書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』194


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第194回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第一〇章 『本郷人』に見る祝福家庭の理想と現実」

 先回で「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」の内容に対する分析を終了したので、今回から「第10章 『本郷人』に見る祝福家庭の理想と現実」の内容に入る。この章は、中西氏自身によるフィールドワークの調査結果を示したものではなく、文献に基づく研究であり、その知見を自身の調査結果と照合しようとしている。中西氏は、この章の冒頭で以下のように述べている。
「本章では、統一教会発行の祝福家庭向け新聞『本郷人(ポニャンイン)』を用いて在韓日本人信者達の全体像を把握し、筆者の調査事例の相対的な位置を確認すると共に、『本郷人』が信者教化に果たす役割を考察したい。」(p.515)

 中西氏の調査対象は農村のA郡、都市近郊のB市、ソウル中心部と、性格の異なる地域にまたがっているとはいえ、サンプルが38名と少ないうえに、ランダム・サンプリングによって得られた調査対象ではなく、別の研究の途中で偶然に出会った信者たちと、そこからの紹介によって出会った調査対象であった。自身の調査対象が平均的なデータだったのか、「はずれ値」だったのかを知るために、文献に登場する統一教会信者の暮らしぶりと比較するという手法は間違っていない。

 一方で、『本郷人』は統一教会が発行している新聞であるため、統一教会にとって都合の悪い内容は削除され、模範的な証しだけが掲載されているのではないかという推測が成り立ち、別の意味で「はずれ値」ではないかという疑いがある、というのもうなずける話である。ところが、実際に『本郷人』を読んでみた中西氏の印象は、むしろ在韓日本人信者の実態をかなり正直に表しているというものであった。その理由として中西氏は、『本郷人』が基本的に内部向けの新聞であるため、外部の目を意識した紙面にはなっていないことと、実際に悩みに直面している信者たちを励まし勇気づけることが証しを掲載する目的であるため、困難な状況を信仰によって克服した証しこそが模範的な証しであると考えられているからであるという。すなわち、『本郷人』にはきれいごとばかりが書かれているのではなく、克服した困難の程度が甚だしいほど良い証しだということで、外部の目を意識していれば掲載を控えるような信者の生活実態までも、むしろ赤裸々に報告されているというわけだ。

 渡韓した日本人信者達は、韓国で家庭生活を送るうえでさまざまな問題に直面する。日本で培った信仰を韓国に渡ってからも継続できるかどうかは、こうした問題に対処できるか否かで決定する。もしこうした問題の解決を個々の信者にのみ任せ、孤軍奮闘するような状況においてしまえば、祝福を受けて渡韓した意義や目的を見失ってしまうことになりかねない。近所の先輩信者からアドバイスを受けるというのも励ましになるであろうが、全国から情報を集めて掲載したものを読めば、苦労しているのは自分だけじゃないんだ、みんな大変な中を頑張っているんだという気持ちになり、勇気づけられる。そういう意味で「『本郷人』は在韓日本人信者にとって信仰強化のテキストといえる」(p.516)という中西氏の指摘は正しいであろう。

 『本郷人』は、韓国家庭連合の家庭局国際部が発行する月刊のタブロイド判新聞であり、その内容は以下の二つに大別される。
①文鮮明師の御言葉、教会関係の大会、修練会、行事のニュース、およびそれらに参加した感想文など、神の摂理の動向を伝える内容。
②信者の証し、インタビュー、家庭生活・夫婦生活のアドバイス、子育て・二世教育に関する内容、韓国文化紹介、読者の投稿など、在韓日本人の生活に即した実践的な内容。

 中西氏は『本郷人』に掲載されている証しをまず400個ピックアップし、そのなかから修練会の感想文を除いた212個の内容を分析している。そのうち家族関係に関するものが76件あり、全体の19パーセントを占めるという。この部分が中西氏の関心事であり、彼女は以下のように述べている。
「家庭関係の証しのかなりの部分が嫁姑、夫婦関係、子供についてであり、『舅姑』は難しい舅や姑にどのように仕え、関係を改善したかが中心である。それに対して『夫婦』の内容は、問題がある夫(喫煙飲酒、家庭内暴力、信仰がない)、夫婦生活(妻が夫を受け入れる、夫が妻を受け入れる)、夫の障害、夫の死亡などについてであり、『舅姑』よりも証の内容が多様である。」(p.519)
「家族関係の証しは家族問題克服の証しといっていい。嫁姑関係、夫婦関係をはじめとして、不妊克服、妊娠・出産、養子などに集中しており、いわばいかにして理想的な祝福家庭になるように努力したか/しているかの証しである。」(p.520)

