『生書』を読む36


第八章 開元の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第36回目である。第31回から「第八章 開元」の内容に入った。本章では山口日ケン(ケンは田に犬)という法華経の行者とのやりとりに長い紙幅が費やされており、その中で大神様の教えが説かれている。前回は大神様が過去の宗教的な経文や文献を否定し、山口氏が大切にしてきた法華経の経文や、護符や、日蓮上人の御遺文などを焼いてしまった件について説明した。それは、本物の救世主が現れたことによって新しい時代に入ったので、過去の宗教的経典やシンボルがその使命を終えて、もはや無用のものとなったことを意味していた。

 山口の経文の焼却が済むと、今度は北村家の仏壇から、御文書を出され、また神棚の上にあった護符やお守りをすべて下ろされ、ただ天照皇大神宮の大麻だけを残してみな焼いてしまったというのである。しかも、一つだけ残したのも別に執着があったからではなかった。「天照皇大神宮の大麻も、今にいらなくなるのじゃが、一時に何もないようにすると、みんなの者が迷うから、一つだけ残しておいてやろう。」(p.239)ということであるから、それとても方便であり、究極的には偶像にすぎないということなのであろう。

 この行事が行われた2月5日を、天照皇大神宮教では「いっさいの既成宗教と縁切れの日」(p.239)としており、大神様自らが「偶像破壊」を実践された日である。ここには天照皇大神宮教の一神教的な性格が表れている。一神教においては、神は唯一であり、その他に神を名乗る者はみな偶像であり、偽りの神であるから、破壊されなければならないのである。旧約聖書の預言者たちはバアルやアシュラの像を破壊し、それらは神ではなく人間が掘った木の像に過ぎないと断罪した。根本主義のキリスト教においては、仏壇も神棚も偶像であって、キリスト教の信仰とは両立しないものであるので、家から取り除かなければならない。イスラム教においては最も厳しく偶像が否定されており、ムハンマドの絵を描くことさえ許されていない。極端な例としてはアフガニスタンのタリバンによるバーミヤン大仏の破壊がある。そこには他の宗教との共存とか、他の信仰に対する寛容といった概念はないのである。

 同様に、大神様もエキュメニカルなタイプではなかったようである。自分の信仰に対する強い確信のゆえに、どこか唯我独尊的なところがあり、他の宗教と対話をしたり、そこから何かを学ぼうという姿勢は感じられない。他の宗教と協力したり連携したりするという発想もないようだ。このことは、現役信者である春加奈織希(本名ではなくウェブ上の匿名)による「遥かな沖と時を超えて広がる 天照皇大神宮教」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~harukanaoki/index.html)の以下の記述を見ても間違いなさそうである。
「天照皇大神宮教は他の宗教とは一切関係せず、他の教団や宗教連盟などとは絶対に手を組んだりしない、と大神様は仰せになりました。

それは現在も、堅持されているはずです(「絶対に」という語句は、当管理人の記憶では、この件についての大神様の神言です)。

 本サイトの随所で説明したように、天照皇大神宮教の教えは、教祖・大神様の肚に宇宙絶対神が降臨されて、大神様の口を通じて人類に直々に授けられた教えです。教祖はそれまで、他の宗教についての知識も実践もほとんどありませんでした。

天照皇大神宮教は、人間が伝え、受け継ぎ、作ってきた他の宗教とは異なります。他の宗教との連携などありえません。」
「ですから、宗教法人・天照皇大神宮教は、他の教団と何らかの連携やかかわりがあるのではないかという見方は、大変な誤解です。」

 こうした大神様の「既成宗教と縁切れ」の思想や、天照皇大神宮教の他宗教に対する態度は、文鮮明師の思想と統一運動の方向性とは大きく異なっている。文鮮明師も同じ一神教の伝統に属する教えを説いているが、他宗教を否定するような態度は見られない。文鮮明師はむしろ生涯をかけて宗教間の和解と調和のために働いて来たと言っていいであろう。すなわち、神のみ旨を成就するためには宗教間が争っていてはならず、互いに和解し協力しなければならないと説いてきたのである。

