書評:大学のカルト対策(12)<3.大学のカルト対策と信教の自由③>


 弁護士の久保内浩嗣氏による第一部の三番目の記事「3.大学のカルト対策と信教の自由」に対する分析の3回目です。先回から始まった、福本修也弁護士へのインタビューの続きです。

 

問:大学の自治について解説してください。

 

信教の自由が「政教分離」という制度的保証によって守られていることは話しました。他方において、大学に対しては「大学の自治」が、「制度的保障」として認められているということがあります。

 

jichi 憲法23条には、「学問の自由は、これを保障する」と書いてあります。これが、本丸です。憲法上、「大学の自治」というのは、憲法20条の政教分離原則のようにははっきり書かれていませんが、本丸を守るための外堀として、「大学の自治」が認められているのです。

学問の自由は大学だけに認められているのではありません。小学生、中学生、高校生、大学を出た後も学問の自由はあるのです。

ところが、大学についてだけ、学問の自由の外堀としての「大学の自治」が認められています。これは、学問を中心的に極め、発展させていくところが大学であるという歴史的概念があるためです。「大学の自治」を保障することによって、国家から、「そんな学問やってはいけない」「この学問やれ」などと不当な介入ができないように定めているのです。

「大学の自治」の内容として一般的に認められているものの中には、①学長・教授その他の研究者の人事の自治、②施設・学生管理の自治、などがあります。

 

問:それでは、大学当局には、大学の自治に基づいて「カルト対策」をする権利があるのでしょうか? 

 

 まず、佐賀大学の訴訟における大学側の主張から、大学当局によるカルト対策の位置づけを分析してみましょう。大学側の主張は、「大学の自治」に基づく施設・学生に対する管理権の一態様としてのカルト対策を行う、というものです。大学当局によるカルト対策正当化の理屈を要約すると、以下のようになります。

「大学は学生の生命、身体、精神、財産、信教の自由等を守るべき安全配慮義務を負っている。カルト団体は教義に基づく教えを絶対とし、他の価値観を許容しない団体であり、そのような団体の教えは、多様な価値観を学ぶ場である大学の目的に馴染まない。学生がカルトに取り込まれず、教育を受けることができる環境を整えるため、大学はカルト対策を講じる義務がある。これは学生の信教の自由を守ることを目的とする必要かつ相当な措置である。」

次に、上記理屈に対する反論をします。

(1)カルトという言葉は、法律上どこにも存在しません。

rf宗教を「カルト」と「非カルト」に恣意的に分類して、「カルト」については信仰の自由も宗教活動の自由も認めない考えが上記理屈の根底にあります。

そもそも「カルト」という法律上の定義など存在しません。かかる怪しげな概念を用いることで特定の宗教につき憲法が保障する信教の自由を一方的に否定すること自体が問題です。

 すなわち、カルト概念自体が問題だということです。「私は、カルトなんだ」と思う必要はありません。むしろ、「カルトとは何か定義してみろ」と言い返してください。「そんな言葉は、法律のどこにも書いていない。何を根拠に制約できるのか? できるわけがない」と言えば良いのです。

 

(2)「カルト団体は教義に基づく教えを絶対とし、他の価値観を許容しない団体である」との「カルト」定義自体が全く恣意的です。

仮に、そう定義すると、一神教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教etc…)はみんなカルトになります。

高度の宗教であればあるほど、ある一定の価値観については絶対的であり、他の価値観は自分の中では受け付けないのが当然です。それが問題なのではなく、内心の価値観を他人に押し付けたときに問題となるのです。

また、内心では、絶対的な価値観をもち他の価値観を許容しないことと、社会で違う価値観の人と共存し、共生することとは別の問題です。普通、理性のある人なら、実際の社会では価値観が反する人がいても、人として尊重し、交流します。上記理屈は、そのことを全く理解していません。

さらに、上記理屈は「学問の自由と相いれない」と言うのですが、信教の自由と学問の自由は全く違います。

「学問の自由」の範囲は、自然科学から人文科学など、ものすごく広いので、自分の内面で何を信じているのかということと、自然科学、歴史、法律、物理、化学を研究することは、何の関係もありません。つまり、特定の宗教的信仰を持つことは、学問的発想をする妨げにはならないということです。例えば、CARPの学生が原理を信じていたら、それが学問の自由と対置して、学問の自由が阻害されると言えるのかというと言えません。物理や、化学や、法律や、文学を学ぶことと、個人の信仰が直接関わりあるかというと、ほとんどありません。

 

結論

結論として、学問の自由を守る上で、「カルト対策」が必要かを言います。そもそも、大学に認められる管理権も無制限ではありません。あくまでも、大学の自治の趣旨に基づき合理的な範囲内でのみ認められるわけです。大学の自治の趣旨は、学問の自由を守るということです。そして、「カルト対策」と学問の自由は、なんの関係もありません。したがって、「カルト対策」は必要ないという結論になります。

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