憲法改正について09


 これまで憲法改正が必要な理由を七つのポイントにまとめて説明してきましたが、このシリーズの残りの回は、憲法改正をめぐる代表的な議論を紹介します。以下の4つの項目を扱いたいと思います。

①左翼が憲法改正に反対する理由
②憲法学者の中で護憲派が主流である理由
③日本国憲法は世界で唯一の平和憲法か?
④各政党の憲法改正に対する主張はどうなっているか?

1.左翼が憲法改正に反対する理由

 いまの政治情勢では、保守的な人々が憲法改正を叫び、共産党をはじめとする左翼勢力は護憲を叫んでいます。しかし、もともとはそうではありませんでした。共産党も社会党も、もともとは改憲派だったのです。

憲法改正について図⑭

①共産党も社会党も、もともとは改憲派だった

 日本共産党は第90回帝国議会(1946年)に政府が提出した『帝国憲法改正案』に対して終始、絶対反対を唱えました。当時、野坂参三は以下のように言っていました。
「当憲法は、我が国民と世界の人民の要望するような徹底した完全な民主主義の憲法ではなく、羊頭狗肉の憲法である」

 共産党は同年6月29日、『日本人民共和国憲法(草案)』を発表しています。この憲法草案は天皇制を徹底的に批判し、「日本国は人民共和国である」ことを第1条に明記していました。これが共産党の本音だったのです。

 社会党は1946年2月24日、「民主主義政治の確立と社会主義経済の断行を明示」することを「方針」とした『憲法改正要綱』を公表し、社会主義の理念を憲法に謳うことを主張しました。左翼の人々の本音はこのようなものだったのです。

②55年体制の確立により、護憲と改憲が逆転

 しかし、この改憲と護憲の立場の逆転が、55年体制の確立によって起きたのです。もともと日本の保守政党は当分は憲法を改正するつもりはありませんでした。彼らは新憲法制定に直接携わった者たちだったので、その困難さを身をもって感じていました。そこでこんなに大変なことであれば、当面の間は憲法の改正などやりたくないと思っていたのです。

 ところが、1955年10月に左派社会党と右派社会党が統一し、「護憲と反日米安保」を旗印にして日本社会党が発足しました。そして翌11月に日本民主党と自由党が合同し、「憲法改正と自主憲法の制定」を党是に掲げる自由民主党が結成されました。このときから、憲法改正をめぐり自民党と社会党の対決姿勢が鮮明になったのです。このように、55年体制の確立をもって護憲と改憲が逆転するようになります。

③なぜ左翼勢力は憲法改正に反対するのか?

 ではなぜ、左翼勢力は憲法改正に反対しているのでしょうか? その第一の理由は、弱い日本であることが「革命」に好都合だからです。憲法を改正したら、強い日本になってしまいます。それは困るので、弱い日本に留めておくためには現行憲法の方が都合がよいのです。そして民主主義の徹底によって、「上部構造」を解体できるからいまの憲法は都合がよいということになります。つまり、左翼勢力は現行憲法を真に尊重し、護ろうとしているわけではなく、革命の前段階では都合がよいので「護憲」を叫ぶというのが、左翼の立場なのです。

④東京大学の小林直樹教授(憲法学)が指摘する矛盾

 左翼の護憲論議の矛盾については、東大で憲法学の教授をつとめた小林直樹氏が以下のように指摘しております。
「日本国憲法は、資本主義の私的自由を確認した点で、社会主義憲法ではない。(筆者注:憲法第29条に「財産権は、これを侵してはならない」とあるので、現行憲法は私有財産を保障しています。)(中略)それは社会主義への道にとって出発点として利用できても、この憲法のもとで、社会主義への移行を完了することができないのは当然であるといわなければならない。つまり、平和的変革の最後の局面では、ひとつの『飛躍』なしに社会主義体制に移行することはできない。別な言い方をすれば、この『移行』と同時に、現行憲法の制度的内容は大幅な『改正』を要することにならざるを得ないであろう」(『現代の眼』1962年6月号)

 日本共産党の本音は「二段階革命論」であると言われています。第一段階は民主主義革命であり、選挙における野党共闘で自民党政権を打倒することを目指します。それまでは「護憲」の立場をとるのです。そして、政権を取った後に第二段階として社会主義的変革を行い、日本を社会主義国家にしようとしているのです。このときには絶対に憲法改正が必要となります。

