弁護士の久保内浩嗣氏による第一部の三番目の記事「3.大学のカルト対策と信教の自由」に対する分析の4回目です。福本修也弁護士へのインタビューの続きです。
問 大学が行っている具体的な「カルト対策」とその問題点について教えてください
(1)カルト警告ビラの配布、掲示及びオリエンテーションについて
これは国公立大学と私立大学では事情が異なります。
国公立大学が、「CARP」「統一教会」などと名指しで批判を行った場合、これは特定の宗教に対する迫害・差別的取扱いとして、政教分離原則に反することになります。名指しでない場合、たとえば「怪しい団体がおります、それは非常に危険です」「学生に害を及ぼすようなものがあります。気をつけてください」など、非常に抽象的な言い方をする場合には、言っている内容を見ない限りなんとも言えません。状況的に統一教会、CARPと特定されるようでない場合には、明確な違反行為とは言えないでしょう。
次に私立大学が指しで批判を行った場合ですが、私立大学である場合には、政教分離原則に従う義務がありませんので、制度的保障という外堀がありません。そうすると、その行為が「信教の自由」という本丸への侵害に当たるかどうかを直接判断するしかないです。その場合には、統一教会、CARP批判のビラ、オリエンテーションなどが、自分の信じている信仰を侮辱され、自尊心を害されたと主張するとはできます。つまり、その信仰をもつ学生の「信仰生活の平穏を害する」として人格的利益に対する侵害を構成するということです。
ただし、これが法的救済の対象になるか否かは別途考察が必要です。
参考になる判例としては、幸福の科学の信者が、教祖、大川隆法を誹謗中傷する雑誌記事の内容によって、自分の信教の自由を侵害されたとして、出版社を訴えた事件があります。この判決では、その雑誌の報道によって、信者としての「信仰生活の平穏が害された」という人格的利益の侵害事実は認めました。ただし、その次の段階として、裁判所によって法的に救済されるかについては、最終的に否定しました。
こういうことがあるなら、信者ではなく教祖自身が「名誉を侵害された」と訴えるべきです。記事の内容が違法な名誉毀損である場合は、恐らく法的救済は認められるでしょう。しかし、信者が、教祖を侮辱されたとして訴えても、心穏やかではなくなったということは裁判所も認めるが、それを法的に裁判所で金銭的救済を請求することまでは、難しいということです。
(2)個別学生に対する信仰探知及び棄教教養(反対牧師紹介etc…)
これは内心の自由に対する直接侵害であるため、絶対に許されません。さらに、国公立大学が反対牧師を紹介したりすると、政教分離違反となります。
(3)信仰を理由とする不利益扱い
「あなた原理だから、進級許しません、単位上げません、授業受けさせない」というのは、当然アカデミックハラスメントとして裁判所に訴えることができます。
問:大学は信教の自由は認めるが、「カルト」は許さないということで、「宗教」と「カルト」を区別したがっているようです。「カルト」が法律の条文には一切存在せず、定義できないことは分かりましたが、そもそも日本では、「宗教」とは何かということが法的に定義されているのでしょうか?
宗教の定義は公式にはありません。一応、最高裁の判例があり、宗教を「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」という表現で定義していました。最高裁なりに苦労して定義したものですが、これが絶対とは言えません。そもそも、国が宗教を定義した法律はないし、定義自体難しいでしょう。むしろ、あったら宗教に対する差別になるでしょう。国が、「これが宗教です」と定義することは、憲法違反になると思います。
問:佐賀大学の裁判では、CARPは「宗教団体」ではないので、そもそも「信教の自由」は主張できないと大学側は述べているようですが、この主張は正しいのでしょうか?
