書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』198


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第198回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第一〇章 『本郷人』に見る祝福家庭の理想と現実」の続き

 第194回から「第10章 『本郷人』に見る祝福家庭の理想と現実」の内容に入った。この章の二番目の目的は、『本郷人』が信者教化に果たしている役割を分析することにあった。「五 統一教会的思考の枠組みの維持・強化に果たす『本郷人』の役割」は、まさにこの目的のために設けられた説である。中西氏によれば、『本郷人』には①復帰摂理の歩みや原理の確認によって教義面で信仰を強化する役割と共に、②証しやアドバイスによって信者の実生活上の諸問題の解決を示し、信者の精神や生活を安定させる役割があるという。前回は前者の分析を扱ったが、中西氏の批判はあまり意味のない言いがかり的な主張であった。今回扱う「4 証し、カウンセリング記事」に関する批判は、彼女なりの問題意識が表現されており、より読み応えのあるものになっている。

 『本郷人』のアドバイスやカウンセリングの記事に対する中西氏の批判の中心は、夫婦関係や妻としての姿勢に関するものに集中している。
「アドバイスでは、夫を立てること、受容すること、夫を変えるためにはまず妻が変わること、愛される妻になることなどが求められている。」(p.537-8)
「アドバイスの傾向として、夫に変わることを求めるのではなく、妻が下手に出る、妻が変わることによって夫自らが変わるように仕向けるということを説く。たとえ夫に問題があっても問題の所在を妻に求め、妻に忍耐と努力を求める。」(p.540)

 これらは夫の関係を良好に保つための対処法的アドバイスだが、対処する方向には向かわないようなアドバイス、すなわち現状に甘んじるしかない態度を形成するように仕向けるアドバイスも見受けられると中西氏は分析する。

 こうした「妻が下がる」や「夫を立てる」などは統一教会独自のものではなく、戦後発展した日本の新宗教教団においても説かれた女性の徳目であったことは中西氏も承知している。その意味で、これも特に珍しい現象ではないという解釈も成り立つのだが、中西氏はそのようには捉えない。それはそもそも韓日祝福家庭の形成には統一教会が深く関わっており、大変な夫婦関係を作り出した主要な責任は統一教会にあるのだから、それは個人の処世術というよりは、教団運営の都合から来ているのではないかということだ。すなわち、韓日祝福家庭を存続させるために、日本人女性信者に対して現状受容と自己否定を要求しているのではないか、ということだ。

 一方で、厳しい現実のゆえに日本人女性たちは苦労することに慣れた「不幸体質」に陥っており、そこから脱却するための「ポジティブシンキング」を説くようなアドバイスもあるという。生活の中で小さな喜びや感謝を見つけ出し、それをあえて口に出して唱え、そのような感性を増幅させることによって希望を見出そうというような内容である。

 中西氏は、韓日祝福家庭が抱える「生活が苦しい」「夫婦関係がうまくいかない」などの問題は、統一教会における結婚の特殊性と韓国の社会構造に起因するものなので、こうしたアドバイスを日本人女性たちが実践したとしても根本的な問題解決にはならないと批判する。問題解決を日本人女性の忍従と努力にのみ求めるアドバイスか、現状を受容するだけの「諦念のアドバイス」にしかなっていないというのである。

 さらに中西氏は、夫の問題や夫婦生活の問題の解決法において、女性に対して忍従を強いる際に『本郷人』が持ち出す神学的理由づけも気に入らないようだ。それは①人類堕落の原因を作ったのはエバであり、女性であったという観点と、②日本は韓国を植民地支配した国なので、それを償う使命があるという観点だ。日本人女性は、二重の意味で罪を償う立場から逃れられない存在になってしまっている。こうした日本人女性の立場は、中西氏の同情の対象になっており、本章の結論部分である「六 『本郷人』に見る韓日祝福家庭の姿と信仰強化のあり方」において、中西氏は以下のように述べている。
「信仰の自由のもとにいかなる教説であれ尊重されなければならないし、日本人と韓国人が国際結婚をして家庭レベルで日韓のわだかまりを解消しようというのはわかる。しかし統一教会の教説は日本人女性信者にとってはあまりに過酷なものではないだろうか。」(p.551)

 中西氏の思想的傾向はよくわからないものの、フェミニズムの影響を受けた者であれば、『本郷人』の女性に対するアドバイスは旧態依然とした家父長制社会を背景としたものであり、到底受け入れられるものではないだろう。ただし、韓日家庭が両国のわだかまりを解消しようとしている点は評価しており、アンビバレントな一面も見せている。

