シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」18


蕩減と因縁(6)

 

統一原理における「遺伝罪」の概念は、既に説明してきたところの「先祖の因縁」とかなりの連続性をもった概念であることは否定できない。したがって「先祖の因縁」という概念を媒介として「遺伝罪」を理解しようとすること自体は間違いではない。むしろこれは宗教の世界において広く見受けられる観念であり、仏教やキリスト教という枠を越えた、一つの普遍的な宗教観念と言うことができるであろう。われわれは世界の宗教の経典の中にそのような聖句を多く発見することができる。次の二つの例はその中のほんの一部に過ぎない。

 

不正な行為の結果は、自分に巡りいたらないときは息子たちに巡りいたり、息子たちに巡りいたらないときは孫に巡りいたる。不正な行為(アダルマ)は一度なされれば行為者に結果を生まないことはない。(ヒンドゥー教、マヌ法典4:173

 

あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。(キリスト教・ユダヤ教、出エジプト記20:5-6

 

後孫に受け継がれるものが罪だけではなく、恵みも同様であると出エジプト記が述べているのは重要である。因果応報の思想においても「善因楽果、悪因苦果」というように、罪とともに功徳も後孫に相続されていく。統一原理においても祖先の立てた功労が子孫に繁栄をもたらすと考えられており、神の召明を受ける中心人物となるための資格の一つに「善なる功績が多い祖先の子孫」であることが挙げられている。すなわち血統を媒介として、祝福も罪も子孫に相続されていくという発想がそこにはあるのである。

 

さて、『原理講論』の中で最も「先祖の因縁」の概念に近いと思われる描写は、第五章「復活論」における「悪霊人の再臨復活」の説明の中に見いだすことができる。少々長くなるが、その部分を引用してみよう。

 

復帰摂理の時代的な恵沢によって、家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏に移行される一人の地上人がいるとしよう。しかし、この人に自分自身、或いはその祖先が犯した或る罪が残っているならば、それに該当する或る蕩減条件を立ててその罪を清算しなければ、種族的な恵沢圏に移ることができなくなっている。このとき、天は悪霊人をして、その罪に対する罰として、この地上人に苦痛を与える業をなさしめる。このようなとき、地上人がその悪霊人の与える苦痛を甘受すれば、これを蕩減条件として、彼は家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏に入ることができるのである。このとき、彼に苦痛を与えた悪霊人も、それに該当する恵沢を受けるようになる。このようにして、復帰摂理は、時代的な恵沢によって、家庭的な恵沢圏から種族的な恵沢圏へ、なお一歩進んで民族的なものから、遂には世界的なものへと、だんだんその恵沢の範囲を広めてゆくのである。こうして、新しい時代的な恵沢圏に移るごとに、その摂理を担当してきた人物は、必ずそれ自身とか、或いはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てて、それを清算しなければならないのである。また、このような悪霊の業によって、地上人の蕩減条件を立てさせるとき、そこには次のような二つの方法がある。

 第一に、悪霊人をして、直接その地上人に接して悪の業をさせて、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立ててゆく方法である。第二には、その悪霊人が或る地上人に直接働くのと同じ程度の犯罪を行なおうとする、他の地上の悪人に、その悪霊人を再臨させ、この悪人が実体として、その地上人に悪の業をさせることによって、その地上人が自ら清算すべき罪に対する蕩減条件を立ててゆく方法である。

 このようなとき、その地上人が、この悪霊の業を当然のこととして喜んで受け入れれば、彼は自分か或いはその祖先が犯した罪に対する蕩減条件を立てることができるのであるから、その罪を清算し、新しい時代の恵沢圏内に移ることができるのである。このようになれば、悪霊人の業は、天の代わりに地上人の罪に対する審判の行使をした結果になるのである。それ故に、その業によって、この悪霊人も、その地上人と同様な恵沢を受け、新しい時代の恵沢圏に入ることができるのである。(注1)

 

悪霊人達の再臨復活

 

この教義に基づいて、身の周りに起こる事故や病気などの苦難を霊障、すなわち先祖の罪などの霊的な原因によって引き起こされる災いであるととらえたり、人間関係の軋轢や家庭の問題を先祖の罪の影響ととらえたりすることは可能であり、むしろ自然なことである。したがって蕩減とは先祖の因縁を清算することであり、それによって自分自身が苦難を乗り越えることができると同時に先祖も救われる、ととらえることは間違いではない。むしろ「因縁」の概念自体が極めて日本的な解釈によって受容されたように、蕩減の概念が日本の土着の宗教性にマッチするような形で受容されるのは、ある程度必然的なことであるとさえ言えよう。

しかし、それでも「先祖の因縁」を清算することと「蕩減」は、完全に同一ではない。もし「蕩減」を「先祖の因縁」を清算することとしてのみとらえるならば、それはその概念の一部しかとらえたことにならない。そこで以下において、これら二つの概念の非連続性について論ずることにする。

 

(注1)『原理講論』第5章復活論、第2節復活摂理、(三)霊人に対する復活摂理(3)楽園以外の霊人たちの再臨復活より

 

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