 したがって、左翼の本音は「改憲」であるわけですが、いまは表向きの「護憲」を唱えているのです。

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憲法改正について08


 憲法改正が必要な7番目の理由は、日本国憲法には家族の尊重・保護の規定がないということです。

7.日本国憲法には家族の尊重・保護の規定がない

①憲法第24条は個人主義に立脚し、家族の解体を含意している

 これは特に憲法第24条に関して言えることです。現在の憲法第24条は徹底的な個人主義に立脚しており、家族の解体を含意しているのではないかということです。

 有名な日本国憲法第24条は以下のようになっています。
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」

 家族に関する法律はすべて個人の尊厳に基づいて制定されなければならないと言っているわけですから、この条文の目的は日本の家父長的な家族制度を否定することにあったと言えるのです。東京大学で憲法学の講座を担当していた樋口陽一教授は、「家族の問題について『個人の尊厳』をつきつめていくと、憲法第24条は、・・・家族解体の論理をも含意したものとして意味づけられるであろう」と述べています。(樋口陽一『国法学 人権原論』有斐閣、2004年)すなわち、憲法で「個人の尊厳」ばかりを徹底的に強調すれば、最終的には家族を解体させる方向にむかうのではないかということです。

②憲法第24条の原案起草者ベアテ・シロタの動機

 憲法第24条がそもそもどのようにして作られたのかというと、当時22歳だった日本滞在暦のあるベアテ・シロタという若い女性が民生局の中にいて、彼女がこの24条を起草したと言われております。

憲法改正について図⑬

 もともとGHQが作成した憲法第24条の原案には、ベアテ・シロタさんによって、家族と婚姻に関する詳細な条項が設けられていました。その中には憲法というより民法の方が相応しいと思われるような家族と婚姻に関する非常に細かい条項が入っていました。それらの大部分が最終的に削られて現在の24条になり、婚姻は両性の合意のみ、個人の尊厳、両性の本質的平等という部分だけが残ったのです。

 ベアテ・シロタさんがこの24条を起草した目的は、日本の家父長的な家族制度を変えるためでした。彼女は自分自身の経験から、日本人は家族生活において男性中心であること、結婚は親に強制されていること、養子縁組はもっぱら親の意思によって決められていること、長子のみに相続権があることなどを知り、憲法で詳細に書き込む必要がある、なぜならば、民法にまかせておいては、結局、男性の手によってつくられ、男性優位の法律になるだろうと考えたのです。こういう発想に基づく日本国憲法には「家族の尊重」という文言がなく、むしろそれを解体して個人主義に向かわせる方向性を持っていると言えます。

③国際的には家族は「社会の自然的、基礎的単位」である

 しかし、国際的には家族は「社会の自然的、基礎的単位」であるということは広く認められています。その根拠には以下のようなものがあります。
・世界人権宣言(1948年) 第16条3項:「家族は社会の自然的かつ基礎的な単位であって、社会および国の保護を受ける権利を有する」
・国際人権規約(自由権規約、1966年)第23条1項:同様の記述
・国際人権規約(社会権規約、1966年)第10条1項:家族に対してできる限り広範な保護および援助が与えられるべきであると規定

 以下の国々の憲法にも家族条項があります。
・イタリア憲法(1947年)第29条
・アイルランド憲法(1937年)第41条1項
・フィリピン憲法(1987年)第2条12節、第15条1節・2節

 そして1990年以降に制定された105カ国の憲法中、88カ国(83.2%)に家族保護条項が設定されているのです。

④自民党の憲法改正案(2012年4月27日)には家族条項があった

 実は自民党が野党時代に作った憲法改正案には家族条項がありました。その文面は以下のようになっています。
「憲法改正案24条
家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」

 これはいまの憲法第24条の冒頭に家族を尊重する旨の条文を入れたものです。この文言は国際的な人権規約の規定をほぼ踏襲していますので、その点は良いと思うのですが、家族を尊重するだけであり、家族が「社会および国の保護を受ける権利」が記載されておりません。ですからそれも書き加えた方がよいだろうと思います。

 さらに、野党時代に作った憲法改正案にはこの「家族条項」が入っていたにもかかわらず、現在自民党が推し進めている憲法改正案の優先事項の中には、この「家族条項」は入っていません。私たちの思想・考え方からすれば、これを優先事項に入れるべきだということになるでしょう。

