拡大解釈される「洗脳」「マインドコントロール」


 

 

マスコミは、だいたいこのマインドコントロール路線で、ダーッと一時期走って行ったわけでありますけれども、それに対して、「ちょっと待てよ」といった報道、あるいは発言がございました。その代表が、この人もスピリチュアルな人ではありますが、江原さんの発言ということになりますね。

3月13日発売の週刊女性に、彼は「オセロ中島騒動に異議あり! あなたは自ら選んだんです」というコメントを載せております。記事の一部を抜粋いたしますと、「今回の騒動は、『マインドコントロール』や『洗脳』という言葉がメディアを賑わせた。しかし、それはその分野の関係者らの”我田引水”でもある。テレビショッピングやコマーシャルでも、なんでも受け入れるわけじゃない。」「自分で選んだことなんだから、責任は自分にある。今回のことも自己責任で、中島さんがいいと思えば、何を信じようと自由なんです。マインドコントロールではなく、”共依存”でしょう。」「信じたほうの責任とも向き合わなければなりません。そうしなければ、その後本人が反省し、それによって向上していくという機会がなくなってしまう。」

まあ、わりとまともな発言をしているということになりますね。で、このマインドコントロールに引っ掛けて、統一教会をどんどん攻撃していくのだろうかということで見ていたわけでありますけれども、思ったほど、統一教会に対する反撃というところまでは、なかなかつながっていきませんでした。

突撃取材を試みた週刊誌の一つに、『女性自身』(3月13日発売)というのがありまして、そこで、桜田淳子さんの家庭に突撃取材をして、「統一教会の信仰は、一時期、洗脳とか、マインドコントロールとか言われていたんですけれども、どう思いますか?」ということでインタビューを試みた記事が載りました。ところが、その記事の内容は、「都内の大手紳士服店で買い物をする親子3人を見た。見る者の微笑みを誘う、仲睦まじさだ」ということで、桜田淳子さんのご家庭が、いかにも仲良さそうにしている、ということで始まったわけであります。

夫の東さんに対してインタビューをして、東さんがこう答えました。「その女性霊能者に中島さんが騙されて、お金などをだましとられているのならば、ご両親が彼女の目を覚まそうと必死になって動くのは当たり前だと思います。」しかし、自分自身の信仰のことを聞かれたら、東さんは、「あくまで自分たちは自分自身で選択して、入信、結婚した。決して教団に洗脳されたわけではない」と堂々と胸を張って答えたわけです。

「最後に、『今も幸せですか?』と改めて聞いてみると、『もちろん幸せですよ。うちの家族はね』そう朗らかに笑う東さん。夫の熱弁を桜田もうれしそうに見つめていた」と、まったく批判になっていない記事に、結果としてなったということなんですね。

さて、この問題が持ち上がった時に、もっと冷静になったほうがいいということで、ブログ上で発言した、宗教学者の島田裕巳という人物がいました。「アゴラ」というブログに、ゲストブロガーとして、このブログを書いたんですね。ちょっと読んでみます。

(引用始め)

またぞろ「洗脳」やら、「マインドコントロール」ということばが巷をにぎわしている。きっかけは、人気お笑いコンビ、オセロの中島知子さんが、霊能者と称する女性に食い物にされており、その際に霊能者は中島さんを洗脳し、マインドコントロールしていると伝えられたことに発している。

果たして、洗脳やマインドコントロールという概念をそこまで拡張して用いていいのか。さらに言えば、洗脳やマインドコントロールということはいったいどういうことなのか。ここで改めて考える必要があるかもしれない。

洗脳ということが問題になったのは、朝鮮戦争のとき、捕虜になったアメリカ人が中国共産党の手によって共産主義の思想を信じ込まされたという出来事が起こってからである。この事実に、アメリカの当局は衝撃を受け、そこから、洗脳(brainwashing)ということばが広まり、洗脳についての研究が行われるようになる。

洗脳ということば自体、比喩的な表現であり、実際に脳を洗うわけではない。その点で、いったい洗脳がどういったことなのかかなり曖昧な部分を含んでいるが、マインドコントロールとなるとさらに概念としての明確さに欠けている。

たとえば、マインドコントロールと教育はどこで違うのか、それを説明することが難しい。宗教ということで言えば、カトリック系のミッションスクールでは、信者ではない生徒に対してもミサなどの儀式への参加が強制されるなど、定期的に宗教教育が施される。対象が思春期の若者であるだけに、その影響はかなり大きい。

果たしてそれはマインドコントロールなのか、それとも教育なのか、その区別は難しい。

また、人格が十分に発達していない思春期だからこそ、宗教教育の強い影響を受けるのであって、いくら周到に洗脳が行われても、対象者が成人であると、その影響が長続きしないという面がある。実際、共産主義者になったアメリカ兵も故国に戻ってくると、すぐに洗脳から脱し、共産主義を捨てたと言われている。

