櫻井義秀、大畑昇編著の「大学のカルト対策」の書評の14回目です。この本の第一部の4番目の記事は、「4.キャンパスでの声かけからネット・SNSに移行する勧誘の手口」というタイトルで、瓜生崇氏が担当しています。今回は、この記事に関する紹介と分析を行います。
瓜生崇氏は、大学から「カルト視」されている団体の一つである「親鸞会」の元信者で、自らの体験と最近の情報を合わせて、親鸞会の勧誘方法の変遷を中心に解説しています。基本的には、「カルト」の勧誘方法がいかに巧妙であるかを述べて、注意を喚起することが目的と思われます。彼の説明を簡略化して箇条書きにすると以下のようになります。
① キャンパスやキャンパス外での声かけ勧誘
a. 新歓期一斉勧誘
- 関東のある私大では、全国より400名の勧誘メンバーが集結し2日間で1000名以上の入部者。
- GW期間に人里離れた場所での「新歓合宿」
- 夏に教団への入信が勧められ、秋には学祭での勧誘に参加し、翌年の春には新入生を勧誘
- 平成20年頃までは主流の方法
- 大規模に行われるため、噂になりやすく、大学の「カルト対策」によって次第に廃れていった。
b. 個別勧誘
- キャンパス内をくまなく歩き、教室や食堂で学生に声をかける。
- 新歓期だけでなく、通年行う。
- スキルと信仰心が必要なので、教団職員や幹部が行うことが多い。大学職員に捕まることも。
c. 戸別訪問
- 学生の住むマンション、アパートを訪問して勧誘。
- 地方の大学ではある程度特定できる。
- 不動産屋を回って、ターゲットを絞る。1月の時点で空いていて、3月下旬にふさがっている部屋が「新入生の住んでいる部屋」であると特定。
- 4月の初めに戸別訪問で勧誘。
② メールマガジン・SNSを使った勧誘
- ミクシイを使った勧誘:親鸞会、摂理、アレフ
- 親鸞会は、2007年ごろから「声かけ勧誘」からメールマガジンやSNSを使った勧誘にシフト
- 2010年に専門の部門(通信顕正会)を設置
- 2011年の学生で入信した人のおよそ7割から8割がメールマガジンやSNSによる勧誘で入信
- 個人的つながりからメールマガジンへ
- 勧誘者がそれぞれにメールマガジンを作り、知り合いや友人に向けて登録を呼びかける。
- 人生の矛盾を考えるような内容を発信。
a. チラシ、声かけからメールマガジンへ
- 「知ってて得する大学情報」→「人生を考える話」
b. ミクシィを使った勧誘
- ネットの中で新入生を探してネットの中からファーストコンタクトをとるやり方。
- 2007年くらいから行われ、今では勧誘の主流。
- 新入生から信者にコンタクトを取らせる方法。
- ミクシィの「あしあと」→「いいね!ボタン」
- 新入生:「私の日記を何度も見ている人は誰だろう?」→信者のページを見にいく→自分の合格した大学の先輩のページと知り、自らコンタクト。
- キャンパスの中に信者の姿が見えるかどうかは、親鸞会や摂理の勧誘においては関係がない。
c. フェイスブックやブログを使った勧誘
- 教団幹部が実名で登録して勧誘。
このように、カルトの勧誘の手口はキャンパスでの声かけからネット・SNSに移行しつつあるので気をつけましょう、ということらしいです。素直な感想としては、親鸞会は勧誘のテクニックをかなり磨いており、勧誘方法のIT化もかなり進んでいると感じます。こうした勧誘テクニックを開示することによって、他の団体が真似したりしないかと変な心配をしてしまいます。これに比べるとCARPの勧誘活動のIT化はまだまだで、やり方も素朴で愚直なものであると感じます。
ちなみに、私は瓜生崇氏の講演を3回ほど聞いたことがあります。その内2回は2010年度と2011年度の日本脱カルト協会の公開講座でした。この記事の内容は、その時の講演とほぼ同じような内容です。彼は話が上手くて人を引き込む力があり、とても魅力的なスピーカーでした。親鸞会で頑張っていた頃も、相当実績を上げて上から期待されていた幹部だったのではないかと思います。
3回目に彼の話を聞いたのは、2011年7月16日に千葉大学で行われた公開講座に、彼が櫻井義秀氏と共にスピーカーとして招かれた時でした。その場で私は櫻井義秀氏と瓜生崇氏に自己紹介をして挨拶をしました。初対面でしたが、2人とも私のことは既に知っていたようです。その時の瓜生氏とのやりとりを紹介しましょう。
魚谷:親鸞会では勧誘にすごいテクニックを使うというプレゼンを聞かせてもらったが、一方で多くの人が途中でやめていくとも言っていた。「最初に1000名入部しても、残るのは10名程度」という発言もあったが、いったい最初に出会ってから最終的に一人前の信者として残る人の割合はどのくらいなのか?
瓜生:千分の一くらいの割合じゃないですか?
<この時は指摘しませんでしたが、彼のプレゼンは親鸞会が新規勧誘でどのくらい徹底していわゆるマインド・コントロールのテクニックを使うかという内容でした。そんなにテクニックを駆使しても1000分の1しか残らないのであれば、結局、小手先のテクニックはほとんど役に立っていないのではないかという結論になってしまいます>
魚谷:それでは、最終的に残る人と、途中で去る人はどこが違うんですか? 長年布教活動をしてきたとのことですが、最終的に残るのはどんな人ですか?
瓜生:私も長年布教をしましたが、「こいつダメだな」と思った人が信者になったりとか、「いい人だ」と思った人がやめて行ったりとか、結局よく分かりません。
<これは非常に正直な答えだと思いました。統一教会の伝道でも同じですね。>
魚谷:親鸞会というのは、信徒のライフコースとして、一生涯を共同体の中で過ごすような教団なのですが? それとも、どこかの段階で社会に出て自立するようなライフコースになっているのですか?
瓜生:学生信者や、専属の職員の場合には、生活が全面的に管理された共同体生活だが、それ以外には、ただ仏の教えを純粋に信じて普通に生活しているお年寄りの信者の方々もいっぱいいる。その人たちは生活も普通だし、お布施の額も法外なものではない。私が問題あると思っているのは、学生組織や職員のあり方だ。
魚谷:まあ、親鸞会にもいわゆる「在家信徒」みたいな人はいっぱいいて、その人たちに対する教団からの統制というのは、さほど強くはないということですね。
瓜生:まあ、そうですね。
会話の紹介は以上ですが、瓜生氏がどんなにカルトの勧誘テクニックの巧妙さを訴えてみても、確率が1000分の1ではあまり説得力はないと言えるでしょう。要するに、初期の段階で名前と目的を明かさないといったような「不当なテクニック」は、それ自体に倫理的な問題があるとは言え、それを訴えても、「騙されたから入信した」という結論は導き出せないということです。同じように騙されても、999人は結局入信せず、1人だけが入信するとすれば、その1人と999人の違いはどこにあったのかを明らかにしないと、「なぜ入信したのか」を説明することにはならないからです。瓜生氏は、その違いは「よく分からない」ということでした。私はもっとシンプルに考えます。初期の段階で名前や目的を明かされたか否かに関係なく、教えの世界観や教団での人間関係が気に入った人は入信するし、受け入れらなかった人は拒絶するという、自由意思による個人の選択をしているのです。