生活をしていたが、一方、別のグループ(約40%)は精神病の兆候を全く示していなかった」と語る(注30)。そしてあるディプログラマーは、彼が対象とする人物の「カルトに関与する以前の人格」の安定性について、次のように評価している。「極めて安定0%、中程度の思春期の問題68%、深刻な問題20%、精神病または精神病すれすれ12%」(注31)。そのような統計は魅力的に見えるけれども、われわれは次のことを認識しなければならない。すなわち元ムーニーは一般的なムーニーを代表することはないだろうし、また「精神的に正常」「精神病の兆候」あるいは「深刻な問題」が何を表しているのかを知る手がかりが全く与えられていないということである。われわれはある意味では全員が「精神的に正常」であると(あるいは全員がそうではないとも)言える(注32)。われわれが正常とは何かを知らない限り、また似たような年齢と背景を持った人のうちどれだけの人がそのような正常な状態から逸脱していると判断されるのかを知らない限り、われわれはムーニーについて何一つ具体的なことを学んでいないことになるのである。われわれは、非ムーニーと比べて、彼らがより「正常」であるのかないのか、あるいは彼らが「深刻な問題」により多く直面しているのかいないのかを、知らないのである。

1976年にフランスでディプログラマーに拉致されるムーニー(5章130ページ)

1976年にフランスでディプログラマーに拉致されるムーニー(5章130ページ)

(注26)最も一般的に用いられるモデルは、R・J・リフトンの「思想改造と全体主義の心理:中国における『洗脳』の研究」、ニューヨーク、ノートン、1961年の第22章に見られる。
(注27)その手段が地上天国の建設という目的を正当化するときに嘘をつくこと。第7章を参照せよ。
(注28)ガルパー「統一教会における教義植え付けの方法」p.2
(注29)ガルパー「急進的な宗教カルトと今日の青年」p.1
(注30)J・G・クラーク・Jr「われわれはみな根本的にはカルト信者である」
(注31)これらのデーターはプライベートに伝えられたものであるため、ここではソースを明らかにしない。
(注32)T・S・サス「精神病の神話」、ロンドン、セッカー&ワーブルグ、1962年;T・S・サス「イデオロギーと狂気」、ハーモンズワース、ペンギン、1974年(1970年初版);T・S・サス「心理療法の神話:宗教、レトリックおよび抑圧としての精神治療」、ガーデンシティ、ニューヨーク、アンカープレス・ダブルデイ、1978年。

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