書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』197


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第197回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第一〇章 『本郷人』に見る祝福家庭の理想と現実」の続き

 第194回から「第10章 『本郷人』に見る祝福家庭の理想と現実」の内容に入った。この章の二番目の目的は、『本郷人』が信者教化に果たしている役割を分析することにあった。「五 統一教会的思考の枠組みの維持・強化に果たす『本郷人』の役割」は、まさにこの目的のために設けられた説である。中西氏によれば、『本郷人』の役割には以下の三つがある。

「①行事や儀式開催の記事は理想世界実現のための復帰摂理が実際に進行していることを伝える。
 ②行事や儀式で語られた文鮮明の御言葉から信者は家事育児に追われる中にあっても統一教会の教えを再確認できる。
 ③証しは同じような境遇にある信者を勇気づけ、家庭生活や夫婦生活についてのアドバイスの記事は悩みの解決や生活指針となる。」(p.530)

 宗教団体の発行する新聞に教団主催の行事に関する記事、教祖の言葉、信者の証しなどが掲載されるのは当たり前のことなのだが、中西氏はここであえて日本と韓国の違いを強調して『本郷人』の役割を分析している。すなわち、日本では信徒たちは管理された状態にあったが、韓国では「非原理世界に放り出された状態」になっているので、信仰の意味を見失いかねないから、こうした出版物が必要だというわけだ。「教団にとって『本郷人』は在韓日本人信者の思考の枠組みを強化し、日本で培った信仰を維持させる役割を持っている」というわけだ。

 宗教団体が信徒の信仰を維持させようとするのは当然である。統一教会の場合、青年期に入教した者は集団生活を通して信仰を強化していく場合があるが、やがて家庭を持てば家族単位の生活に移っていく。これは日本にいても韓国にいても同じである。その際に信仰を維持するための代表的な手段が日曜日ごとの礼拝の参加と出版物の購読である。日本には光言社という教団の出版社があり、そこから発行される新聞、雑誌、映像ニュースなどを通して、信徒たちは最新情報を入手して信仰を強化している。信仰生活の基本は礼拝に参加することだが、日本にも仕事の都合や地理的な要因で礼拝に出られない信者はいる。そうした場合には出版物を通して信仰を維持強化することはある。韓国にも成和社という出版社があり、同様の機能を果たしているが、『本郷人』の特徴は日本人コミュニティーのために日本語で出版されているということだ。

 したがって、『本郷人』の役割は基本的に日本で光言社が信徒向けに出版している媒体と同じであり、在韓日本人信者だから特別に出版物を必要としているわけではない。韓国教会における『本郷人』の特徴をあえて挙げるとすれば、母国語で書かれているために日本人信者には読みやすく、編集の観点も日本人に合わせているため、成和社の出版物よりも親しみやすい点にあると言える。こうした媒体は、英語圏やその他の言語圏の外国の統一教会の日本人コミュニティーも存在するかもしれないが、在韓日本人は数の上で圧倒的に多いので最も充実した内容になっているのであろう。中西氏は『本郷人』の役割について、「統一教会的思考の枠組みの維持・強化」といった「マインド・コントロール」を匂わせる表現をあえて用いているが、要するにごく普通の教団の出版物に過ぎないのである。

 中西氏が復帰摂理の進行を表している記事として紹介しているものは、2003年から2008年にかけて行われた統一運動の行事に関するものであり、その時代を信者としてリアルタイムで生きた私としては、どれも懐かしいものである。特に私はUPFの事務次長だった時代にこれらの行事の多くに参加しており、復帰摂理の進行をこうした新聞記事ではなく現場で直接感じる側に立っていた。

 中西氏が『本郷人』の第二の役割として挙げている「2 原理の再確認」という部分では、「『本郷人』を読む信者は『原理講論』を開かなくても、礼拝に参加できなくても、『本郷人』を読むことで教説を復習し、韓国に嫁いだ意味を再確認することできる。」(p.532)としている。これも教団の出版物の当たり前の機能である。中西氏は文鮮明師が2003年に語った「真のご父母様誕辰記念式」の講演、さらには2005年に語った「天宙平和連合創設大会基調演説文」を抜粋して紹介している。後者はUPFの創設大会でのメッセージであり、私はこれをニューヨークのリンカーンセンターで直接聞いている。「天宙平和連合」は世界の紛争解決と平和実現には機能不全に陥っている国連に代わって、神の創造理想である平和世界の実現のために「新しい次元でアベル的国連の機能を発揮できる新しい国際機構」とされる、という中西氏の解説は正確な表記だと評価できる。

