Web説教「信仰による家族愛の強化」03


 前々回から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその3回目です。前回は森山操先生の「母の愛」についての証しを紹介しながら、「ほとばしるような情愛」について考えました。そして、私達が心情豊かな人になるためには、豊かな心情の源泉である神様を知らなければならないという話をしました。

 ここでもう一度、渡辺京二氏の著作である『逝きし世の面影』の内容に戻りたいと思います。この本によれば、日本人は確かに親子の情愛が豊かな民族であったということは間違いないわけでありますが、もう一つの重要な愛である夫婦の愛、男女の愛に関しては、それが高貴なものであるとか、神聖なものであるという観念は、どうも江戸期の日本には存在しなかったようなのです。ラインホルト・ヴェルナーという人はプロイセンの軍人であり外交官であった人ですが、次のような言葉を残しております。
「わたしが日本人の精神生活について知りえたところによれば、愛情が結婚の動機になることはまったくないか、あるいはめったにない。そこでしばしば主婦や娘にとって、愛情とは未知の感情であるかのような印象を受ける。わたしはたしかに両親が子どもたちを愛撫し、また子どもたちが両親になついている光景を見てきたが、夫婦が愛し合っている様子を一度も見たことがない。神奈川や長崎で長年日本女性と夫婦生活をし、この問題について判断を下しうるヨーロッパ人たちも、日本女性は言葉の高貴な意味における愛を全く知らないと考えている。」

 当時、日本人女性と結婚した西洋の男性もいたのですが、その人たちからは日本人女性はそのように見えたというのです。つまり、「性愛が高貴な刺激、洗練された感情をもたらすのは、教育、高度の教養、立法ならびに宗教の結果である。」とラインホルト・ヴェルナーは言っているのです。それを渡辺京二氏が言い換えたのが、男女の愛が神聖で高貴なものであるという考え方は、「一言でいうならキリスト教文化の結果である。」ということなのです。

 当時の日本人にとって、男女は「愛し合う」というよりも、互いに「惚れ合う」ものだったのです。つまり男女の関係というものは「惚れた腫れた」という世界であって、両者の関係を規定するのは性的結合だったということです。ですから結婚も性も、彼らにとっては自然な人情にもとづく、本当に気楽で気易いものであったのです。性を精神的な憧れや愛に昇華させる志向が、徳川期の社会にはまったくといっていいほど欠落していたと、渡辺京二氏は書いています。当時の日本人の性愛というものは、非常に世俗的なものであったということです。これが庶民の生活です。

 一方で、上流階級の女性たちがどうだったかというと、彼女たちはしあわせな少女時代を過ごしますが、そのしあわせは結婚とともに終わったというのです。結婚は個人と個人の精神的な結びつきというよりも、家と家の結合であり、実家を離れて夫の属する家に入ることであったのです。そこで待っているものは、家の支配者である舅・姑および夫に対する奉仕者として仕える生活であり、徹底した忍従と自己放棄の生活をするのが、当時の上流階級の女性の新婚生活であったのです。ですから女性として余裕やいっぱしの自由が持てるのは、晩年になってからということになります。若いころに夫婦愛を喜びを持って経験するというようなことは難しかったのです。したがって日本人は、夫婦の精神的愛情を育んだり表現するのが基本的に苦手な民族であるということになります。

 これが大まかな日本の文化伝統ということになるわけですが、最近の日本人はどうなのでしょうか? だいぶ日本も西洋化されてきました。その中で、いま日本の家庭が危機に瀕しているということをいくつかの根拠を示して述べてみたいと思います。