 文鮮明師が最初に設立した組織は「世界基督教統一神霊協会」であった。その趣旨はキリスト教の新しい教派を立ち上げることにあったのではなく、教派分裂によってバラバラに分かれているキリスト教を一つにまとめるための「協会」すなわちアソシエーションであった。初期の統一教会は既成キリスト教に対して超教派運動を熱心に展開した。やがてその対象はキリスト教の枠を超えて、ユダヤ教やイスラム教の指導者をも招待した「神観会議」を開催するようになり、世界宗教議会、宗教者青年奉仕団などの活動では、諸宗教に広く連合を呼び掛けた。すなわち、既成宗教と縁を切ったり他宗教との連帯を否定するのではなく、むしろ積極的に宗教の連帯を呼びかける立場にあったのである。

 文鮮明師のこうした活動の成果物の一つが、世界の主要な宗教の経典の言葉を、テーマごとにまとめた『世界経典』である。これにより、世界の諸宗教の教えの約七割は同じことを言っており、残りの三割が各宗教の特徴を表す言葉であることが明らかになった。大部分同じことを言っているにも関わらず、なぜお互いに争うのかを各宗教が内省する機会を、『世界経典』は提供したのである。

 文鮮明師は、互いに争っている宗教間の和解を促進する運動も展開したが、その代表が2003年以来、ユダヤ教、キリスト教、イスラムの聖職者らが参加し、イスラエル、パレスチナ自治区、ヨルダン、レバノンなどで継続的に開催されている「中東平和イニシアチブ」である。エルサレムにおける中東三大宗教の和解の儀式として始まったこの運動は、いまやシリア問題やパレスチナ問題など、具体的な問題に対する解決策を討議するフォーラムに発展している。こうした活動は、宗教は互いに争ってはならず、むしろ神のみ旨を成就するために互いに協力しなければならないという文師の思想に基づくものである。

 さて、話を山口氏と中山氏に戻すと、彼らは数日間大神様の下で説法を聞いたのち、完全に同志となり、東京に戻ってこの教えを広めることを決意するようになった。
「両人は、さっそく東京に帰り、聖道会や同志会や政治同盟の人々に、大神様のことを伝えなければならない、日蓮宗の宗門全体をこの道に入れねばならぬと考えるのであった。」(p.241)

 彼らが東京に向けて出発する際には、三百名ほどの同志が集まって駅前で無我の舞を行い、盛大に送り出すことになった。『生書』には、「(昭和)二十年七月二十二日説法開始以来、初めての街頭進出である」(p.242)であると記されていることから、これまでは道場でのみ説法していた新しい宗教が、いよいろ街頭に繰り出して自分を表し、日本の首都である東京で教えを広める足がかりを見出したということである。まさに神の導きによる、絵に描いたような教団発展のプロセスと言ってよいだろう。天照皇大神宮教は山口県の田布施という片田舎に留まっている小さな新宗教から、いよいよ全国的な宗教となるための第一歩を踏み出したのである。

 山口氏と中山氏が東京に旅立った翌日、昭和21年2月10日の朝のことである。大神様が水行をしておられるときに、新たな祈りの詞が神から与えられた。それは以下のようなものである。
天照皇大神宮 八百万之神
天下太平 天下太平
国民揃うて天地のお気に召します上は
必ず住みよき神国を与え給え
六魂清浄 六魂清浄
我が身は六魂清浄なり
六魂清浄なるが故に
この祈りのかなわざることなし
名妙法連結経 名妙法連結経 名妙法連結経

 この祈りは神ご自身が与えて下さった祈りであるとされ、大神様はその日から、他のいっさいの祈りは廃止され、この祈り一本で行くことを宣言された。これは一種の「定型祈祷」であり、キリスト教における「主の祈り」に当たるものである。祈祷の形式が定まったということは、一つの宗教としての基本形ができたということであり、ここから本格的な布教活動が始まることになる。

 以上で「第八章 開元」の部分は終わる。次回から「第九章 第一回御出京」に入る。

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