この点は重要である。捕虜であるあいだは、中国共産党の言うことに従わないと、制裁を受けるなど困った事態に直面する。

だからこそ、共産主義者へと変貌していくのだが、そうした環境がなければ、共産主義者である必要はない。つまり、一定の思想やイデオロギーを注入しようとしても、洗脳される側に、あるいはマインドコントロールされる側に、それを受け入れる動機や要因がなければ、思想もイデオロギーも定着しないのである。

中島さんが、その霊能者にマインドコントロールされているにしても、そこには彼女本人の側の都合や理由があったはずである。そちらの部分が解決されない限り、状況は改善しない。

しかも、周囲がなんとかしようとしても、本人は成人であり、立派な大人である。たとえ家族でも介入は容易ではない。周囲も、いったん洗脳やマインドコントロールということばを使わずに事態を分析する必要があるだろう。

私は、あるメディアからの取材に、中島さんは、悪質なヒモにたかられているような状態ではないかとコメントしたが、霊能者ということばに引きずられて、これをカルトやマインドコントロールの問題としてとらえるのは、実態からずれていく危険性がある。おそらくこれは、中島さんのこころの問題であり、あるいは霊能者のこころの問題なのである。

(引用終わり)

こういうようなコメントを載せているわけですね。ですから、何でもかんでも「カルト」「マインドコントロール」という言葉を当てはめて考えていくと、実態から遠くなっていくんではないかという、冷静な分析をしているということになります。

さて、「マインドコントロール」という概念が曖昧である、区別が難しいということを島田裕巳は言っておりますが、実はこの「曖昧性」というのは、この「マインドコントロール」という言葉がどんどん拡大解釈されて、いろんな意味で使われるようになってきてしまっているということとも関係しております。例えば「マインドコントロール」というのはこんな言い方でも使われますね。

・GHQが植え付けた自虐史観にマインドコントロールされた日本人

・橋下徹にマインドコントロールされた大阪市民

・韓流ドラマにマインドコントロールされた日本のおばさん

・民主党のマニフェストにマインドコントロールされた愚かな国民

・霞が関の財務省官僚にマインドコントロールされる野田総理

・マスコミの偏向報道にマインドコントロールされる一般大衆

こういうような使い方が、けっこう巷でされるわけですね。ここまで概念が広がってしまうと、「マインドコントロール」って結局なんなんですかと。日本中にあるし、どこでも使われているということ。結局これは、何か強い影響力を与えているということは全部「マインドコントロール」という意味になってしまう。それは何か特殊な団体が特殊な方法でやっていることではないということになってしまう。そうなると、そもそも「マインドコントロール」ってなんなのかっていうことが、極めて曖昧になってしまうということです。

実は「洗脳」という言葉も同じように極めて広く使われることがあります。これをやったのが高橋紳吾という人で、もう亡くなっておりますけども、東邦大学医学部の元助教授で、「日本脱カルト協会」の創設者であり初代代表理事です。

彼は『洗脳の心理学』(ごま書房、1995)っていう本を書いているんですけど、その中でこういうことを言っています。

・人は知らず知らずのうちに洗脳されている

・度の過ぎるマーケティング戦略は洗脳そのものだ

・テレビCMは、もっとも効果的な洗脳ツールだ

・社員研修は企業ぐるみの洗脳だ

・研修や教育を突きつめていくと洗脳と見分けがつかなくなる

・部下の操り方や女性の口説き方も一種の洗脳だ

ここまで「洗脳」という概念が広がっていくと、何が洗脳で何が洗脳でないのかという線引きがなくなってしまう。日常の中に「マインドコントロール」も「洗脳」も転がっているということになってしまう。だったら、何をもってそれがいけないと言えるのかということが、曖昧になるのだということです。

ここから言えることは、「洗脳」とか「マインドコントロール」という言葉は極めてご都合主義的に使われているのであって、明確な定義・概念として確立していないということなのであります。

こうした事態を受けて、南山大学の渡邉学という学者が論文を書いておりますけれども、「《カルト》論への一視点:アメリカのマインドコントロール論争」(南山宗教文化研究所報第9号1999年、リンクを参照のこと)という論文の中でこう言っております。 「マインドコントロール概念は一般化すればするほど、かえって一般の信憑性を失いつつあるかのように思われる。…マインドコントロール概念は万能化されればされるほど陳腐化されざるをえない。」

例えば、「中国共産党の洗脳教育を受けた米国の捕虜4,500名のうち、中国共産党に最終的に同調したのはほんの11名しかいなかった。」ということでありますから、「洗脳」という壮大な実験は、結局失敗したのだと。そして、信者を「マインドコントロール」していると言われている新宗教の例を取ったとしても、その伝道過程で多くの者が脱落しているのであり、人の自由意思を奪って信者にすることなどは実際にできないのだと。だからこの「洗脳」とか「マインドコントロール」という理論は、非常に説得力がないということを断言しております。

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