書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』180


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第180回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。第177回から「三 現役信者の信仰生活――A郡の信者を中心に」の内容に入った。これは中西氏のフィールドワークによる調査結果を紹介したものであり、彼女の研究の中では最も具体的でリアリティーのある部分だ。今回は日曜日の礼拝の内容の続きから入るが、中西氏が既存のプロテスタント教会と統一教会の違いを解説している部分を中心に分析する。

 まず聖歌に関して、「このときのA教会の牧師は讃美歌をすべて聖歌にしているが、以前の牧師はプロテスタント教会で歌われる讃美歌も用いていた。聖歌でなくてはならないということはない。」(p.476)としている。ここで「聖歌」と言っているのは、統一教会独自の聖歌である「成約聖歌」と呼ばれているものである。成約聖歌には文鮮明師が作詞したものも含まれており、プロテスタントの讃美歌にはない統一教会に固有の信仰が表現されている。礼拝の場において場を清めるという目的からすれば、讃美歌でも聖歌でもよいのであり、必ずしも成約聖歌でなければならないということはない。牧師が讃美歌が好きなら、それを礼拝の時に歌うこともあるだろう。

 より詳しく言えば、教会で用いられている「聖歌」の歌の内容は、韓国と日本とアメリカでは異なっている。同じ歌詞でも、韓国と日本ではメロディーが違うものもある。日本の「聖歌」の本には、「エジプトにすめる」「神ともに居まして」などのように一般のプロテスタント教会で歌われるような讃美歌が含まれており、「丹心歌」のようにキリスト教に起源をもたない歌も入っている。さらに、日本の「聖歌」には、韓国の「聖歌」の本にはない日本人が作詞作曲した歌も含まれている。アメリカの聖歌の本は「Songs of the Garden」というタイトルがつけられた深緑色の厚い本で、成約聖歌41曲のほかに、讃美歌、アメリカの愛国歌、友好を深める歌、スペイン語の歌、韓国語の歌をアルファベット表記したものなどが掲載されていて、全部で226曲と非常に数が多くなっている。音符は掲載されておらず、歌詞にコードがふられていることから、修練会などの場においてギターを弾きながら歌うために作られたと思われる。このように、聖歌のあり方は国ごとに異なる教会の文化を表している。

 次に中西氏は、「マルスム訓読はプロテスタント教会での聖書朗読にあたる。」とし、それは文鮮明師の御言葉であるとしたうえで、主の祈りや交読文などが見られない理由について、「統一教会では信仰告白に使徒信条を用いないのと同様に信仰が聖書に依拠したものではないために唱えないものと思われる。」(p.476-7)と解説している。この記述は正確でない。統一教会の礼拝でも聖書が朗読されることはあり、その個所の解説という形で説教が行われることはある。統一教会では旧・新約聖書を聖典としており、「信仰が聖書に依拠したものではない」という表現は間違いである。

 それでは既存のプロテスタント教会と統一教会でどこが違うのかと言えば、統一教会の信仰は聖書に依拠したものでありながら、それ以上の権威として文鮮明師の御言葉が位置づけられているということだ。文鮮明師の御言葉は、聖書と矛盾するものとしてとらえられているわけでも、聖書と無関係なものとしてとらえられているわけでもない。むしろ、聖書の教えを完成させるものとして理解されているのである。これは、律法と福音の関係、旧約聖書と新約聖書の関係に近い。イエス・キリストは「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである」(マタイ伝5章17節)と語った。イエスの福音は、旧約聖書を否定するものではなく、それにさらに新しい要素を加えて完成させるためにあったのである。しかし、当時のユダヤ人たちはそのことが理解できず、イエスを「律法の破壊者」として迫害し、ついには殺害するに至った。同様に文鮮明師の御言葉は、イエスが語った福音(新約聖書の内容)を繰り返すのではなく、それに新しい要素を加えて完成させるものであった。しかし、キリスト教徒たちはそのことを理解せず、ちょうどユダヤ人たちがイエスを迫害したように、文鮮明師を異端視して迫害したのである。

