『生書』を読む42


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第42回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。大神様の東京における活動拠点は杉並区にある慈雲堂病院であったが、4月2日から約10日間、千葉県の四街道の開拓団に移動し、そこで御説法されることとなった。この開拓団は、旧陸軍練兵場に開設されたもので、復員軍人によって構成されていた。前回はこの開拓団で語られた大神様の教えの概要を説明したが、今回はそこで起こった事件について解説することにする。

 ある夜、かつて慈雲堂に来た中島という副団長が大神様に「この開拓団内の御説法の間だけ、天皇のことには触れないようにしてはいただけませんでしょうか。団内に不穏の形勢があるのですが。」(p.296)と頼んだ。殉忠報国の思想で凝り固まった元軍人たちには、大神様の天皇に対する批評は我慢ならなかったのであろう。しかし、大神様はこれを言下に否定して、「絶対にやめない、止めるならますます言ってやる」と一歩も引かなかったのである。相手は男であり、しかも元軍人である。それでも大神様は「おれには天が下に恐ろしい者は一人もいない。」と言ってのけたのである。

 その翌日の夜、4~50名の見慣れない連中が説法場にやってきた。そこに大神様のいつもの歌説法が始まった。内容はもちろん今の天皇に対する批判である。すると歌説法が終わらぬうちに場内は騒然となってきた。怒号する者、にじり寄る者、怒鳴り出す者。しかし大神様はますます叫び続ける。ある者が下駄を投げて窓ガラスを割った。そして7~8名の者が大神様に詰め寄り、「おれらは、飽くまで天皇制を護持するのだ。いらんことをぬかすな。」(p.299)と言った。

 いまにも群集心理による暴力が起こりそうな場面である。酒気を帯びた者が懐の短刀をつかんでにじり寄ってきた。しかし不思議なことに、大神様の傍に来ると手が出せない。喧嘩を買って出た者たちも、言葉で大神様にやり込められて、捨てぜりふを残して場内から出ていくことにより、結局は暴力沙汰にはならずに済んだ。するとそれまで仁王のようであった大神様の顔は慈母のような温顔に戻り、自分を脅した者たちに対する憐みの言葉を語られたのである。彼らがいつか反省すれば救いの道に至るように、今日は縁結びをしたのだという。

 この話のポイントは、大神様が暴力による脅しに屈することなく、信念を貫いたということである。大神様は「崩れゆく文明科学の世を救うは神念じゃ。神念とは、肚に入った神様のなさるがままになることじゃ。肚だよ、肚だよ。肚さえありゃ、神様はいつでも使ってくださる。」(p.304)と言われた。大神様の教えには「肚をつくれ」とか「肚を練れ」といった内容がある。神を中心とする絶対的な信念(=神念)さえあれば、何も恐れる必要はないということだ。

 同時に大神様の思想には「非暴力」「打たれても感謝」という内容がある。それは以下の言葉に表れている。
「今日はお前ら、感心に手出しをせんじゃったのう。和をもって立ち上がる国をつくるのじゃから、わしの後をついて行じて来る者は、いついかなる時でも絶対手をだしちゃあならんぞ。殴られても合正して祈っちょれ。肚を据えて祈るところに、手出しのできるやつはおらん。」(p.305)

 これは「右のほほを打たれたら,左の頬をも差し出せ」「悪人に手向かってはならない」「剣を鞘におさめよ。剣による者は、みな剣によって滅びる」「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」などのイエス・キリストの言葉に通じる教えである。また、トルストイやガンジーに見られる非暴力主義や無抵抗主義と基本的には同じ立場である。「悪に対して悪を以って報いるなかれ」という言葉に示されるように、悪に対するに暴力的悪を以ってせず、なすままにしてその悪であることを悟らせ、改悛にいたらせようとする姿勢である。それを実践する根拠となるものが、神に対する絶対的信頼、すなわち「肚」なのである。暴力を恐れたり、それに屈したり、あるいはそれに暴力で返してしまうのは、神に対する信仰が足りず、肚がないためだということになる。

