日本人の死生観と統一原理シリーズ02


(2)古代中国の思想

このシリーズの目的の一つは、「あの世や死後の世界」の問題について日本人がどのように考えてきたかを明らかにすることにより、こうした世界の存在を信じることが日本の宗教伝統に反するものではなく、むしろ伝統的な日本人の死生観に含まれていることを明らかにすることです。古代インドの思想である「輪廻転生」と並んで、日本人の死生観に大きな影響を与えてきたのが、古代中国の思想です。

1.古代中国の思想における死生観
古代インドの死生観を生み出した背景が「この世は苦である」という想念であったのとは対照的に、古代中国の思想の根底には「この世は楽である」という想念があります。そのくらい、中国は気候も穏やかで豊かな土地であったということでしょう。それゆえに、死んだ後も「この世に帰りたい」、あるいは「この世にずっと居たい」と願う「永生」の思想が生まれました。

古代中国の思想においては、「死」とは、魂と肉体の分離(浮遊状態)であると見ました。死後、「魂(こん)」は雲のように空中を漂っていると考え、一方、地上に遺した肉体を「魄(はく)」と呼びました。「魄」の字の白は、白骨化した色の白を表しています。これは以下のイメージで示されるような、現代人が考える「幽体離脱」のイメージに近いと言えるでしょう。

「幽体離脱」

幽体離脱② 幽体離脱③ 幽体離脱④
「幽体離脱」

下の図は、加地伸行著『沈黙の宗教 ー 儒教』(筑摩書房、2011年)の39ページから取ったものですが、古代の中国人の世界観では、踏み締める大地とドーム型の天を考えており、死後も、魂と魄はこの世にあり、魂は天を漂っているととらえています。したがって、この世とは別の世界に魂が行ってしまうとは考えていなかったようです。

古代中国人の世界観

古代中国人の世界観

古代中国では「招魂(しょうこん)再生」といって、浮遊している魂を呼び、魄と一つにすれば、よみがえると考えられていました。この「招魂再生」の儀式が行われる中で、特に儒家の人々は祭礼を重んじたのです。つまり、招魂すれば肉体(魄)がよみがえると考えたわけです。下の写真は、儒教の伝統を引き継ぐ台湾の招魂再生の儀式です。

招魂再生

招魂再生

2.儒家の「孝」の思想と先祖祭祀
儒家の「招魂再生」には、魂を戻すための魄を納める「お墓」が必要となってきます。古代中国では、死体の頭(頭蓋骨)を家に祀ることもありました。儒家では、死後、家の裏に、祠(ほこら)や社(やしろ)を建て、そこに魄を置き、先祖を祀ったのです。やがて、その魄は、木の板に名前を書くことによって代用されることとなり、それが今日の「位牌」の起源となっています。

この名前を書いた板を、もともとは「神主」(しんしゅ)と呼んでおり、さらに、家から魄を祀っている「祠」や「社」に行くための道を「神道」(しんどう)と呼んでいました。歴史的に考察してみると、日本の神道は、儒家の思想の流れを継承して形成されたとみることができます。

「兄」の甲骨文と篆文

兄③ 兄②「兄」の甲骨文と篆文

やがて、家の裏にあった「祠」が、家の中に移され、それが仏教と習合することにより、今日の「仏壇」となっていきました。したがって、この先祖を祀る儒家の風習は、日本における「先祖祭祀」の原点となっていると言えます。
先祖を祭祀する際に、祝詞(のりと)や供物(くもつ)などの甕(かめ)を持って先祖に捧げる姿の、その捧げる祝詞の形を「口」の文字で表し、そこに、持っていく人の二本足を付けて、「兄」という文字が生まれたと言われています。すなわち、一族の中で最初に生まれた男子が、「先祖祭祀」をするところに兄の文字の由来があるのです。

 

したがって、「先祖祭祀」をするその根底には、魂への「慰霊」という観念が存在しているのです。この儒家から来た「先祖祭祀」の思想においては、先祖の魂を慰霊するには、必ず「子孫」が必要ということになります。特に、血統の近い人に祀ってもらうために、直系の男子が必要ということになってきます。

そこから、孔子の説く儒教における「孝」の思想が確立していったのです。「孝」とは、①先祖を祀ること、②親に仕えること、③子孫を残すこと、の三つを指しています。「先祖祭祀」をする上で、先祖、親(自分)、子孫という「生命の連続」としての「血統」の重要性が説かれてきたのです。

その帰結として、古代中国の思想では、「葬式」が大切にされ、また、招魂すれば肉体(魄)がよみがえると考え、魄を保存する「お墓」が重視されたのです。ですから、もともとこうしたものを重視しないインドの仏教が古代中国に入ってきても、なかなか広まらなかったのです。そこで、中国において仏教が受容されていく過程で、こうした慣習が取り入れられるようになり、先祖供養がなされるようになりました。

盂蘭盆経

盂蘭盆経

その過程で生まれたのが、目犍連と「盂蘭盆」の説話です。目犍連(もくけんれん)は目連(もくれん)とも呼ばれ、釈迦の内弟子の一人で、弟子の中で神通第一といわれています。「盂蘭盆経」は、中国で孝の倫理を中心にして成立した偽経で、その中に次のような「盂蘭盆」の逸話があります。
「目犍連がある日、亡き母を神通力によって見たところ、生前に子を思うあまりに犯した罪によって、逆さ吊り(ウラバンナ)という餓鬼道の責め苦に遭っていた。そこで目犍連は悲しんで、釈迦に相談した。釈迦は『多くの修行僧に食事を施して供養しなさい』と指導し、目犍連がその供養を行ったところ、たちまちのうちに母親は餓鬼道を脱して極楽に往生し、歓喜の舞を踊りながら昇天した。」

民間伝承の世界では、現在行われる盆踊りは目犍連の母親が天へ昇る姿を象形したものであるとされています。このように、先祖供養を受け入れ、中国の宗教的伝統と慣習を受容した形の仏教が、日本に伝来してきたのです。

こうした古代中国の死生観は、家庭と血統を重視するという点で統一原理と通じるものがあり、韓国および日本の宗教意識とも強い親和性があると言えます。ただし、、招魂によって死者が再生するという思想は、キリスト教の信じる「肉体の復活」にも似たものであり、現代科学とは相容れない考え方であると同時に、統一原理においては否定されているものであると言えます。また統一原理は、死後の魂が単にこの世を浮遊しているだけであるとはとらえておらず、「霊界」という別の世界へと旅立っていくとしている点も、古代中国の思想とは異なっています。

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