 続いて中西氏は、プロテスタント教会と統一教会の祈りの最後の部分における差異に触れている。この説明はすべて事実であり、プロテスタント教会では「主イエスのみ名」によって祈り、「アーメン」で締めくくるのに対して、統一教会では「真のご父母様」のみ名によって祈り、「アーメン」で締めくくっていたのが、2007年から「祝福中心家庭〇〇〇〇(祈っている人の名)の名によって報告」に変化し、締めくくりの言葉も「アージュー」に変わったというのである。こうした変化について、中西氏は以下のように説明している。
「復帰摂理の進行によって家庭盟誓に言葉が追加され、文鮮明の一声でアーメンがアージューに変わる。礼拝のあり方は形式的にはプロテスタント教会の礼拝と変わりないが、内容は統一教会の独自性が見られ、復帰摂理の進行によって変化しうるものとなっている」(p.477)

 この描写に悪意や歪曲はなく、見たままの事実を客観的に伝えているに過ぎない。しかし中西氏からすれば、自分の調査している間に祈り方が変わってしまったので、統一教会というところは教えの重要な部分までコロコロと変わる宗教だという印象を持ったかもしれない。しかし、カリスマ的リーダーというものはそのようなものだ。マタイによる福音書の第5章においてイエス・キリストは、自分が律法や預言者を廃するために来たのではなく、成就するために来たと宣言したうえで、ユダヤ教の伝統的な教えを次々に否定して新しい教えを説いている。それはすべて「伝統的にはこのように教えらえてきたが、私はこのように教える」というスタイルで語られている。

 イエスがユダヤ教の伝統に挑戦した例で最も有名なものは、安息日を守らないということであった。マタイ伝12章1節には、「そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた」と書かれており、そのことでパリサイ人と論争になっている。またルカ伝14章1-5節には、「ある安息日のこと、食事をするために、あるパリサイ派のかしらの家にはいって行かれたが、人々はイエスの様子をうかがっていた。するとそこに、水腫をわずらっている人が、みまえにいた。イエスは律法学者やパリサイ人たちにむかって言われた、『安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか』。彼らは黙っていた。そこでイエスはその人に手を置いていやしてやり、そしてお帰しになった。それから彼らに言われた、『あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか』」と書かれている。このようにイエスは安息日を守らず、弟子たちがそれを破っても咎めなかった。その上でイエスは「人の子は安息日の主である」(マタイ12:8)と言ったのである。これはユダヤ教の伝統よりも自分自身の権威を上に置く発言であるが、カリスマ的指導者とはまさにこのような存在なのである。キリスト教においては、イエスの死後、ユダヤ人が伝統的に守ってきた土曜日の安息日をイエスの復活の日である日曜日に変更することにより、ユダヤ教徒からは独立した別個の宗教としてのアイデンティティーを確立したのである。

 カリスマ的指導者は伝統に挑戦し、時には自らが決めたことも変えていくのである。統一教会は、まだ教祖が存命の宗教であるため、教祖が新しく語ったことが新しい伝統となり、教え自体もどんどん進化する過程にある宗教なのである。実は家庭盟誓さえ、それ以前は「私の誓い」というまったく別の文言の誓いであったし、最初は7つしかなかったものが後に8つになり、細かい文言は何回か修正されている。冒頭の「私たちの家庭は」の前にある「天一国主人」という言葉も、後から挿入されたものである。

 中西氏が調査をしていた時代は、まだ文鮮明師が存命中であったが、文師が聖和(逝去)した後にも、夫人である韓鶴子総裁の下で統一教会の伝統はさまざまに変化した。代表的な部分では、「神様」を「天の父母様」と呼ぶようになり、家庭盟誓で「神様」と表現されていた部分は「天の父母様」に書き換えられた。さらに「成約時代」は「天一国時代」に変わっている。「天一国の歌」の歌詞とメロディーも変更された。第二の教祖ともいえる韓鶴子総裁も、かなり大胆な伝統の変更を行っていると言える。新宗教がその草創期に伝統を確立していく過程においては、このようなダイナミックな変化があるものなのである。

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