ICRFの秀逸なプレゼンより②


国際宗教自由連合(ICRF)の秀逸なプレゼンより②

1998年4月17〜19日にかけて米国の首都ワシントンDCで行われた国際宗教自由連合(ICRF)の国際会議で発表された論文の中から、秀逸なものを紹介している。前回のマッシモ・イントロヴィニエCESNUR代表の論文に続いて、今回は二回目である。

 

1、ニュース・メディアと少数派の宗教

ラリー・ウィザム(ワシントンタイムズ記者)

ラリー・ウィザムワシントンタイムズ記者

ラリー・ウィザム(ワシントンタイムズ記者:1998年、ワシントンDCで開催されたICRF国際会議にて)

メディアというものは、自分たちの役割は「社会の見張り番」であるという誇りを持っている。すなわち政府や大企業に不正や腐敗があればそれをあばき、弱者が抑圧されていればその事実を世に知らせるストーリーを書いて、彼らを代弁することが自分たちの使命であると自覚しているのである。しかしこと少数派の宗教の問題に関しては、長い間メディアが代弁してきたのはその宗教に入信した若者たちの両親や、その教団からの離脱者たちであり、少数派の宗教そのものではなかった。

これは少なくともバランスという点で大きな問題であった。さらにこれらの報道は増幅されて社会に大きなインパクトを与えるようになった。メディアの世界には「パック・ジャーナリズム効果」と呼ばれるものがある。それはひとたびニューヨーク・タイムズ紙やピープル誌、CBSニュースなどの権威あるメディアであるストーリーが報道されれば、他のメディアが皆それに追随するため、同じようなストーリーが際限なく繰り返されるという現象である。

そしてこれらの情報は、少数派の宗教を迫害しようとしている者たちによって最大限に利用された。ある研究によると、米国の反カルト組織AFFが発行している「カルト研究誌」(1987)には218の推薦文献が載せされていたが、そのうちの141(64%)が新宗教を否定的に扱ったメディアの報道であったという。

少数派の宗教を迫害するためにメディアを利用しようとしているグループとは、いったいどのような人々なのだろうか。これは基本的にその宗教の信者の親や友人、および新宗教を快く思わない既成の宗教団体である。そして彼らがメディアを活用するときに最も強力な武器として使われるのが「元信者」の証言である。すなわち、その教団にかつて属していた者が自らの体験の告白として、その教団の悪について語るのである。しかし最近は、このように教団の悪を積極的に暴露するタイプの元信者の割合は、離脱者全体の中では極めて小さなものに過ぎず、しかも彼らは例外なく強制改宗によって教団に対する敵意を植え付けられた者たちであることが分かってきた。

メディアの少数派宗教に対する不公平な取扱いに対して警告を発してきたのは、それらの宗教を学術的に研究している学者たちであった。彼らは常にメディアは宗教に対して否定的に傾きすぎていると批判し、一方でメディアの方はこれらの宗教学者たちは事実上カルトの擁護者になっていると応酬した。こうした攻防によって、70年代には反カルト一色だった米国のニュース・メディアが、80年代から現在にかけては中立化の方向に向かいつつある。しかし「カルト」という言葉が侮蔑的であるという指摘がなされている現在でさえ、ニュース・メディアにおいて「カルト」「セクト」「新宗教」という言葉が使われる割合がそれぞれ71%、27%、2%であることなど、状況の改善には多くの課題が残されている。

 

2、カルトの脅威は現実か幻想か? 

ゴードン・メルトン博士

ゴードン・メルトン(米宗教研究所所長:1998年、ワシントンDCで開催されたICRF国際会議にて)

ゴードン・メルトン(米宗教研究所所長)

現在「破壊的カルト」などと呼ばれて危険視されている新宗教に対する批判には、いくつかの共通項がある。まず第一に、それらの教団は家庭を破壊するという批判である。したがってそのような宗教がはびこれば、われわれの家庭生活が危機にさらされるというわけだ。二番目に、それらの教団は信者を獲得して縛り付けておくために、洗脳を施すという批判がある。彼らは一種の催眠術のような心理学的テクニックを用いて、人々の合理的な思考力や判断力を奪って入信させるというわけだ。そしてひとたび入信したら、自分の意思で脱会することは極めて難しいと信じられている。