 中西氏は、こうした講演は信者向けに語られたものではないが、その内容は統一教会の教説そのものであると指摘する。そして信者はこうした内容を『本郷人』で復習することを通して、教祖に対する感謝の念を強くし、統一教会の世界観を強化しているというのである。UPFの創設大会の講演文についても、「現在の国連を『カイン的』、天宙平和連合を『アベル的』と表現し、現実の世界を統一教会の世界観に取り込んで解釈しているが、これは統一教会の世界観の強化として捉えられる。信者は同じ世界に生きながらも、この世はサタンの支配にあると見ているように、同一のものを見ても解釈は教団固有の枠組みでなされる」(p.535)と分析して、あたかもそれが特別なことであるかのように表現している。

 しかし、そもそも「世界観」とはそのようなものではないだろうか? われわれはみな同じ世界に生きながらも、それぞれが独自の世界観を通して世界を見つめており、個人において世界観が異なるのと同様に、集団間の世界観の違いというものが存在する。同じニューヨークに住んでいても、根本主義者のクリスチャンと、無神論者のビジネスマンと、移民のイスラム教徒では全く違った世界の見つめ方をしているであろう。彼らは同一のものを見てもそれぞれ固有の枠組みでそれを解釈し、行動するのである。日本人とアメリカ人と韓国人では同じニュースを聞いても解釈や反応は異なるであろうし、中東や南米の人々はそれとはまた違った見方をするであろう。こうした多様な世界観が存在する中で、統一教会の信徒たちが自らの教説に従って世界を見つめることは至極当然なことであり、教団がその世界観を維持・強化しようとするのも何ら特別なことではない。

 このことはあまりにも当然なので、中西氏はあえて「フォーデーズセミナーでは『お父様の詩』が朗読され、信者は真の父母に対する負債を感じ献身を決意したが、この記事も『お父様の詩』と同じような役割を果たす。」(p.535)と解説して、その特異性を強調しようと試みている。実は、中西氏自身は日本の統一教会に対する調査を行っていないので、この「お父様の詩」に関する知識は受け売りである。これは統一教会信者が伝道されるプロセスについての櫻井氏の記述に登場し、修練会の最中にこの詩を朗読する儀礼が行われると、受講生の感情が揺さぶられ、正常な判断力を失ってしまうと主張されているものだ。実はこれと同じことを札幌「青春を返せ」裁判の原告たちも主張しており、この詩が朗読されると、内容に感動して号泣する受講生が続出し、情緒に訴えられた結果として文師をメシヤと受け入れてしまうようになるのだという。はたしてこの詩にそれほどの魔法のような効果があるのかどうかははなはだ疑問だが、中西氏の主張にはかなりの無理がある。

 櫻井氏の記述によれば、この「お父様の詩」はフォーデーズセミナーにおいて「イエス路程」の講義が終了した後に、セミナー室の明かりが消され、ろうそくを持った班長達が並ぶ厳粛な雰囲気の中で、荘厳に朗読されるものであるという。修練会という特殊な環境の中で、感情が盛り上がってきたところで演出効果を伴って読まれるので、感情が揺さぶられるというのが櫻井氏の主張である。そして詩の内容は情緒的なものだ。

 一方で、中西氏が引用している「真のご父母様誕辰記念式」(2003年)の講演と「天宙平和連合創設大会基調演説文」(2005年)は、対外的に開かれた場で非信者の聴衆に向かって語られた講演である。私は後者の講演が行われたニューヨークのリンカーンセンターにいたが、参加者は世界各国の政界、宗教界、学界、言論界、およびNGOなどの指導者たちであった。日本からもこうした人々を連れて行き、彼らのケアーをするのが私の役割であった。つまり、この講演文は文鮮明師の信念や世界観を表明したものであるとはいえ、信者に対してではなく広く一般社会に向けて発信した内容なのである。このようにまったく状況の異なる場で語られたスピーチを、「お父様の詩」と呼ばれる出典不明の文章と同じ役割であると強弁するのは、あまりにも無理がある。あえてそうしなければならなかった理由は、出版物の購読というどこの教団でもやっているごく一般的な宗教実践に、「洗脳」や「マインドコントロール」の匂いを吹きかけるための装飾が必要だったということだろう。姑息で稚拙な小細工としか言いようがない。

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