 以上が、憲法改正が必要な七つのポイントということになります。

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憲法改正について07


 憲法改正が必要な6番目の理由は、日本国憲法には緊急事態条項が存在しないということです。

①緊急事態条項の必要性を痛切に感じる時代になった

 いま私たちが生きている時代は、緊急事態条項の必要性を痛切に感じる時代になりました。その理由は何と言っても、新型コロナウィルスのパンデミックを経験したからです。この世界的な危機に対して日本は、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正によって対応しました。これを法的根拠として首相が緊急事態宣言を発出したのですが、憲法の根拠がなかったのです。ですから首相の宣言に基づき、都道府県知事は外出自粛、学校の休校、行事の制限、予防接種実施への協力、医療提供体制の確保などを要請できるのですが、一般国民に対してなせるのは要請・指示であり、強制力はありませんでした。

憲法改正について図⑫

 ですから諸外国のロックダウンに比べ、日本政府ができることは非常に限られていたのです。これは憲法の中に緊急事態条項がないことが原因です。コロナ・パンデミックのほかにも、中国による台湾侵攻の可能性が高まってきて、「台湾有事=日本の有事」などと言われるようになりました。そしてロシアによるウクライナ侵攻によって、他国による侵略は実際に起こり得るのだ、緊急事態というのは起こり得ることなんだと知ったのです。こうした現象を通して、緊急事態になれば平時の法では対応できないことに対する国民の理解が深まったのです。

②世界のほとんどの国の憲法には緊急事態条項がある。

 外部からの武力攻撃、内乱、組織的なテロ、重大なサイバー攻撃、経済的な大恐慌、大規模な自然災害、深刻な感染病など、平時の統治体制では対処できないような国家の非常時にあって、国家がその存立と国民の生命、安全を守るために、特別の緊急措置を講じることを、「国家緊急事態」といいます。

 このような意味での緊急事態条項は、西修氏の調査によれば、189の国家中、184の国家(97.4%)に見出すことができたということです。導入していない国を探す方が難しいくらいで、ノルウェー、ベルギー、オーストラリア、モナコ、日本の5カ国のみとなります。1990年以降に制定された成典化憲法では、緊急事態条項がないものは皆無でした。国際人権規約にも緊急事態の規定がありますので、緊急事態条項は世界的には常識ということになります。ですから、当然日本国憲法にあっても良いのです。

③憲法に緊急事態条項を設定することは立憲主義に反しない

 ところが、危機的な状況になった時に、緊急事態条項を設定する憲法改正の話をすると、「火事場泥棒的な議論だ」と批判されることがあります。しかし、ことの本質は、火事場において泥棒が起こらないように、火事の時のルールを決めようというのが緊急事態条項の意味なのです。

 カール・フリードリッヒという米国の著名な政治学者は、「緊急事態に対処できない国は、遅かれ早かれ、崩壊を余儀なくされる。」と述べました。

 コンラート・ヘッセというドイツの著名な憲法学者も以下のように述べています。
「憲法は平常時においてだけでなく、緊急事態および危機的状況においても真価を発揮すべきものである。憲法がそうした状況を克服するための何らの配慮もしていなければ、責任ある機関には、決定的瞬間において、憲法を無視する以外に取りうる手段は残っていないのである。」

 つまり、緊急事態にあって一番大切なことは、憲法に立脚して国の平和と国民の生命・安全を維持・回復することなのです。むしろ、憲法に設定しなければ、政府が独善的な行動をとる危険性があるのです。

④自民党素案における緊急事態条項

 自民党が作った憲法の素案には、この緊急事態条項が含まれています。2018年3月24日に発表した「条文イメージ(たたき台素案)」の中の、憲法第73条の2は以下のようになっています
「①大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

 ②内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。」

 この自民党素案の特徴は、国家緊急事態として、「大規模災害」のみを対象としていることです。これは限定のしすぎであり、外部からの武力攻撃、テロ、深刻な感染症、重大なサイバー攻撃なども含めるべきであると思います。

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憲法改正について06


③憲法第9条はどのようにして制定されたのか?

