日韓関係の課題解決におけるソフトパワーの有効性04


2.日本のソフト・パワーと韓国に対する影響力

 (イ)日本のソフト・パワーの韓国に対する影響力

 これまで日本のソフト・パワー一般について論じてきたので、それが韓国にどのように影響を与え、日韓関係にどのような影響を与えるかに的を絞った議論をこれから行うことにする。結論から言えば、韓国という国は日本がソフト・パワーを行使して影響力を与えるのが極めて困難な国である。ソフト・パワーが機能するためには価値観の「共通性」ないし「受容可能性」が必要であり、相手の心理状態への依存が高い。(注30)日本と韓国の関係で問題となるのは、「共通性」の方よりもむしろ「受容可能性」と相手の心理状態である。すなわち、韓国人は日本文化を拒否しようという心理を極めて強く持った国民であるということだ。これは1910年から1945年まで続いた日本による植民地支配が原因である。

 韓国は日本が韓国併合により自国から①主権、②国王、③人命、④国語、⑤姓氏(創氏改名)、⑥土地(土地調査事業)、⑦資源――の七つを奪ったと主張しているが、このうち②と④と⑤は韓国の文化に深く関わるものである。韓国の国王ではなく日本の天皇に忠誠を誓い、日本語を使い、日本人の名前を名乗るということは、韓国人としてのアイデンティティーを捨てて日本人になることに他ならない。日本は皇民化政策によって、韓国人に対して日本への同化教育を徹底して行ったため、35年の間に韓国人の「日本人化」は相当程度に進んだと考えらえれる。そこに突然、1945年の「光復」がやってきた。新しく建てられた祖国の国民となった彼らは、失われた民族の自尊心を取り戻すために、敢えて自分の中にある日本的なものを否定して、「真の韓国人」になる必要があった。日本人の支配下にあった自らの過去を清算するためには、一度は日本の文化を否定する必要があったのである。そこから「反日」という思想が生まれ、これは「反共」と並んで李承晩政権の政策の二本柱の一つとなった。(注31)

 文在寅大統領は「積弊清算」を国政運営の中心に据えているが、この概念には保守政権時代に積もり積もった悪弊だけでなく、日帝時代からいまに至るまで引きずっている「親日勢力」を清算することも含まれている。(注32)日本語における「新韓派」は単に韓国に対して親近感を持っている人々の呼称に過ぎないが、韓国語における「親日派」は日本の大衆文化を好む人々のことを指すのではなく、日帝時代に植民地支配に順応して出世した者に対する非難を込めて使用される言葉となっている。「親日派=売国奴、悪人」という図式が定着しているため、「親日派」を自称する韓国人はおらず、そうしたレッテルを張られることを恐れたり、政敵を貶めるための武器として使われたりする言葉になっているのである。「反日」以外に日本に対する態度を表現する言葉として許容されるのは、「克日(日本に打ち勝つ)」、「知日(日本を知っている)」、「用日(日本を利用する)」といった表現しかない。こうした政治的なスタンスを離れて、日本の漫画やアニメが好きで、和食や日本のビールを好む韓国人のことをなんと呼ぶのかと聞かれれば、それに該当する言葉は存在しないであろう。こうした言語空間において日本文化が市民権を得て浸透していくのは、極めて困難であると言える。

 こうした心理状態に加えて、もう一つの日本文化浸透の障壁としてあったのが、韓国における日本文化の流入制限である。長く日本の植民地とされた韓国は、独立後は映画・音楽・漫画等いわゆる日本大衆文化を規制してきた。やがて反日から克日へ政府の姿勢の転換、日韓国交正常化による経済関係の進展、実際には国内に流通して人気の日本の漫画や音楽等、日本大衆文化解禁の気運は次第に高まったが、開放が実現したのは1998年のことであり、金大中政権においてである。(注33)以来2004年の第4次開放まで段階的に実施されたが、いまだに完全開放には至っておらず、日本のテレビドラマは地上波での放映が禁じられているうえに、日本語歌詞の報道規制が存在している。(注34)こうした状況下において日本が韓国に対してソフト・パワーを行使するということは「文化的帝国主義」「文化的侵略」であると受け取られる可能性が大きい。