 中西氏は日本人の女性として調査対象と属性を共有しており、感情移入しやすい立場にある。同じ日本人女性が異国の地で孤軍奮闘しているにも関わらず、韓国人の男性は責任を追及されることはなく、教団も具体的な問題解決を図るのではなく、日本人女性に現状を受け入れるようアドバイスしている状況を理不尽に感じたのであろう。それは理解できる。ただそれは、信仰を共有しないがゆえにそのように見えるのだ、という点を指摘しておきたい。

 韓国に嫁いだ統一教会の日本人女性たちは、「悲劇のヒロイン」ではない。そもそも彼女たちは騙されて韓国に嫁いだわけではなく、苦労を承知の上で自分の意思で韓日祝福を選択したのである。彼女たちはただ苦労するために韓国に嫁いできたのではなく、神によって召命された者として、勝利者になるために韓国にやってきた。それは以下のような統一教会の教義に基づく主体的な決断である。
①幸福の源泉は愛することにあり、それは他者の為に生きることである。
②統一教会の食口は地上天国実現のために召命された者であり、この地上の存在するあらゆる問題を解決する代表的な使命を背負っている。
③自分は「歴史の結実体」であり、歴史的な罪を清算すべき使命がある。
④罪の清算には「蕩減」が必要であり、それは罪の償いのために苦労することである。
⑤日本と韓国の間には、清算しなければならない歴史的蕩減内容がある。
⑥自分は「氏族のメシヤ」であり、家族・親族の中に神を迎える勝利者にならなければならない。
⑦女性は男性の前に対象であり、男性を通して神の愛を受ける立場である。
⑧復帰のプロセスにおいては、女性が男性を生みかえて神のもとに返す使命がある。

 もし彼女たちの韓日祝福が自らの意思に反して強いられたものであったら、中西氏が目撃したような平穏無事な暮らしさえも不可能であっただろう。しかし、統一教会の日本人女性たちの多くは、信仰に裏付けられた主体性を持つ、たくましい人々であった。中西氏自身も認めているように、韓国に嫁いできた目的を見失うことなく努力を重ね、舅姑から良い嫁として認められたり、地域社会から「孝婦賞」を受けた者も多い。大統領賞や法務部長官賞などの名誉ある賞を受けた者もいるし、社会的に活躍している日本人女性も多い。このように勝利した女性たちに対しては、「統一教会の教説は日本人女性にとってはあまりにも過酷なものではないだろうか」という彼女の発言はまったく当てはまらず、「余計なお世話」に過ぎない。むしろ彼女たちは統一教会の教説によって自己実現し、充実した人生を歩んでいるのである。中西氏は、信仰者の主体性と強さを過小評価しているが、これは彼女自身が信仰を共有しないために見えてこない世界なのであろう。

 しかし一方で、中西氏の主張に共感できるような状況を背負った韓日祝福家庭も存在することも事実である。以前も一度述べたが、祝福は本来ならば男女とも信仰を動機としてなす結婚であるべきである。しかし、韓国統一教会には日本人女性の相手となる十分な数の男性信者がいなかったので、日本人の女性信者の相手を探すために、結婚難に苦しむ田舎の男性に声をかけるということを始めた。信仰のない男性に嫁がせることに対する不安や批判は当然あったと思われる。しかし日本の女性信者は優秀で信仰が篤いので、そうした男性をも教育して最終的には伝道することを期待して、こうしたマッチングが行われた。しかし、それにも限度があり、個人としては負い切れないような十字架を背負った女性たちを生み出してしまったこともまた事実である。それは特に36万双(1995年)においては顕著であり、単に信仰がないだけでなく、お酒やタバコの問題、定職がなく経済的に困窮している、夫から暴力を受ける、などのさまざまな困難に直面した女性がいたことも聞いている。結婚難に苦しむ韓国の農村男性に祝福を受けさせる場合には、まず結婚不適合者でないかどうかをきちんと調査し、最低限の原理教育を行ってから祝福を受けさせるべきであったにもかかわらず、祝福の数を追求するあまりに、それをきちんとしなかったことは問題であった。そうしたケースにおいて、個人としては負い切れないような十字架を背負った女性たちの状況は確かに「過酷」であり、『本郷人』のアドバイスの一部は、それに対するフォローアップの役割を果たしていると言える。しかし、それは在韓の日本人女性全体を代表する事例ではないことを理解する必要がある。中西氏の分析は、こちら側の事例を普遍化して韓日祝福家庭全体を論じている点で間違っている。

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