三番目の批判は、これらの心理学的なテクニックによって長期間もてあそばれた被害者たちは、精神的なダメージを受け、しばしば精神病になるというものである。そして四番目の批判は、これらの教団は社会の秩序を破壊するというものである。これは具体的には、われわれが持つ西洋の文明人としてのアイデンティティーを破壊するということである。 これらの「カルトの脅威」は本当なのだろうか。1978年11月に起こったジョーンズタウンの悲劇(人民寺院の集団自殺事件)を契機として、極めて広範囲にわたる新宗教運動の観察が始められ、ここ20年の間にかなり詳しい情報が収集された。それによって分かったことは、新宗教と呼ばれているものの実態は、古い宗教とさほど変わらないということだ。したがって新宗教について語られている脅威は、そのほとんどが神話に過ぎない。

彼らは家庭を破壊するのだろうか。答は「ノー」である。これだけ多くの宗教が共存する現代都市においては、家族がそれぞれ異なる信仰を持つようになるのは必然である。彼らは洗脳を施すのだろうか。答は「ノー」である。新宗教で起こっていることで、古い宗教に発見できないものは一つもない。彼らは人々を洗脳するための新しいテクニックを発見してはいない。人間を洗脳するためのテクニックについては、われわれの政府が過去25年間、世界中からデータを集めて研究してきた。しかし政府による洗脳の実験や研究は、ことごとく失敗に終わっているのである。

新宗教は信者に精神的なダメージを与えるのだろうか。これは今でもヨーロッパで議論されている問題である。しかしそのような証拠は皆無である。新宗教は社会秩序を破壊するのだろうか。これについては明確な回答をすることは難しい。確かに新宗教信者の人口が倍加すれば、その分だけ既成の伝統的な社会秩序が挑戦を受けることになろう。しかし現在西洋が体験している社会的変化や文化の多様化は、新宗教にだけ原因があるのではない。むしろ仏教、ヒンドゥー教、イスラム教の人口の急激な増加によって、極めて多様で、お互いの対話を必要とする宗教的状況が作られつつあり、新宗教の台頭はこのような文化の多様化を構成する一要素に過ぎないのである。

 

3、憲法による宗教の自由の保証と現実

ブルース・カシノーICRF会長

ブルース・カシノー(国際宗教自由連合会長:1998年、ワシントンDCで開催されたICRF国際会議にて)

ブルース・カシノー(国際宗教自由連合会長)

私は憲法にうたわれている宗教の自由と現実のギャップが激しい二つの領域について話したいと思う。世界のほとんどの国々において、宗教の自由は憲法によって保証されている。これは中国やキューバにおいてさえ、文面上はそうなのである。したがって問題は、「宗教の自由」という一般概念の保証ではなくて、それを制限しようとする要因との関わりなのである。

そのような要因の一つは、「公共の秩序」という概念である。国際法は、宗教の自由の例外事項として、宗教的実践によって公共の秩序が破壊されることがあってはならないとしており、国連の文書もそのような原則をうたっている。この原則は、多くの国によって宗教の自由を大きく制限するための「言い訳」として利用されている。この「公共の秩序」という概念の問題点は、それが国家にとって非常に都合の良いものに解釈されるということである。例えば新宗教への改宗者が出れば公共の秩序が破壊されるので、礼拝の場所を設置するのを許可しないといった処置が行われる。「人権」と「宗教の自由」も、「公共の秩序」も共に正当な規範であるから、それらが相反するときには、本来なら一方に片寄ることのないバランスの取れた判断をしなければならない。しかし実際には多くの場合このバランスが崩れてしまっている。そして「カルト」や「セクト」と呼ばれる少数派の宗教が常にその犠牲になっている。

もう一つの問題は国家による「宗教の定義」である。ヨーロッパの多くの国々においては、ある団体が宗教団体であるかどうかを判断する際に、その教団の神概念が重要な役割を果たす。すなわち伝統的なキリスト教に見られるような、一神教的な神観を持っている教団だけが宗教として認知されるのである。ある国では、歴史が何年以上で信者が何人以上である団体が合法的な宗教である、という判断がなされる。またある国では、その団体が少しでも政治的な主張を持っていれば宗教団体ではなくて政治団体とみなされる。宗教団体が何らかの事業(出版も含む)を行っていれば、企業であるとみなす国もある。

アメリカの最高裁判決を研究してみると、面白いことが分かる。1890年にアメリカの最高裁が出した宗教の定義は、「創造主と人間との関わりを説く世界観」というような一神教的な内容だった。これは今のヨーロッパの観点と同じである。しかし1940年代の判決では宗教の定義がもっと広くなり、正統・異端を問わず、また教義内容が合理的か非合理的かを問わず、あらゆる宗教に自由が保証されるとしている。さらに1961年の判決では、いかなる崇拝対象であっても、それが既存の宗教における神と同じくらい真摯に崇拝されている場合には、宗教と認められるとしている。

ヨーロッパやCISの国々は、アメリカによって提示されたモデルのように、宗教の定義をもっと広くする必要がある。

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