 そもそも憲法第9条は、どのようにして制定されたのでしょうか? その制定過程を振り返ってみたいと思います。これは三段階からなっています。

 第1段階が「マッカーサー・ノート」と呼ばれるものです。これは1946年2月3日、マッカーサー元帥がGHQのなかで日本国憲法草案を作成するように命じるにあたって、これだけは入れるようにと指示したものであり、新憲法の肝に当たる部分です。全体が4項目からなり、その第2項目が戦争放棄に関するものでした。このマッカーサー・ノートの段階では以下のような文言でした。
「(1条)国の主権的権利としての戦争は、廃止する。日本は、紛争を解決するための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてさえも、戦争を放棄する。日本は、その防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる
(2条)いかなる日本の陸海空軍も、決して認められず、またいかなる交戦権も、日本軍隊に対して決して与えられない」

 ですから、マッカーサー・ノートの段階では、自衛権すら否定し、自衛のための戦争も否定していたということです。マッカーサーの最大の関心事は、日本を二度と戦争ができない国にするために、一切の武装を放棄させることにあったのです。

 第2段階が、ケーディス大佐の修正です。マッカーサー・ノートを受け取った民政局次長のケーディス大佐が、「自己の安全を保持するための手段としての戦争さえも」の部分を削除したのです。その理由は、「どの国も自衛の権利をもっており、それをも放棄する規定を入れるのは非現実的だと思ったから」ということです。これは1984年11月に西修氏がケーディス大佐本人にインタビューして分かったことです。ケーディス大佐の修正によって条文が以下のように変わりました。
「(1条)国権の発動たる戦争は、廃止する。武力による威嚇または武力の行使は、多国間との紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。
(2条)陸軍、海軍、空軍その他の戦力は、決して認められることはなく、また交戦権も、国家に対して与えられることはない」

 これによって自衛のための戦争までも否定していた文言がなくなったので、自衛のための戦争であれば認められると読めるようになったのです。

 第3段階が「芦田修正」と呼ばれるものです。これは帝国議会の衆議院帝国憲法改正案委員小委員会で委員長を務めた芦田均が加えた修正のことです。芦田均は日本の首相まで務めた人です。芦田修正によって、文言は以下のように変わります。
「(1項)国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2項)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 これは基本的に1項と2項の内容はアメリカの言うとおりそのままにして、それぞれ独立していた1項と2項の間に、「前項の目的を達するため」という語句を挿入することによって、両者を接続し結合させるという「技」を使ったということなのです。

 そうなると全体がどう読めるかというと、1項は国際紛争を解決するための手段としての戦争や武力行使を放棄しています。これは国際的には「侵略戦争をしませんよ」という意味になります。これに「前項の目的を達するため」という言葉をくっつけたことにより、2項はその目的のため、すなわち侵略戦争を目的とする戦力保持を否定しているのであって、自衛のための戦力であれば保持できると、ますます読むことができるように修正されたということなのです。

 ですから当時の日本の国会議員もそうとう頑張って、自衛権は認められると解釈できるような文言にするために、努力をしたのだということが分かります。

④憲法学者たちは自衛隊の合憲性をどう考えているのか?

 ところが、現代の憲法学者たちに自衛隊は合憲だと思うか、違憲だと思うかを尋ねると、以下のような結果になるのです。

憲法改正について図⑪

 これによれば、41%が違憲だと答え、22%が違憲の可能性があると答えています。自衛隊は合憲だと言い切った憲法学者は23%しかいません。このことから憲法学者は自衛隊が違憲だと考える傾向が非常に強く、国民の感覚からかけ離れていることが分かります。

⑤憲法9条改正に対する自民党の立場

 これはあまりにも申し訳ないじゃないかということで、自民党としてはまずは9条に自衛隊を明記することから憲法改正をしようじゃないかという意思表示をしたのです。以下は2018年3月25日に行われた自民党の党大会における安倍首相(当時)の発言です。
「結党以来の課題である憲法改正に取り組む時が来ました。4項目について議論を重ねてまいりました。もちろん第9条においても、改正案を取りまとめてまいります。わが国の独立を守り、平和を守り、国と国民を守る。そして自衛隊を明記し、この状況に終止符を打ち、そして違憲論争に終止符を打とうではありませんか。これこそが、私たち今を生きる政治家の、そして自民党の責務であります。」

 現在、自民党の憲法改正案は①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育充実の4項目からなっており、「自衛隊の明記」が筆頭に上がっております。自衛隊の方々が国を守るために頑張っているにもかかわらず、「憲法違反の存在だ」などと言われ続けているのはあまりにも申し訳ない。この状況を変えるのは政治の責任であると安倍首相は強く決意をしていたことが分かります。

