日韓関係の課題解決におけるソフトパワーの有効性01


 2019年7月25日に東京・渋谷の国連大学で開催されたUPF主催の「平和外交フォーラム」において、近藤誠一・元文化庁長官(注1)は「日本の外交におけるソフトパワーの役割」をテーマに講演した。このフォーラムのモデレーターを務めた林正寿・早稲田大学名誉教授(平和政策研究所代表理事)は、いまの日韓関係は戦後最悪と言われているが、この問題を解決する上でソフトパワーは役に立つのかという趣旨の質問をした。近藤講師からは明確な回答はなかったが、この発言はその後の私の問題意識の中に継続して残ることとなり、これについてまとまった研究をしてみたいと思うようになった。そこで今回からしばらく「書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』」のシリーズをお休みして、このブログを通して研究発表を行いたい。このシリーズのタイトルは、冒頭にあるごとく「日韓関係の課題解決におけるソフトパワーの有効性」である。

序論

 「ソフト・パワー(soft power)」とは、米国のハーバード大学大学院ケネディスクールのジョセフ・ナイ教授(クリントン政権下で国防次官補や国家安全保障会議議長を歴任)が提唱した概念であり、軍隊による示威行動や侵攻、経済制裁などによる影響力を意味する「ハード・パワー(hard power)」の対義語として用いられる。それは一般に、国家が軍事力や経済力などの強制的な力によらず、その国が持つ文化や価値観、または魅力を通して他国の共感や理解を得ることにより、国際社会に対する影響力を行使したり、信頼を得たりする力を指す。(注2)

 そもそもソフト・パワーという考え方は、アメリカの対外政策として誕生したものである。背景には2001年に起きた同時多発テロ事件があり、その報復としてアメリカが起こしたイラク戦争をはじめとする単独主義的行動が批判にさらされたことに対する一つの反省として生まれた概念である。アメリカが行使した一連の政策は圧倒的な軍事力を背景にした高圧的なものであるとして、中東やイスラム圏で反米感情が高まり、それがテロリズムの動機となった。そしてそれは本来アメリカの同盟国である西洋諸国からも批判の対象となったのである。こうした現状を受け止め、単に軍事力だけでアメリカの国益を追求することは難しいという議論がなされるようになった。ソフト・パワーは、こうした事態を打開するための手法として提唱されるようになったのである。(注3)

 しかし、このソフト・パワーという概念はアメリカにのみ当てはまるものはなく、どんな国でも自国の文化や価値観、魅力を対外的にうまく発信することができれば、国際社会の信頼を得たり、それを外交的な力に変えたりすることは可能である。ジョセフ・ナイは、日本はソフト・パワーを発揮する多くの潜在力を備えていると評価している。それはトヨタに代表される国際的な企業と高度な技術、漫画やアニメに代表される大衆文化、寿司や和食などの伝統的日本文化が海外で高く評価されていることからも立証される。(注4)

 一方で韓国もまた、「韓流ドラマ」やK-POPなどの大衆文化、あるいはサムスンに代表される企業を通して世界的に知られるようになり、それは日本にも受け入れられている。(注5)日本国内で最も多く生産されている漬物は、浅漬けでもたくあんでもなく、キムチである。日本と韓国は、いまや国際的に影響力を行使し得るようなソフト・パワーを持つ国になったと言っても過言ではないだろう。

 現在の日韓関係は戦後最悪の状態にあると言われている。特に文在寅政権の誕生以降、慰安婦合意の破棄、レーダー照射問題、徴用工判決などの問題が日本の政府並びに国民の怒りを買い、嫌韓感情が高まっている。一方で韓国は、日本が韓国に対する半導体材料など戦略物資の輸出管理を強化し、「ホワイト国」から韓国を除外したことを、徴用工判決に対する不当な政治的「報復」であるとして反発し、ついには軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄するという決断を文在寅政権が下すに至った。(注6)歴史問題が経済問題に、さらに安全保障問題にまで発展した形である。韓国では政府だけでなく一般国民の日本に対する反発も激しく、「ボイコットジャパン」と呼ばれる不買運動が長期化している。(注7)

 この論考では日本と韓国が、それぞれのソフト・パワーを自国に有利な結果をもたらすように行使して、現在の日韓関係の課題を解決し得るかどうかを分析する。そのために、まずソフト・パワーとは何かを明らかにし、その構成要素、長所、限界などを分析する。そのうえで、日本のソフト・パワーについて分析し、その韓国社会に対する影響力について評価する。次に、韓国のソフト・パワーについて分析し、その日本社会に対する影響力について評価する。その上で、韓日両国のソフト・パワーが、自国の国益に基づいて現在の日韓の懸案事項を解決するための影響力を駆使することができるかどうかを評価する。そして暫定的な結論として、両国の大衆文化がお互いに深く浸透している現状があることは確認できたとしても、それが現在の日韓関係の課題を解決する直接的な力とはなりえていないという意味で、ソフト・パワーの限界を提示することになるであろう。

 しかし、この論考はそうした悲観的な結論で終わるものではない。現時点での両国政府の国益を追求する外交戦略において必ずしもソフト・パワーが有効に機能しなかったとしても、やがて日韓両国が和解する局面が訪れたときには、両国の持つソフト・パワーが和解の環境を造成する上で有効に働く可能性を示して終わることにする。その中で特に文鮮明総裁・韓鶴子総裁の主導する統一運動が、和解を促進するソフト・パワーとして機能する可能性について示唆することをもって、未来に対する希望を表現してみたい。(注8)

(注1)近藤誠一は1946年生まれの日本の外交官。第20代文化庁長官。ユネスコ大使、デンマーク大使を歴任。退官後は、近藤文化・外交研究所を設立し、石見銀山や奥州平泉、富士山の世界文化遺産登録にも尽力した。著書に『文化外交の最前線にて』(かまくら春秋社、2008年)、『世界に伝える日本のこころ』(星槎大学出版会、2016年)などがある。
(注2)ジョセフ・S・ナイ(山岡洋一訳)『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』(日本経済新聞社、2004年)、p.26
(注3)同書、p.13
(注4)同書、p.138-140
(注5)Yoon, Kaeunghun,”The Development and Problems of Soft Power between South Korea and Japan in the Study of International Relations” (埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 第8巻, pp.191-197, 2008/12/01, 埼玉学園大学出版) 、p.193
(注6)2019年8月22日、韓国大統領府は国家安全保障会議の常任委員会を開き、韓日秘密軍事情報保護協定(GSOMIA)の破棄を決めた。同年8月26日、破棄決定の理由について韓国の李洛淵首相は、「日本が根拠も示さず、韓国を安全保障上信頼できない国であるかのようにレッテルを貼り、輸出優遇国のリストから韓国を外したためだ」と説明した。しかし同年11月22日、韓国はGSOMIA延長を日本側に通告し、ギリギリのタイミングで破棄を回避した。
(注7)日本による韓国への輸出厳格化措置に対する反発として、2019年7月から韓国で日本製品不買運動が発生した。ターゲットにされた主な商品は日本産ビール、ユニクロの衣料品、日本への旅行など。
(注8)統一運動の可能性については、文献による調査だけでなく、筆者自らがUPF-Japanの事務総長としてPeace Roadの活動を展開したり、国際会議のスタッフとして運営に当たる中で直接体験したことに基づいて論じるであろう。

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