3月31日から「信仰による家族愛の強化」と題するWeb説教の投稿を開始しましたが、今回はその7回目です。前回は家庭連合の結婚観について、旧約聖書の創世記1章17節の聖句を中心として説明しました。「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」とあるように、そもそも人間が男性と女性に造られたのは、神様ご自身の中に陽と陰、プラスとマイナスがあり、それが二つに分かれて出てきたのです。したがって、一組の男女が結婚するということは、神から分かれた二つの宇宙が出合って、神に似たものとなるということなのです。このようにして夫婦となり、愛を完成させることが結婚の本来の目的だったのです。
このような結婚の理想を、私たちは「祝福式」というものを通して実現しようとしています。では家庭連合で行っている祝福式とはいったい何であるかと言えば、それは「神を中心とした結婚」をするということであります。ではどうして、自分が好きなように結婚するのではなくて、神様を中心において結婚をしなければならないのでしょうか?
それはいわゆる恋愛というものが、基本的に自己中心的な性質をもったものだからということになります。いわゆる男性が女性を好きになる、女性が男性を好きになるというのはどういうことかというと、男性ならば「こういう女性がいいな」という欲望があります。たとえば美人で、かわいくて、スタイルがよくて、従順でといったようなタイプの女性を好みます。これは要するに、自分がこうであって欲しいという願望を相手に投影しているということになります。
一方で女性の方も、背が高くて、ハンサムで、やさしくて、高給取りで、といったようなタイプの男性を好むとすれば、これも自分の願望をかなえてくれるような男性がいいということなのです。このような願望を男女がお互いに投影しあって引き合うということになるわけですが、結局それは、自分の欲求を相手にぶつけ合っているのであり、自分の欲求にかなう人のことを「好き」とか「愛している」と言っているのです。これは究極的には自己中心的な動機に基づくものであると言わざるを得ません。
したがって、このような恋愛には「変わらない愛の中心」というものが存在しません。ですからその愛に永続性がないのだということになります。もっと素敵な人が現れたら心が変わってしまうかもしれないし、相手の実態が分かって幻滅してしまうかもしれないし、結婚した後で自分の欲求が変わるかもしれません。このような一時的な高揚感というものは、長続きしないわけです。
そこで私たちは、真の愛に基づいた結婚をすべきであると考えています。それでは真の愛とは何かというと、神様を中心とする愛、神様を動機とする愛であり、相手の為に生きる愛です。夫は妻の為に生き、妻は夫の為に生きるという、お互いの為に生き合う愛です。それは一時的な感情の高揚や打算を超えた愛であり、献身的で犠牲的な愛ということになります。このような愛を築いていくことが幸せな結婚の基盤になると、私たちは考えています。それでは、このような「祝福結婚」というものを体験したあるカップルの証しがありますので、それを聞いてみましょう。なお、以下の内容は「世界平和統一家庭連合公式チャンネル」で公開されている動画から掘り起こしたものです。
「夫の遺言書 村田恵子
若いころの私はとても嫉妬深い女性でした。好きな男性が女性と話していれば、夜も眠れないほど嫉妬しました。好きになる男性は決まって、今でいうイケメンでした。自分も決して美人ではないのに、相手には高望みばかりしていました。
そんな私も30歳で結婚しました。理想の男性ではありませんでしたが、神様が与えてくれたと信じたのです。私が『理想の男性』につくり変えてあげればいいんだと思いました。私よりも2歳若いのにもかかわらず、夫は年寄くさい外見でした。
『黒縁の眼鏡が悪いのよ』といって、金縁に変えたら、いい顔になりました。髪を短くカットしてあげたら、薄い髪も目立たなくなりました。白と黒の服しか持っていない夫に、カラフルな服を着せてあげました。話し方や仕草に対しても私が口うるさく指導していきました。夫は私に何を言われても、笑いながら聞き入れてくれました。そんな夫を見るたびに『嫌な女だと思われている』と感じ心が痛みました。
銀婚式をお祝いした後、夫がしみじみと語りました。『ぼくはね、絶対に遺言書を書いておこうと思っているんだ』『財産なんてないのに、何を書くの?』『内緒だよ』きっと私への苦言を書くのだろうと思い、気持がふさぎました。
数日後、夫の机で『遺言書』を発見! こっそり覗くとこう書かれていました。『恵子さん、長い間、ぼくと遊んでくれて本当にありがとう。ぼくと仲良くしてくれて、大切にしてくれて、本当にありがとう』
私は夫を『理想の男性』に変えようと、口うるさく言ってきました。しかし夫にとってそれは『仲良しの楽しい遊び』だったのです。『自分を大切にしてくれている』と感じていたのです。なんと純粋な、そして広く大きい心の持ち主だったのでしょうか!
あまのじゃくな私は、今でも時たま、夫の服装などについて注意してみます。いくら激しく言っても、夫は『恵子さんありがとう、愛しているよ』と答えます。歳をとった今、一番うれしいのは夫の優しさと変わらない愛なのです。
『結婚は、私のためではなく、相手のためにするものです』 文鮮明」
(https://www.youtube.com/watch?v=D8T8k0Qa1m8)
いかがでしょうか。この祝福結婚を受けた人というのは、最初から立派な人だったということではなくて、ごく普通の人だったのでありますが、信仰を持って夫婦関係を築いていくなかで、次第に幸せになっていったということなのです。