Moonism寄稿シリーズ11:2021年1-2月号


 私がこれまでに「UPFのビジョンと平和運動」と題してWorld CARP-Japanの機関誌『Moonism』に寄稿した文章をアップする「Moonism寄稿シリーズ」の第11回目です。World CARP-Japanは、私自身もかつて所属していた大学生の組織です。私が未来を担う大学生たちに伝えたい内容が表現されていると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。今回は、2021年1-2月号に寄稿した文章です。

第11講:韓半島の南北統一を推進する統一運動

 韓半島はいまだに冷戦構造が終焉していない世界でも有数の地域であり、大国の利害が絡み合った「世界の縮図」とも言える地域です。今回は韓半島の南北分断がどのように始まり、統一に向けてどのような試みがなされてきたのかを概観したうえで、文鮮明総裁・韓鶴子総裁の主導する南北統一運動を紹介します。

<南北分断の経緯と統一論の変遷>
 韓半島が南北に分断された直接の原因は、第二次世界大戦が終了した1945年に、それまで日本が統治していた韓半島を、北緯38度線を境として米国とソ連が分担して占領したことにあります。1946年には「米ソ共同委員会」が開催され、統一臨時政府樹立を目指しましたが、結局は意見が対立して決裂し、分断が固定化されてしまいました。

 1948年に南北それぞれの国家が樹立された直後の「南北統一論」は、南も北も武力による統一を公言していました。南の李承晩大統領は「失地回復論」を掲げ、共産主義者により占領された北部を取り戻すことを宣言しました。北の金日成首相は「革命基地論」を掲げ、南部で革命を起こすために北部をその基地とすると言いました。これはどちらも「統一のためなら武力衝突も辞さない」とする強硬姿勢であり、この対立は1950年6月25日の朝鮮戦争勃発によって火を噴きました。

 多大なる犠牲を払った朝鮮戦争が休戦状態となった翌年の1954年4月、南北が統一を議論するジュネーブ会議が開かれましたが、監査役としての国連の役割に関する両陣営の態度・評価がまったく異なり、合意点を見いだせないままに決裂しました。しかし1972年には米国と中国の和解を背景として「南北共同声明」が出され、武力によらず平和的方法で統一すべきだという合意がなされます。その後、北側は「北南連邦制」を、南側は「南北連合制」を主張しながら意見が対立してきましたが、2000年に金正日委員長と金大中大統領による史上初の南北首脳会談が行われるなど、大きな流れとしては南北は徐々に歩み寄ってきたと見ることができます。

<韓国の歴代政権の南北統一政策>
 韓国の歴代政権の南北統一政策を概観すれば、①先建設・後統一政策、②北方政策、③太陽政策の三段階に大別することが可能です。朴正熙政権(1961~1979)は、南主導で統一するためには韓国の経済力・技術力の近代化が必要であると考え、日韓国交正常化を通して日本からの経済協力金5億ドルを受け取り、それを用いて「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を推進しました。このように、まずは国家を再建して、あらゆる面で北朝鮮を凌駕した後に統一を図るという考え方を「先建設・後統一政策」と言います。

 全斗煥政権(1980~1988)と盧泰愚政権(1988~1993)は、韓半島の平和を定着させる条件を造成するために、韓国がソ連・中国を初めとした社会主義国との関係改善を追求すると同時に、北朝鮮が日本や米国などの韓国の友邦との関係を改善することを助けるという、「北方政策」を展開します。1987年から92年にかけて、韓国は東欧諸国、ソ連、中国と、次々に社会主義国と国交を樹立していきます。これによって、北朝鮮は韓国の外交戦略によって包囲されてしまった形となり、国際的孤立を避けるために米朝国交正常化、日朝国交正常化に向かわざるを得なくなりました。

 こうした土台の上に、金大中政権(1998~2003)と盧武鉉政権(2003~2007)による「太陽政策」が実施されるようになります。この太陽政策に対しては韓国内でもいろいろな評価があり、「一方的に北朝鮮に対して経済援助をしても、結局北朝鮮は核実験をしたではないか」という批判も受けました。しかし、その前の政権の「先建設・後統一政策」と「北方政策」を背景としてみれば、南北統一に向けての最終段階の政策として位置付けることができるのではないかと思います。文在寅大統領の対北朝鮮融和政策も、「太陽政策」の延長線上にあるものと言えます。

 南北統一の前提となる米朝交渉、日朝交渉、そして南北交流はこれまで挫折と再開を繰り返してきました。2018年6月の米朝首脳会談を契機に、南北統一の機運が一時期高まりましたが、現在はまた閉塞状態に戻りつつあります。

<文鮮明総裁の南北統一運動>
 文鮮明総裁は、南北の分断は韓民族の意思によってなされたのではなく、強大国によって引き裂かれたのであるから、韓民族の力だけでは南北統一をなすことはできず、強大国が南北統一に協助する道を開かなければらないと語っています。文総裁の南北統一論は、①防衛、②解放、③統一の三段階からなっています。

 文総裁はまず、韓国と日本に国際勝共連合(1968年)を創設して、共産主義の脅威からアジアを守る運動を展開しました。そして米国にワシントン・タイムズ(1982年)を創設して戦略防衛構想(SDI)を促進し、その上でソ連のゴルバチョフ大統領と会談(1990年)することによって、冷戦を終結に導きました。さらに1991年に北朝鮮を訪問し、金日成主席と会談することによって、南北統一に向けての道筋をつけたのです。

1991年12月6日、北朝鮮のマジョン主席公館の玄関口で歓迎のために出迎えた金日成主席=右=と抱擁する文鮮明

1991年12月6日、北朝鮮のマジョン主席公館の玄関口で歓迎のために出迎えた金日成主席=右=と抱擁する文鮮明

 組織としては、韓国に南北統一運動国民連合(1987年)を創設し、日本国内には在日同胞の和合を通して南北統一を促進する組織である平和統一聯合(2004年)を創設しました。日韓友好と南北統一のために自転車縦走を行うPeace Road運動も、韓国では民間次元の南北統一運動として位置づけられ、政府からの支援を受けています。

<2020年は朝鮮戦争勃発70周年>
 2020年は朝鮮戦争勃発70周年を迎える節目の年でした。韓国国内では、南北統一運動国民連合の主催で「統一時代準備のための民間統一運動の役割」をテーマとする「2020南北統一祈願国民大討論会」が10月から11月にかけて全国各地で開催されました。11月22日に全世界をオンラインで結んで行われた「第3回希望前進大会」では、北朝鮮の侵略から韓国を守るために戦った22カ国の国連軍兵士たちを顕彰するためのリトル・エンジェルス公演が行われ、参戦勇士を慰労する午餐会も行われました。

2020年11月24日、「朝鮮半島情勢と日韓関係の展望」をテーマにUPF-Japanが主催したILCオンライン特別懇談会

2020年11月24日、「朝鮮半島情勢と日韓関係の展望」をテーマにUPF-Japanが主催したILCオンライン特別懇談会

2020年11月23日、UPF-Japanが主催したILCオンライン特別学習会で「神統一韓国論」を講義する秦聖培・孝情学術苑苑長

2020年11月23日、UPF-Japanが主催したILCオンライン特別学習会で「神統一韓国論」を講義する秦聖培・孝情学術苑苑長

 また、大会を前後して世界各国のUPFが主催するオンライン会議が行われ、各界各層の指導者たちが韓半島の平和的統一のためにどのような貢献ができるかについて議論しました。韓半島の南北統一は神様の悲願であり、世界の諸問題を解決する鍵であるという視点から、統一運動は今後も南北統一の為に尽力し続けるでしょう。

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