『生書』を読む02


「序」の続き

 前回より、日本の新宗教研究の一環として、天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るというシリーズを開始した。初回である前回はこのシリーズを始めることにしたいきさつや、私の立場について解説した後に、「序」の内容に入った。『生書』が書かれた時代背景の話をしたところで前回は終了した。今回はその続きである。

 実際に『生書』を読んで思うのは、天照皇大神宮教に対するキリスト教の影響ということである。島田裕巳は著書『日本の10大新宗教』の中で、天照皇大神宮教の教えは「神道と仏教の教義の素朴な寄せ集め」(p.92)であると言っている。教えの言葉にも神道や仏教を背景とした用語が多く、大神様の実家が浄土真宗であることや、初めの神憑り体験が真夜中に神社に日参する「行」を行っていたときであることから、直接触れていた宗教伝統は仏教と神道であったと思われ、キリスト教との接触はなかったかのように語られている。しかし、それにしてはキリスト教の影響を否定できないような要素が多いのである。

 「絶対神天降られて、世の初めが来たのである。」(p.1)という言葉はメシヤの降臨を思わせ、「ヨハネによる福音書」の冒頭を彷彿させる。大神様が神そのものの顕現であるとされているのと同様に、キリスト教においてはナザレのイエスこそは神ご自身が人となってこの世に顕現された方であると信じられている。「いっさいの正しからざる者は神の審判を受け、真心ある者は神にめとられて、神の子に再生する時が来たのである。」(p.1)という言葉は、キリストの再臨に伴う最後の審判とメシヤによる新生というテーマに通じている。「真心ある者は神にめとられて」という表現は、神と信仰篤い信者たちとの婚姻関係を示唆しているが、キリスト教にもクリスチャンたちは性別を問わず「主の花嫁」であるという考え方がある。「神の福音を伝えるための書である。」という『生書』の位置づけは、新約聖書の「福音書」とまったく同じである。

 天照皇大神宮教の集会では、最後に「祈りの詞」というものを揚げるが、その中には「神国(みくに)を与えたまえ」というキリスト教の主の祈りにそっくりな言葉がある。天照皇大神宮教では、大神様と釈迦とキリストを、宇宙絶対神に使われた三人の救世主であると認めている。なぜか、マホメットと孔子は入っていないのに、イエス・キリストは救世主として認めているのである。キリスト教を敵対視していたり、何の興味も抱いていないのであれば、このような表現が出てくるとは考えづらい。少なくともキリスト教に対する敬意を持っていなければ、このようなことは言わないはずである。

 そもそも『生書』という経典の名前自体が、『聖書』をもじったものではないかと考えられる。天照皇大神宮教の教えには、仏教で説く「六根清浄」によく似た「六魂清浄」、「南無妙法蓮華経」によく似た「名妙法連結経」などの言葉が登場する。天照皇大神宮教を批判する者たちは、これらを既存の仏教用語を勝手にもじった造語に過ぎないと言って批判しているが、これに対して天照皇大神宮教側は、たまたま音が似ているだけでまったく無関係であると反論している。既に前回のシリーズで述べたように、私はこの論争でどちらか一方に与するつもりはないが、神の福音を伝えるための書である『生書』が、キリスト教の『聖書』にヒントを得たものである可能性は十分にあるとだけ言っておこう。

 『生書』の序文が書かれたのは、大神様が道を説き始めてから5年余の歳月が流れたころであるとされている。教祖の存命中に、しかも活動を始めてから5年程度で経典の編纂が始まり、第一巻が出版されたというのは、かなり早い段階から教えの文書化・体系化が始まったと言ってよい。文鮮明師の場合には、公的な布教活動を始めたのが1945年で、『原理原本』を執筆したのが7年後の1952年である。『原理原本』は公的に出版されなかったが、『原理解説』が韓国で出版されたのが1957年(12年後)であり、『原理講論』が出版されたのは1966年(21年後)である。文師はこの間に北朝鮮の興南収容所で獄中生活を送ったり、朝鮮戦争の勃発に伴う避難生活を送るなどの激動の人生を歩んでいるため、単純には比較できないが、教えの文書化・体系化という点で天照皇大神宮教がかなり速かったということは言えるであろう。

 『生書』と『原理講論』は終わりの部分がよく似ている。第一の共通点は、これは真理全体ではなく、その一部を弟子たちが編纂したものであるとして、書物としては完璧でも完全でもないことを認めている点である。
「しかしながら神言、神業は、時と所と相手次第で、まことに自由無碍であり、かつ神教は時とともに、より深く、より広くなり、人知をもって計り知ることができないものである。したがって過去における大神様の御足跡、御説法のすべてを、この一書に網羅することはとうてい不可能である。また編者の微力の致すところ、かえって御神徳を傷つけることなきかと、恐懼するものである。」(『生書』p.2-3)
「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」(『原理講論』三色刷、p.38)

 第二の共通点は、それでも真理の言葉が明らかにされ、一冊の本にまとめられたことは良いことであるとされ、み言葉が全世界に述べ伝えられ、人々の救済に役立つことを願っている点である。
「ともあれ、大神様のご指導と、同志一同の真心からなる協力とにより、神教、御足跡の大要をここに収録し得たことは、やはり神のご配慮の賜物と深く感謝するとともに、本書の発刊により、一日も早く神の国が建設されんことを祈念してやまぬ次第である。」(『生書』p.3)
「暗い道をさまよい歩いてきた数多くの生命が、世界の至る所でこの真理の光を浴び、蘇生していく姿を見るたびごとに、感激の涙を禁ずることができない。いちはやくこの光が、全世界に満ちあふれんことを祈ってやまないものである。」(『原理講論』三色刷、p.38)

 最後に、『生書』と『原理講論』の書物としての性格を比較してみたい。まだ通読したわけではないが、『生書』の目次をざっと見て分かることは、これは教団の公式な「教祖伝」であるということだ。新約聖書の「福音書」に比べると、分量がずっと多く、記述が詳細であり、正確な年月日が記されており、4つに分かれているわけではないという違いがあるものの、教祖の誕生から始まって死に至るまでの生涯について記述しているという点では、『生書』は福音書に近いと言えるだろう。

 一方で、『原理講論』はキリスト教でいえば組織神学に当たる教理の解説書であり、文鮮明師の生涯については何も語っていない。旧約聖書や新約聖書を引用しながら、創造、堕落、終末、メシヤ、復活、予定といった具合に組織神学のテーマとなっているような議論がなされているのである。

 家庭連合の修練会でいえば、『生書』は「主の路程」に該当するものだ。考えてみれば、家庭連合には文鮮明師と韓鶴子総裁の「自叙伝」はそれぞれ存在するが、公式な「教祖伝」が存在しない。それに最も近いのが『真の父母様の生涯路程』になるだろうが、これは文鮮明師が自分の生涯について語った言葉を編纂したもので、第三者が客観的な立場からまとめた「教祖伝」ではない。修練会で語られる「主の路程」は口伝のようなものであり、講師によって強調点が異なる非公式なものである。どうして家庭連合には公式な「教祖伝」が存在しないのか、『生書』を読んで改めて疑問に思うようになった。これもまた一つの発見である。

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