 しかしながら、徐賢燮によれば金大中政権の日本文化開放政策は長い目で見れば成功であり、日本の大衆文化が開放されたことによって日韓の文化の相互流入が増え、これが後に日本における「韓流」ブームにつながったという。この意味で金大中は「韓流」の生みの親とも言えるとまで評価しているのである。(注35)徐賢燮は積極的な日本文化開放論者であり、金泳三政権下で日本文化の開放をめぐる論争が盛んに行われていた最中に、韓国のテレビ局の元東京特派員の著作『日本はない』(著者の特派員時代の経験を基に日本を否定的にとらえ、「日本から学ぶべきものなど何もない」と主張している)に対抗して、『日本はある』と題する本を出版している。30万部売れたとされる『日本はある』が言っているのは、『日本はない』の主張は「木を見て森を見ず」と言うべき極論にすぎず、日本の粗探しをして溜飲を下げるのではなく、普遍的、客観的、相対的に日本を見る姿勢が必要だというものだ。こうした内容の本がベストセラーになったことから、徐賢燮は韓国人の思考が成熟してきたことを感じたという。(注36)

 金泳三時代に萌芽を見せていた日本大衆文化の解放が政策として実行されたのは金大中政権においてであった。金大中は、当初から「我々の祖先が日本に文化を伝え,近代以降は日本から受け取った。行ったり来たりするのが文化ではないか。日本の文化商品が流入しても、その間に学んで次はこちらが売り出せば良い」(注37)と主張して文化的鎖国主義に反対の姿勢を表明しており,日本大衆文化の解禁にも意欲を見せていた。それを明確に表現したのが、1998年10月8日に東京で発表された「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」と銘打った(金大中大統領と小渕恵三首相の合意に基づく)「日韓共同宣言」であった。(注38)こうして実現した政府の日本大衆文化の段階的開放措置に対して、韓国の若者たちは概ね賛成の姿勢を見せた。
「1999年9月、第2次開放の直後に行われた調査によると、賛成とやや賛成が合わせて49.7%と約半数が好意的な反応であり、どちらとも言えないと答えた者が29%、やや反対と絶対反対が20.2%であった。これらの声に後押しされるかたちで、2000年6月には第3次日本大衆文化開放が実施された。第3次開放後の世論調査では、大いに賛成17.3%、やや賛成34.1%で、前回と同じく約半数が開放に賛同していた。どちらとも言えないが34.1%とやや増えた半面、やや反対は10.3%、絶対反対は3.6%で、反対意見は合わせて15%弱と1999 年調査の反対20%より減少した。段階的な開放措置とともに,若者たちが日本大衆文化の開放に好意的な態度へと変化してきたことを示すものと言える。」(注39)

 1999年11月に韓国で上映された岩井俊二監督の「ラブレター」は大ヒットとなり、観客動員数は140万人を記録して日本国内の動員数を上回るほどであった。この映画の中で中山美穂演じるヒロインが口にする印象的なセリフ「お元気ですか?」は、当時の韓国の若者たちの流行語となったという。(注40)韓国における日本文化の受容における一つの特徴が、世代間の格差である。一般的に、若い世代ほど日本文化を抵抗なく受け入れる傾向があり、日本ドラマのファンの大部分は10代から30代の若者であることから、韓国における日本文化浸透の未来は明るいとされる。(注41)

(注30)倉田保雄、前掲論文、p.122
(注31)黒田勝弘『韓国 反日感情の正体』(角川学芸出版、2013年)p.116-7
(注32)2016年12月9日に朴槿恵が国会に弾劾訴追されたあと、12月22日の野党候補らによる討論会では「弾劾以降の課題」について、「親日と独裁が受け継がれ、常に韓国社会の主流になりすましてきた偽保守の時代をもう終わらせなければならない」とし、各分野における「積弊の清算」を強調した。
(注33)徐賢燮『韓国における日本文化の流入制限と開放』(長崎県立大学国際情報学部研究紀要、第13号、2012年)、p.241(http://reposit.sun.ac.jp/dspace/bitstream/10561/943/1/v13p241_seo.pdf)
(注34)2014年、K-POPガールズグループ『CRAYON POP』の新曲の歌詞に「日本語的な表現がある」として、KBSから「放送不適合」と判定された。
(注35)徐賢燮、前掲論文、p.241
(注36)同論文、p.245
(注37)「朝日新聞」2005 年5月24日
(注38)徐賢燮、前掲論文、p.247
(注39)同論文、p.247
(注40)同論文、p.247-8
(注41)同論文、p.249

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