 いま日本の家庭が抱えている危機の一つが離婚の問題です。離婚率は「高止まり」している状況です。1970年代には、年間に結婚するカップルの数が約100万組であるのに対して、離婚するカップルは約10万組でした。これはおよそ10組に1組が別れるという状況です。しかし現在、年間に結婚するカップルの数は60万組を切ったのに対して、離婚するカップルは20万組を超えています。すなわち、いまは3組に1組以上が離婚するという状況になっているのです。日本人の場合には、夫婦仲が悪かったとしても法的には離婚しない、いわゆる「家庭内離婚」とか「家庭内別居」という状況も増えているので、事実上の離婚率はもっと高いのかもしれません。

 さらに児童虐待も深刻な問題で、児童相談所が対応する件数も、警察が通告する件数も、毎年過去最高を記録し続けています。かつて日本は「子どもの楽園」と呼ばれ、日本人は子どもを本当に愛する民族だと言われてきたわけでありますが、最近はそれが崩れてきているようです。

 この虐待は、子どもの大切な未来を奪う深刻な問題であるということが最近の研究で分かってきております。最近は科学が発達して、生きたまま人間の脳をスキャンすることができるようになりました。そうすると、虐待を受けた子どもが脳になんらかの損傷を受けていることが分かってきたのです。

 たとえば、強い体罰を受けた子どもは、前頭葉の一部、感情や意欲などを司る部分が最大19%縮小している、つまり発達が阻害されているということが分かりました。性的虐待を受けた子どもは、後頭葉一次視覚野、注意力や視覚的記憶力を司る部分が14.1%縮小していることが分かりました。暴言や面前DVのような心理的虐待を受けた子どもは、側頭葉上側頭回と呼ばれる、言語理解を司る部分が9%~15%萎縮していることが分かりました。

 つまり、虐待を受けると脳の一部が上手く発達できなくなってしまうということが科学的に分かってきたということなのです。こうした虐待を受けた子どもたちの予後は大変厳しくて、男の子であれば犯罪者になるリスクが高まり、女の子であれば風俗の道に行ってしまうリスクが高まると言われています。したがって、これは子どもの頃だけの問題ではなく、成人してからも精神的なトラブルをたくさん抱え、悲惨な人生を送るリスクが高まるということなのです。長崎大学教育学部准教授の池谷和子先生は、虐待によって子供が背負う人生のハンデについて、以下のように述べています。
「親や養育者、その他の親代わりの人間関係においてひどく裏切られたことのある子供たちは、将来の人間関係においても、とくに権威を持った人物からはまた裏切られるのではないかと予測し、裏切者で頼りにならず信頼できないという権威者像を内面化しているため、愛着形成能力が著しく損なわれている。

 その結果、自分が好きになったり信頼した権威者に裏切られるだろうと予測し、そのような関係を回避・用心する傾向がみられる。このように、虐待された子供が負わなければならないハンデは一生ついて回る。」

 こうした研究の結果、「虐待は連鎖する」ということが分かってきました。虐待を受けた子供は成長して、自らの子供を虐待し、世代や社会を超えて悲惨な状況が受け継がれていくという深刻な状況が明らかになったのです。

 日本の家庭が抱えているもう一つの危機は、家庭そのものの縮小です。これは具体的には少子化、超高齢化社会、人口減少の問題となって表れています。日本の人口のピークは2010年ごろであり、いまや日本の人口はものすごい勢いで減少しています。ピーク時には約1億2千万いた日本の人口は、2065年には8千万台に減少すると予想されていますが、高齢者の人口はさほど変わらないのに対して、生産年齢人口(15~64歳)は激減すると予想されています。これは日本経済にとっては大きな後退要因となります。

 日本の少子化の根本原因ははっきりしています。それは若者たちの晩婚化、未婚化、そして非婚化という傾向です。いまや平均初婚年齢は男女ともに30歳ぐらいにまで上昇し、生涯未婚率(50歳までに一度も結婚しない人の割合)も、男女ともにうなぎ登りになっています。いまや日本社会は、若者たちが結婚しない社会、結婚に希望や魅力を感じない社会になってしまっているのです。これが具体的なデータに現れた「日本の家庭の危機」ということになります。
(次回に続く)

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