「マインドコントロール理論」は責任転嫁の理論


 

ところが、日本におきましては、この「マインドコントロール理論」というのはかなり多くの大衆に信じられているという現実がございます。それに大きな役割を果たしたのが、オウム真理教の事件であることは、ほぼ間違いないと思います。オウム真理教事件が起こったときに、「本来、高学歴で、理性的で、さらにもともと純朴で正義感の強かった若者たちが、あのような重大な犯罪を犯した。これはマインドコントロールとか洗脳ということがなければ説明がつかない」ということで、誰もがオウム真理教の信者は強力なマインドコントロールを受けていると信じて疑わなかったわけであります。

とくにこの「ヘッドギア」なんていうのが出てきまして、このヘッドギアというのは麻原彰晃の脳波と同じものを流しているそうでありまして、そうすることによって麻原教祖と一体化するための道具だと説明されておりましたから、こういうグロテスクなものを見るとですね、これはもうよっぽど強力なマインドコントロールがあるに違いないというふうに一般大衆は思ったということなのでありです。

で、オウムがやったことの中にはですね、例えば独房での修行であるとか、あるいは薬物を使ったりというようなことが一部あったようでありますので、厳密にいうと「マインドコントロール」というよりは「洗脳」に近い手法であったと私は思っております。「マインドコントロール」というのは、ごくありふれた日常的なコミュニケーションの積み重ねによって相手をコントロールすることだと言われておりますが、オウムのやったことは日常的なコミュニケーションを超えていることがかなりあったというのが事実のようです。

しかし、そのような手法を使ったとして、オウムの信者たちは自分の頭で理性的に判断する能力を完全に失って、麻原彰晃のロボットのようになっていたのかというと、そうではなかったという結論が出ていますね。それが実は、裁判の過程で出ています。

この表は何であるかというと、オウム真理教の幹部たちで死刑判決を受けた人たちのリストであります。地下鉄サリン事件をはじめといたしまして、死者の数が非常に多いですね。この松本智津夫というのがいわゆる麻原彰晃でありまして、死刑が確定しているわけでありますけれども、これまでに合計で13名の幹部たちの死刑が最高裁で確定しているということになります。

実は、この刑事事件の裁判におきまして、「マインドコントロール」ということが大きな論点になったわけです。それはどういうことであるかと言うと、遠藤誠一、横山真人、井上嘉浩ら多くの被告たちが、自分は松本死刑囚(すなわち麻原彰晃)から「マインドコントロール」を施されて、地下鉄サリン事件などを起こしたんだとして、だから無罪にしてくれ、あるいは死刑を回避してくれと主張していたわけです。

その主張をサポートして、助けて、なんとか死刑を逃れさせようと頑張った心理学者が、実は西田公昭ということになります。西田公昭は、井上死刑囚の鑑定書に「修行を通してマインドコントロールを受け、松本被告の命令に反することができなかった」というコメントを書いて、法廷でも自らの「マインドコントロール理論」を展開して、なんとかこれらのオウムの幹部たちが死刑を免れることができるように、一生懸命頑張ったわけです。

しかし結果はどうであったかというと、全部却下されました。「マインドコントロール下の能力減退は認められない」というのは横山死刑囚の判決の文章でありますが、それと同じような文面で、すべてこれらの主張は退けられて、上告した全被告の死刑が確定したということなんです。

普通、刑事裁判におきまして、明らかに精神病であるとか、あるいは正常な判断力を失っている、いわゆる心神耗弱状態にあるということは、きちっと専門の精神科医が鑑定をして、この人は責任能力がないと分かったら、死刑になりません。しかし、このオウムの幹部たちはそのような厳密な審査の結果、全部責任能力ありと判断されて死刑になったということですね。

