米国におけるディプログラミングの始まりと終焉(5)


ダン・フェッファーマンによる2010年の論文

C.強制的ディプログラミングに対する刑事および民事訴訟(の続き)

モルコ事件

 モルコおよびリール対神霊協会として以前知られていたこの事件は、本質的には強制棄教の事件ではなかったが、多くのディプログラマーがその活動を正当化するために使ってきた「洗脳」の弁護を打ち破る役割を果たした点で重要である。この事件では、2人の元統一教会員が、「強制説得」、不法監禁、意図的な感情的圧迫、詐欺の被害を受けたという理由で教会を告訴した。この事案は、ある意味では原告が統一教会から金銭的示談決着を勝ち得てきた日本の「青春を返せ」裁判に似ている。しかし、ここでは、統一教会は法的責任がないという判決が下され、洗脳の主張は致命的な打撃を受けた。

 モルコ事件においては、原告は自分たちが「強制説得」の被害者だったという主張を正当化する上で、心理学者マーガレット・シンガーの証言に大きく依存した。下級審はこの分析を拒絶し、明らかな強制があったことを強く否定した。裁判所はHSA(教会)に有利な(公判なしの)「略式判決」を下した。1986年3月31日、カリフォルニア州控訴裁判所は下級審の判決を支持した。(注15)

 事件が控訴プロセスに進む中で、米国心理学会(APA)が「法廷の友」(アミカス)陳述書を提出した。(注16)陳述書は、宗教運動との関連における洗脳という概念は科学的根拠を持たないと述べた。その後、米国社会学会(ASA)は同様の陳述書を提出し、科学者たちの間では新宗教運動に適用される洗脳の概念を否定するコンセンサスが形成されてきたことを示した。この事件で統一教会に味方する立場からアミカス陳述書を提出した他の団体には、科学的宗教研究学会、全米キリスト教会協議会、米国バプテスト教会連合会、宗教および公民権のためのカトリック連盟、長老派教会総会(米国)などがあった。

 カリフォルニア州最高裁は最終的に、控訴裁判決を一部の理論的内容に関して覆し、他の内容に関しては支持した。しかし、統一教会は告発内容のいかなる点に関しても有罪判決は受けなかった。さらに、洗脳理論は学術的概念としてはその誤りを徹底的に指摘され、裁判所は程なくしてこの理論を完全に拒否し始めた。(注17)

ブリッタ・アドルフソン事件

ブリッタ・アドルフソン

 コロラド州州民対デニス・ウェーランおよびロバート・ブランディーベリー判例において、(注18) ブリッタ・アドルフソンの両親に雇われたプロのディプログラマーであるロバート・ブランディーベリーとデニス・ウェーランは、この31歳の女性を拉致したことを認めた。しかし彼らは、刑事裁判で自分たちは有罪ではないと主張した。公判法廷は、「悪の選択」の弁護により彼らは刑事犯罪である陰謀罪と拉致罪では有罪ではないことに同意した。この弁護は、被害者が所属していた宗教団体に「洗脳」され、自分の宗教的信念に関して「自由意志」を行使していなかったという被告の主張に基づいていた。(注19)

 しかし州を代理する地方検事は、この事案の判決は誤りであると考え、「法律はどのような行動を正当化できるものとして認める用意があるのか」に関して司法的ガイダンスを求めて、コロラド州控訴裁判所に控訴した。
 全米キリスト教会協議会は1974年の決議と一貫する立場を取り、宗教自由協議会とともに、州の立場を支持する「法廷の友」陳述書を提出した。このアミカス陳述書は以下のように主張した:

