シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」14


蕩減と因縁(2)

日本では、輪廻説は仏教とともに受け入れられた。とくに平安初期に成立した『日本霊異記』のなかに輪廻と応報の諸相が描かれており、これが後の日本の輪廻観に大きな影響を与えた。しかしこの『日本霊異記』に表現されている輪廻説は、哲学的な傾向のあるインドのものとは違って、現実主義的な傾向を示しており、これは輪廻説の日本的な受容であるということができる。(注1)すなわち、もともと仏教では輪廻転生は迷いの状態とされ、この生まれ変わり死に変わる生き方から解放されることこそが「解脱」であり「涅槃」であった。しかしそれは日本では勧善懲悪的な教えとして受け取られ、来世で良い生まれ方をするために、現世で善業を積まなければならない、という教えとしてとらえられたのである。

しかし、仏教が伝来する以前の日本の他界観は、輪廻説とはまったく異なるものであった。日本には古来より霊魂不滅の信仰があり、人間が死ぬとそれはやがて「死霊」から「祖霊」へと昇華していくという信仰があった。祖霊とはもともと家族や近親者の死後の霊魂のことである。この死霊は死後に個人の霊魂として丁重に葬られるが、あまり時間が経過しないうちは、ときとして災いをなすものとして恐れられる一面もある。しかし、時間がたつにしたがって恐怖の面は薄れ、しだいに家族や一族を守護する神として崇拝されるようになる。これが祖霊であり、個人的な霊魂は一定の時間を経て祖霊の仲間入りをするのである。この祖霊は、いわば一定の時間を経た一族の祖先の霊魂の共同体であり、それが現実に生きる一族を守ってくれると考えられた。(注2)

このような「祖霊信仰」が日本の祖先崇拝の基底をなすものであるが、日本に仏教が伝来したとき、この祖先崇拝と仏教が習合し、日本独特の仏教形態を発達させることとなった。これは仏教が祖先崇拝的に消化されたとも、祖先崇拝が仏教的に行われるようになったとも表現することができるが、驚くべきことは多数存在する仏教の宗派のどれも例外なく祖先崇拝と習合したという事実である。これは日本人の宗教性の基底には、祖先に対する敬慕の思いがどれほど強く働いていたかを示すものであると思われる。と同時に、祖先崇拝は「家」という日本の社会を構成する基本単位を維持するためには絶対不可欠な宗教儀礼であったことを考えると、仏教は日本の社会の実状に合うような形で受容されたのである、ととらえることもできる。

しかしこのような受容のされ方は、仏教本来の立場からすれば許されないはずのものである。釈迦の説いたオリジナルの仏教は徹底した個人主義の教えであって、その究極的な目的は生死輪廻からの解脱、言い換えればどこまでも個人の安心立命の境地(涅槃)にあるのである。したがって、そこには日本の「家」のような特定の社会倫理をことさら支持する積極的理由は全くないはずである。仏教本来の理想社会は家でも家族でもなく、出家求道者の集団である僧伽(サンガ)であったのであり、むしろ家庭は愛欲煩悩の場として、相対的に否定されるべきものであったとさえ言える。したがって、仏教そのものには、日本の「家」の倫理を直接積極的に支持する要素は含まれないばかりか、むしろ原理的にはこのようなものは否定する傾向がより大きいというべきなのである。

しかしそれが日本に土着化する過程においては、ことごとく換骨奪胎されていく。本来、仏教における涅槃(ニルヴァーナ)とは「吹き消される」ことを意味し、それは明智によって煩悩の炎を吹き消し、一切の業因果を離れ、輪廻を解脱することを意味した。すなわちこれは悟りを開いて仏になることを意味したのであり、人間の生物学的な死を意味するのではなかった。しかし、このような深遠な哲学的概念は素朴な日本人にとって難解であったため、涅槃は「肉体の死」という意味で解されることとなった。涅槃に入った者はすなわち仏である。したがって人は死ねば「ホトケ」になる。生前の仏教信仰の有無、行為の善悪、人物の器量如何にかかわらず、死者をことごとく「ホトケ」と呼ぶ日本の風習は、「涅槃=死」という日本的な仏教解釈に基づくものである。

祖先崇拝においては、先祖は何ものにもまして尊崇されるべきものである。したがって、仏教における究極の目標である解脱を成し遂げた「仏(ホトケ)」が、先祖と同一視されるのは自然の成り行きであった。したがって日本の仏教においては「先祖=ホトケ」となり、先祖を祭ることとホトケの供養をすることが同一視されるようになった。これは「回向(えこう)」と呼ばれる仏教概念が、先祖の祭りと習合したためである。もともと仏教における回向は、修行などによって積んだ功徳を他人のために振り向けることを意味したが、これが日本では葬式や法事と結びついて、施主(喪主)が僧を招いて経を読ませることによって得た功徳を、死者のために振り向けることを回向と解釈したのである。(注3)

お盆にお墓参りをして読経する僧侶 家庭訪問して仏壇の前で読経する日本の僧侶

 

(注1)小泉道「日本霊異記」(同上、p.1439)

(注2)藤井正雄「祖霊」(同上、p.1161-2)

(注2)高橋明「回向」(同上、p.251)

 

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