私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしています。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第13回の今回は、2023年10月号の巻頭言です。
憲法改正に本気で取り組むべき時が来た
2020年に公開された映画『日本独立』を、私は映画館で一度見たのですが、今年の終戦記念日にレンタルでもう一度見ました。この映画は白洲次郎と吉田茂を軸に、日本国憲法がどのように作られたかを描いています。一国の憲法がこんな拙速なやり方で決められていいのか、というのが私の率直な感想です。
いわゆる松本委員会による新憲法の草案があまりにも保守的であったためにマッカーサーはこれをよしとせず、連合国総司令部にいたアメリカの軍人たちによって極めて短期間で草案が作られ、それがほぼそのまま受け入れられて現在の日本国憲法になりました。
マッカーサーが新憲法の制定を急がせた理由は、極東委員会が動き出せば米国が主体となっている日本の占領政策にソ連が口出しをしかねないので、その前に既成事実を作っておく必要があったからです。
そのため日本国憲法の前文はそれ以前に存在した歴史的に有名な宣言や文書を寄せ集めて切り貼りしたような内容になっており、しかも英文を翻訳したような不自然な日本語になっています。なによりも日本の憲法でありながら日本の歴史、伝統、文化、国柄などに一切言及しておらず、「日本国の顔」が見えない文章になっています。
『日本独立』の中で、吉田茂が自分の娘に対して「GHQは何の略か知っているか?」と尋ね、「ジェネラル・ヘッドクオーターじゃないの?」と答える娘に、「いや、ゴー・ホーム・クィックリー(早く帰れ)」だと冗談を言うシーンがあります。
吉田茂としては、占領軍に逆らっても勝ち目はないから、いまはマッカーサーの憲法を受け入れておいて、講和と独立を勝ち取って米軍がいなくなったら、憲法改正はいくらでもできると考えていたのでしょう。まさかその憲法が施行以来76年にわたって一度も改正されないとは、夢にも思わなかったに違いありません。
憲法が施行された1947年当時と現在では日本の状況は大きく変わっているのですから、憲法も時代に合わせて改正すべきなのは当然の理です。さらに、憲法では戦力を保持しないと言っているのに、実際には自衛隊が存在するなど、憲法と現実の間に大きな矛盾が生じてしまっています。自衛隊の違憲論争に終止符を打つためにも、憲法改正は必要です。
昨年7月の参院選の結果、自民、公明、維新、国民を合わせた「改憲勢力」が衆参両院で3分の2を超え、憲法改正の数的基盤は整いました。そして大型国政選挙のない「黄金の3年」の間に憲法改正をやろうというのが岸田政権のプランだったのです。
しかし、安倍元首相暗殺事件によって引き起こされた政局の混乱と岸田内閣の支持率低下により、「黄金の3年」はどこかに吹き飛んでしまい、盛り上がっていた憲法改正の機運もしぼんでしまいました。
現在の日本国憲法は日本人の手によって自主的に作られたものではなく、さらにこの憲法の是非について日本国民の総意が問われたことは一度もありません。憲法改正は安倍首相の悲願でした。その遺志を受け継ぐためにも、われわれが憲法改正に本気で取り組むべき時が来たと感じます。