公判判事は、まず法律問題として被告人が取った行動が差し迫った傷害を回避するために緊急措置として必要だったかどうか、緊急と考えられる事態に対処するために合法的手段が活用できなかったのかを具体的に確認せずに、主張された事実および状況が正当化の根拠となるかどうかについて陪審が決定を行うことを許可した点において、明らかに誤っている。しかしこの法律により任命された役割を実行するのを判事が怠ったことは、より伝統的な刑事訴訟においてはるかに重大な結果を生み出す。法律問題として適切な判定を下す上での法廷の怠慢は、重大な刑法の違反を認めた違反者に対する刑事訴訟を、異端審問に変えてしまった。(注20)

 陳述書は、ここで提起された「必要性」の弁護は、ミネソタ州におけるエイラーズ判例で被告の1人トバート・ブランディーベリーが使ったと同じ弁護だったと指摘した。(注21) 陳述書は、エイラーズ判例、582 F. Supp. 1099を引用して、エイラーズ法廷が、活用可能な合法的代替措置を講じるのを試みなかったという被告人の過失は、「悪の選択」の必要性の弁護を効果的に排除することになったと判決したと指摘した。(注22)
 コロラド州控訴裁判所は、全米キリスト教会協議会がアミカス陳述書で行った主張を採用し、将来の法的訴訟において「悪の選択」の弁護を排除することを判決した。(注23)控訴裁判所はこう述べた。

ここにおいて、被害者の教会への所属が彼女に差し迫った傷害を与える脅威になると被告人が合理的に認識したのだと想定したとしても、彼らが追求することを選んだ救済策(刑法違反に当ると分っていた策)が迫っている傷害を回避するために活用可能な最も害の少ない選択肢であったことを示すことを怠った。

さらに、被告人が被害者を拉致する前または後に、法執行官または裁判所からの支援または代替救済策を求めたという証拠はない。むしろ被告人は、彼らが法を犯してまで選んだ救済策以外に、被害者が被ると考えられる傷害を回避するために利用できるかもしれない妥当な合法的代替措置として、どのような措置があるかについて法的助言を受けることなく、被害者の両親と一緒に拉致を計画した。・・・そして被害者が拉致された後、被告人は彼女の居場所を警察当局から積極的に隠蔽し、無許可の監禁とディプログラミング活動を継続し、その活動に対する政府あるいは外部の干渉を回避するために被害者を何度も移動させた。

(注15)ビアーマンズ、ジョン・T「新興宗教運動の探求:迫害、闘争、合法化、統一教会の事例研究」ルイストン、NY、E・メレン・プレス、1986年、p.200。
(注16)http://www.cesnur.org/testi/molko_brief.htm
(注17)http://www.religion-online.org/showarticle.asp?title=862
(注18)コロラド控訴裁判所訴訟事件表番号88 CA 1741.
(注19)ディプログラマーは以前に、強制ディプログラミングを実行する上で不法監禁に対する有罪判決を逃れるために「悪の選択」の弁護に飛び付いた。1974年に、テッド・パトリックはいかなる宗教セクトにも入っていなかった2人の若い成人女性の監禁について裁判を受けたときに、この弁護を打ち出した。彼女たちは厳格なギリシャ正教の家庭で育ったがその信仰を拒絶した。裁判所はこの正当化弁護を拒否し、「第1に、悪の選択の弁護を活用するには、緊急措置を必要とする公共または私的な傷害がすぐにも発生する状況がなければならない」と判決した。人民対パトリック、541. P. 2d 320, 322(コロラド州控訴裁、1975年)。リバティー誌1975年3月/4月号に掲載された「デンバーにおける恐怖」の記事も参照のこと。
(注20)人民対ウェーランおよびブランディーベリー訴訟に提出された全米キリスト教会協議会および宗教自由協議会のアミカス陳述書、コロラド州控訴裁判所事件番号88 CA 1741 (1989) 3ページ。
(注21)同上、7ページ。
(注22)同上、16ページ。
(注23)コロラド州州民対ロバート・ブランディーベリーおよびデニス・ウェーラン、事件番号88-1741, slip op.11ページ(コロラド州控訴裁判所、1990年11月23日)

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