結論からすると正しくありませんが、説明が必要です。たしかに、CARPは宗教団体ではありません。一方、統一教会は宗教法人であることは間違いありません。CARPと統一教会の間に関係があることも明らかです。また、CARP構成員の大半が、統一教会の信仰をもった人であることは間違いありません。CARPの運動理念も、統一教会から来ていることは間違いありません。でも、CARPは宗教団体ではないのです。団体の属性としては宗教団体でないが、運動理念が信仰からきており、構成員が信仰を持っているという観点からすると、信仰、運動理念を捉えて、大学や国家が制約をする場合は、「信教の自由」の問題であると言えるのです。「統一教会に対する直接の侵害、攻撃だから、これは信教の自由の問題になる」ではなくて、たとえ、一個人であろうが、個人が集まったサークルだろうが、制約の対象が、その信仰という観点に着目した制約であるかぎりは、信教の自由の侵害に当たるのです。つまり、団体の属性が問題ではないということです。団体が宗教団体であるかどうかということと、信教の自由の侵害にあたるかどうかということは、直接は関係ありません。
なぜかと言うと、宗教法人とか、団体は、器にすぎないからです。世の中に宗教団体があるのは、便宜のためにあるのであって、それが本質ではありません。問題は個々人であり、この個々人の信教の自由を守るのが最大の目的です。器を守るのが目的ではありません。例えば、オウム真理教は、もとは宗教法人だったけれども、解散命令を受けて、「宗教団体」ではあるけれど「宗教法人」ではないアレフになりました。じゃあ、彼らは宗教ではないのかというと一応、宗教です。「宗教法人」という器、なんとかという団体の器、それは本質ではないのです。中にいる個人、個人の信教の自由が問題です。
だから、「CARPは宗教団体ではないから、信教の自由に対する侵害ではない」というのは、詭弁です。
彼らが問題としているのは、信教。なぜなら、「あんたこの宗教やってたら、合同結婚式受けるの?」と言われた人がCARPのメンバーにいる。彼らが言っているのは結局、信教の自由に関わる問題です。
結論として、CARPという器への攻撃というよりも、個人の信教に対して攻撃してきているのだから、信教の自由の問題であると言えます。
問 大学の言う「安全配慮義務」の範囲はどこまでを指すのでしょうか?
大学に安全配慮義務がないわけではないでしょうね。学生生活を安心しておくれる環境整備をする義務はある。その範囲はどこまであるか、というのは抽象的でなんとも答えられません。だから、大学がどこまでやれるかは、個々の行為を見ながら、それによって制約される他の人権との絡みで判断するしかないでしょう。
問 その他、久保内論文のおかしいところがあれば教えてください。
嘘がいっぱい書いてありました。まず、以下の部分です。
「対策を講じる場合、前提としてカルトに在籍している学生から勧誘を受けた者などからの通報、苦情があることが通常ですから、一方当事者であるカルトに在籍している学生に事実関係を確認し、違法行為・迷惑行為・規則違反行為が認めたれる場合に注意をすることは、当然のことといえます。」(p.66-67) |
これは嘘です。彼らは、他の学生から苦情があるかないか関係なしに、一本釣りで呼び出して、その学生の信仰を問いただしています。こういう前提や根拠でやっているわけではないんですよ。だからこれは嘘です。
さらに、以下の部分です。
「第三者からの通報、苦情の存在、違法行為・迷惑行為・規則違反行為の確認、出席日数不足、成績不良等の事情があることが通常ですから、保護者等に事実を伝えることや生活態度の改善等を求めることは教育機関として許されるといえます。」(p.67) |
これも嘘です。そうではない。彼らは勝手に情報を集めて、本人には言わないで、親に「あんたの息子はカルトに入ってますよ」と不安をあおり、反対牧師を紹介するわけでしょ。彼らの言ってることは嘘なんですよ。
彼らがやっていることは、本に書いてあるような内容ではなくて、「カルト」という勝手な概念を使って、勝手に呼び出して、「お前、カルトやめろ」と言い、親には「あんたの息子、カルトに入っているよ」と言い、反対牧師を紹介する。やっていることが事実と違うのです。
嘘の前提のもとに、自分たちは正当だと言っています。これは間違っています。