 中西氏は、信者達の家族関係や生活の様子が書かれている証しの中から、特にその内容がよくわかるものを40個抜粋して、本書の巻末資料4「『本郷人』の証しに見る祝福家庭の様子としてまとめている。その資料を一通り読んでみると、まさに千差万別の人生の記録であり、感慨を禁じ得ない。中西氏は客観的な暮らしぶりを自分の調査対象と比較するために、表面的な事実だけを抽出してまとめているのだが、同じ信者としてこれらの証しを読むときには、頭が下がるような思いになる。中西氏は客観的な社会学者として、あえて距離をおいて感情移入しないようにしているのかもしれない。それくらい、一つ一つの証しは内容が濃いものだ。

 舅姑との関係においては、いじめられたり暴言を吐かれたりしても感謝して仕えたところ、最終的には嫁として認められ、結果的に彼らを伝道することができたというストーリーがいくつか紹介されている。夫の暴力、酒や煙草などの問題に耐えながらも、夫を立てながら歩んでいるうちに夫の問題行動が改善したという証しも見られる。文章にしてしまえば簡単だが、その試練を乗り越えていった女性たちの信仰は驚異的なものである。信仰の力というものを感じさせてくれる証しである。

 夫に特に問題がなくても、夫婦間でお互いを受け入れることができない葛藤の証しも存在した。女性の場合には性に対する潔癖な性格から男性を受け入れることができず、男性の場合には容姿の問題で妻を愛せなかったのを乗り越えていったという証しが見られる。夫が障がい者になったり、亡くなったりした、子供に障がいがある、子供が死んだ、自分がうつ病になった、というような証しもある。掲載されているのは必ずしも成功例やハッピーエンドの話とは限らない。たとえ外的には問題が解決しなくても、それをどう受け止めるかということが信仰のテーマになっているのである。

 祝福家庭は子女を授かることを強く願うものだが、子供を授からない家庭も多い。不妊治療と信仰的な努力によってやっと授かったという証しもあれば、養子縁組を希望するカップルや、養子を授かったカップルの証しも掲載されている。

 婚家によく仕えたり、地域社会に奉仕したりした結果として「孝婦賞」を表彰されたというような証しは、「成功譚」といえる内容である。もし『本郷人』が外部の目を意識した紙面であったなら、おそらく掲載されていたのはこうした証しだけだったかもしれない。しかし実際には、こうした証しの占める割合はそれほど多くはない。

 韓国在住の男性信者の証しが二つほど紹介されている。どちらも高学歴で優れた才能を持ち、韓国社会に定着できた証しである。ところが、社会的に成功することと信仰を維持することは「トレード・オフ」のような関係になると思える事例もある。外的な苦労は多いけれども信仰に燃えて暮らしている女性信者の証しと比較すると、信仰とは何か、幸福とは何かということを考えさせられるような内容になっている。

 韓国に嫁いできた祝福2世の証しには、一世の女性信者のような経済的苦労、夫の問題、舅姑との葛藤というような苦労は見られず、むしろ本人の内面の葛藤や、妊娠しないことに対する不安のような内容が見られた。

 中西氏はこれらの事例に対して、「筆者が調査した事例は韓日祝福家庭のごく一部でしかないが、証しの事例と比較しても大差がない。」(p.521)と結論している。これは外的な事実のみの評価だが、実地調査と出版物の記述に差がないということは、『本郷人』の記述には裏表や粉飾がないということである。これから分かるのは、統一教会が事実を隠蔽・美化・歪曲することなく正確に伝える、正直な団体であるということだ。かつて北朝鮮が「地上の楽園」と宣伝され、実態を偽っていたのとは異なり、教会の発行する新聞は現地の状況を赤裸々に伝えているのである。

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