 四街道における10日の日程を過ごされた大神様は、4月13日に田布施に帰ることになった。こうして東京と四街道に神の種が蒔かれたのである。大神様は田布施に帰る汽車の車中でも説法され、それを聞いた元海軍の若者が大神様を慕って田布施までついて来た。

 大神様の留守中は、若神様と同志たちが道場を守っていた。この頃から同志の中に、邪神のおもちゃになる者が時折出て来た。それを落とすことが残された者たちにとっての信仰の訓練であり、「肚練り」であったということである。それを通して若神様や同志の法力も次第に増していった。

 その頃に不思議な現象が起き始めた。それは無我の歌などを歌っていると、それが自然に片言交じりの外国語に変わったり、英語を全然知らぬ子が、鉛筆を持たせると、英字をつづるようになったりしたのである。大神様はこれを「外霊が助かりたくて、やって来るのじゃ」と解釈されたが、これは将来起こるべき大神様の世界巡回の予兆としての意味もあるのであろう。

 最後に、本章に出てくる大神様の言葉から、大神様の自己認識に関して分析をしてみたい。これはキリスト教神学においては「キリスト論」に当たる部分だ。『生書』の中である将校が大神様に次のように尋ねた。
「皆があなたのことを大神様というて、拝んでいるが、あなたは我々とちっとも違わん肉体持った同じ人間ではないのですか。私はあなたの話に感銘して、偉い人だとは思うが、神だとはどうしても思えない。」(p.292)これに対する大神様の答えは以下のようなものであった。
「わしは誰にも大神様と言うてくれと頼んだ覚えはない。わしはいつも、小学校六年しか行かぬ百姓の女房だ、頭は空っぽのばかじゃと言うちょる。これがわしの肩書よ。それにみんなが勝手に、『大神様、大神様。』とうるさいほど慕うてくるから仕方がない。おれが偉いのじゃない。おれの肚におるものが偉いのじゃ。おれを拝めというのでも、おれを通して拝めというのでもない。おれはただみんなに、そちらに行けば生き地獄、こちらへ来れば天国じゃと、道教えをしてやるだけじゃ。」(p.293)

 大神様の自己認識は、自分を神そのものだと思っているのでもなく、神と人間の唯一の媒介体だと思っているのでもなく、ただ神について教えているだけだというものだ。言ってみれは預言者のような立場であろう。この大神様の自己認識は、新約聖書におけるイエス・キリストの自己認識とは異なっている。実はイエス当時のユダヤ人たちも、イエスは彼らと同じ肉体を持った人間であるのに、どうして天から来た存在であると主張するのかという疑問を持っていた。ヨハネによる福音書6章41-42節においてユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、イエスについてつぶやき始め、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」と語っている。確かに外的に見ればイエスは我々と変わることのない肉体を持った人間であった。

 しかし、イエスの自己認識はそれとは異なっていた。ピリポがイエスに、神を見せてくださいと言ったとき、イエスはピリポに、「わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか」(ヨハネ14:9-10)と答えられたのである。またイエスは「わたしと父とは一つである」(ヨハネ10:30)とも言われ、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6)とも言われた。

 このように新約聖書においては、イエスは自分自身を神に等しい存在として示し、神と人間の唯一の媒介体であるとしているのである。こうした記述に基づいて発達した初期のキリスト教神学においては、イエス・キリストはいわゆる教祖というような次元の存在ではなく、「神が人となられたお方」とされている。キリスト教における「正統」の範囲を決定する重要な枠組みとなっているニケア・カルケドン信条においては、イエス・キリストは「真に神であり真に人である」とされている。これは宇宙の創造主であると同時に、一人の歴史的人物であるという意味である。こうしたキリスト論の立場は、天照皇大神宮教における大神様の立場とはかなり異なるものであると言えるだろう。

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