統一神学大学院修士論文シリーズ01


緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神

 今回から、私が1994年に執筆した統一神学大学院(Unification Theological Seminary)の神学課程修士論文(Divinity Thesis)を日英二か国語でアップしようと思う。この論文は1991年から1995年まで続いた私の神学校での学びの集大成と言えるものであり、当時の私の神学的関心を表現しているものだ。私は1964年生まれであるため、1994年といえば30歳になる年である。

 私は1983年、18歳の時に東京工業大学の学生として統一原理に出会い、原理研究会(CARP)の一員として大学時代を過ごした。1987年に卒業後、1年半はCARPに残って後進の育成に携わったが、1988年に6500双の祝福を受け、翌年「コリア人」として韓国に渡った。韓国における活動は世界日報の新聞配達と拡張、そして伝道であった。1989年に日本に帰国して、東京の武蔵野市で伝道活動に携わっていたが、1991年8月に自ら志願して統一神学大学院(UTS)に入学した。26歳であった。

 ちなみに、私が在学していた当時の統一神学大学院は、必ずしも統一教会の教義のみを教えるところではなかった。一般のキリスト教の神学校で教えられているような聖書学、組織神学、キリスト教会史、哲学、心理学、宗教教育学などを幅広く学ぶことができた。教授たちの中には、カトリック、プロテスタント、ギリシア正教、その他バラエティーに富んだ宗教的背景をもつ人々が含まれていた。

 神学校で学ぶということは、私にとっては一つの「知的試練」でもあった。それまでは逐語霊感説的にはとらえていなかったものの、わりと純粋に聖書の言葉を受けとめていた私にとって、聖書批評学という懐疑的な学問はかなり衝撃的であった。一般のキリスト教においても、牧師になるために純粋な動機で神学校に行ったクリスチャン青年が、神学校で学んでいるうちに信仰を失ってしまうという話はあるらしい。さらに組織神学や教会史などを通して、既成キリスト教の考え方と統一原理の考え方を相対的に比較するという視点が生まれた。その中で統一原理が「真理」であるということがいかに保証されるのか、真剣に悩んだ時期でもあった。結果的には、そうした「知的試練」を通過しても私は信仰を失うことはなく、逆に信仰が深まったと思っている。

 UTSで私は英語と神学を学んだが、そのことが私のその後のキャリアを大きく開くこととなった。今日、UPFの事務総長としての職責に就いているのは、神学校で学ばなければあり得なかったことである。在学中は自分なりに熱心に勉強したつもりであり、卒業時には「Magna Cum Laude」という成績優秀の称号をいただいた。いま思い出しても、UTSには良い思い出しかなく、そこで学べたことにとても感謝している。

 私の若き日の思考の記録をインターネット空間に残しておきたいという意図もあり、このたび修士論文の内容を個人ブログでアップすることにした。論文のタイトルは「緊張と統合:内村鑑三におけるキリスト教と日本の精神(Tension and Synthesis: Christianity and the Japanese mind in Kanzo Uchimura)」である。第一回の今回は、日本語と英語で目次を掲載しておきたい。これにより、これからのシリーズでどんなことが論じられるかを垣間見ることができるであろう。

目次
序論 
1.土着化の問題
  A.純粋信仰と文化的形式
  B.キリストと文化
2.アメリカの宣教師と日本のキリスト教徒
  A.第一段階:幸福な出会い
  B.第二段階:不和の発生と独立の為の戦い
  C.第三段階:無教会運動の出現
3.無教会運動における司牧の概念
  A.無教会の教会観
  B.無教会の専従牧師観
  C.無教会の典礼観
4.日本文化とキリスト教の統合
  A.土着化に対する無教会の見解
  B.武士道とピューリタン主義の統合
  C.神道と禅宗
5.無教会運動の構造
  A.師弟関係に基づいた聖書研究会
  B.反組織原理
6.無教会と日本社会
  A.明治時代の宗教的状況
  B.不敬事件
  C.不敬事件後の内村
  D.内村以後のキリスト教
7.無教会運動の評価
  A.日本の宗教的伝統における無教会の位置
  B.他律に対する自律的反動としての無教会
結論

Table of Contents
Introduction
I. Problem of Indigenization
A. Pure Faith and Cultural Form
B. Christ and Culture
II. American Missionaries and Japanese Christians
A. First Phase: Happy Encounter
B. Second Phase: Development of Incompatibilities and the Struggle for Independence
C. Third Phase: The Emergence of the Non-Church Movement
III. Concept of Ministry in Mukyokai Movement
A. The Mukyokai View of the Church
B. The Mukyokai View of Professional Ministry
C. The Mukyokai View of Sacrament
IV. Synthesis of Japanese Culture and Christianity
A. The Mukyokai View of Indigenization
B. Synthesis of Bushido and Puritanism
C. Shinto and Zen Buddhism
V. Structure of Mukyokai Movement
A. The Bible Study Group Based on Teacher-Pupil Relationship
B. Anti-Organization Principle
VI. Mukyokai and Japanese Society.
A. Religious Situation of the Meiji Period.
B. The Lese Majesty Incident.
C. Uchimura After the Lese Majesty Incident.
 D. Christianity After Uchimura.
VII. Evaluation of the Mukyokai Movement.
A. Locus of the Mukyokai in the Japanese Religious Tradition.
B. The Mukyokai as the Autonomous Reaction against Heteronomy
Conclusion

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