これによって法廷で「マインドコントロール理論」が否定されたということなんですけれども、さらに私がここで言いたい大事なことはなんであるかというと、「マインドコントロール理論」というのは、これだけ多くの人を殺した重大な犯罪の犯人に対して、「マインドコントロールされていたんだから責任がないんだ。だから死刑にすべきではない」と言うような理論なんだということです。すなわち、責任転嫁の理論。「私の意思でやったんじゃない。マインドコントロールされていたんだ。」こんな主張が通るようになったら、犯罪を犯した犯人をきちっと裁くことはできないということになるわけです。ですから、北海道大学の櫻井義秀教授は、このオウム真理教の事件に関して「マインドコントロール」ということが語られたときに、1996年の論文で以下のように書いております。 「騙されたと自ら語ることで、マインドコントロール論は意図せずに自ら自律性、自己責任の倫理の破壊に手を貸す恐れがある。・・・自我を守るか、自我を超えたものを取るかの内面的葛藤の結果、いかなる決断をしたにせよ、その帰結は選択したものの責任として引き受けなければならない。・・・そのような覚悟を、信じるという行為の重みとして信仰者には自覚されるべきであろう。」(櫻井義秀「オウム真理教現象の記述を巡る一考察」『現代社会学研究』1996年9 北海道社会学会、p.94-95)実に妥当なことを言っていると思います。

このような「マインドコントロール理論」というのは、アメリカにおける裁判におきましても否定されています。これは実は、「モルコ、リール」対「統一教会」ということで、アメリカ版の「青春を返せ」裁判のようなものです。この裁判の過程で、1987年にカリフォルニア州最高裁判所に米国心理学会(APA)の有志が法廷助言書を提出して、同じように、この「マインドコントロール理論」は法的制度の基本的前提と一致しないんだという理論を展開しております。

すなわち、「この主張を受け入れると、これまでの法理学を大きく転覆させる可能性がある概念を導入することになる。ごくまれな例外を除いて、人は自分の行動に対して責任を負うべきであるというのが刑法学と民法学の両者の基本的前提である」と。ですから、精神病でもない限りは、自分が決断してやったことに対しては自分が責任を負うと。そうしなければ、法律というものは成り立たないのだということです。

これに関しては西田公昭自身が大変興味深い発言を1995年8月27日にしております。彼の発言を引用しますと、「それじゃあ、社会心理学者が中心になって考えているこのマインドコントロールに対する説明、考え方をお話したいと思います。まず大前提から入ります。人間を捉える大前提というのは、日本の法律なんかとは相いれない部分を持ってしまっている―というところから入らなければなりません。つまり、特に法律なんかは『人間は理性的で、自由意志というものを持っていて、何でも理性的に行動するんだ』というふうな前提をとられているようですが、私たちの立場では、全然そういう立場はないんですね」とはっきり言っているんですね。

ですから、彼の立場からすれば、人間は理性的でもなければ、自由意志というものもない。そういう前提の理論ですから、「マインドコントロールされている」という結論しか出てこないということになるわけです。これは現行の日本、そして多くの国々の法制度と完全に相容れないものだということになります。

ですから、「マインドコントロール理論」というものは、統一教会を相手取った「青春を返せ」裁判においても完全に否定されております。その最初の判決が、1998年の名古屋地裁の判決でございました。これが、「青春を返せ」裁判に対する初めての判決だったわけでありますけれども、その判決文は、明確にこのように言っております。「原告らの主張するいわゆるマインドコントロールは、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねにより一定の思想を植え付けることをいうととらえたとしても、原告らが主張するような強い効果があるとは認められない」と。最終的に控訴審で和解をしておりますが、一審判決ではっきりと「マインドコントロール」というのは効果がないと言っております。

さらに2001年4月の神戸地裁判決でも、これは統一教会が勝訴した判決でありますが、原告ら、すなわち元信者たちが「信仰に至る過程において、被告あるいは被告の教義の内容及び入信後の信者の生活や活動についての情報が不足していたとは認められず、外部との接触も遮断されておらず、被告あるいはその信者による原告らに対する勧誘、教化行為が詐欺的、洗脳的であるとはいえず、原告らは自己の主体的自律的判断において信仰を持つに至ったものであり、被告や信者らの勧誘、教化方法は違法とはいえない」とはっきり判断しておりますし、「(原告らは)主体的自律的意思決定をなしえない心理状態にあったとはいえない」、すなわち「マインドコントロール」されていたとは認められないという判決が出ているわけです。このように、日本の裁判でも「マインドコントロール理論」は明確に否定されております。

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