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憲法改正について05


4.日本国民の意思が問われたことが一度もない

 憲法改正が必要な4番目の理由が、この憲法の是非について、日本国民の意思が問われたことが一度もないということです。

 日本国憲法には「上諭(じょうゆ)」と呼ばれる部分があります。「朕は」で始まりますので、天皇陛下のお言葉ということになります。以下のような内容です。
「朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

 これは日本国民の総意に基づいて、帝国憲法第73条に基づき憲法を改正したことを認め、公布するという意味です。さらに日本国憲法第1条は以下のようになっています。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

 これらが何を意味するかと言うと、日本国憲法は形式上、明治憲法第73条に基づいて改正されたことになっています。しかし、実際には改正にあたって国民の意思が問われたことは一度もないのです。ですから、「日本国民の総意に基づいて」と書いてあるこの上諭と第1条は、真っ赤な嘘なのではないかという疑念があるのです。これは現在の憲法の正当性に関わる問題です。

 それでは新憲法に対して国民の意思を問うという考えや試みが全くなかったのかと言えば、そうではありませんでした。実は極東委員会はこの憲法を「保護観察」する必要があるとみなしていたのです。

 そもそも極東委員会は、GHQ主導のもとに進められていく憲法改正に不快感をいだいていました。オーストラリア代表は、「日本国で施行される憲法は、暫定憲法であると考えるべきである。暫定期間の終了時に、国会の特別会議か憲法制定会議が暫定憲法を審査し、新憲法または改正憲法を国民投票に付すべきである。」と主張していたのです。

 さらに1946年10月17日の極東委員会の政策決定で、「極東委員会は、日本国憲法が日本国民の自由な意思の表明であるかを決定するにあたり、国民投票または憲法に関する日本国民の意見を確認するためのその他の適当な手続きをとることを要求できる」と定められました。しかし、実際に国民投票が行われることはなかったのです。ですから、日本国民はこの日本国憲法に対して「イエス」とか「ノー」とかいう意思を表明したことは一度もないのです。

5.自衛隊が憲法違反の存在にされてしまっている

 憲法改正が必要な5番目の理由は、もう少し具体的な内容になります。それは自衛隊が憲法違反の存在にされてしまっているということです。これは憲法第9条に関する問題です。憲法改正といえば第9条の改正というくらい、最も頻繁に議論される問題です。憲法第9条を改正すべきだという世論は、着実に高まっています。

憲法改正について図⑩

①憲法9条改正の世論は高まっている

 毎年憲法記念日になると、各新聞が憲法改正についての世論調査を行います。今年(令和5年)の読売新聞では、憲法改正の必要性についても、9条2項の「戦力不保持」の部分の改正についても、自衛隊の根拠規定を明記することに対しても、過半数が賛成をしております。毎日新聞の世論調査でも、自衛隊の根拠規定を明記することに対して55%が賛成しています。

 左寄りの朝日新聞の場合には、憲法9条の改正に対しては賛成37%、反対55%となっているのですが、朝日新聞でさえ賛成は昨年の33%から37%に上昇しているのです。自衛隊は災害復旧作業等で活躍しており、国民から幅広い支持を得ているのに、違憲の存在にしておくのは申し訳ないという思いから、この部分に関しては改正した方がよいという世論が高まっているのです。

②憲法第9条をめぐる解釈

 それでは憲法第9条の解釈はどうなっているのでしょうか。日本国憲法第9条は以下のような文言になっています。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」この第1項は「戦争放棄」を定めた部分です。
「2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」この第2項は「戦力の不保持」を定めた部分です。

 憲法9条の解釈の最大の問題は、いくら日本が戦争をしないんだと言っても、日本がどこかの国から侵略を受けた場合、自衛権の行使として武力で侵略を撃退できるかどうかということです。

 これに関してはさまざまな解釈が可能でしょうが、司法の解釈としては最高裁の判決があります。最高裁判所は、日米安保条約の合・違憲性が問われた事件(砂川事件)の判決で、次のように述べています。
「(憲法第9条により)わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。(中略)わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」(1959年12月16日)

 一方で政府の解釈は、「自衛のための抗争は放棄していないが、陸海空軍その他の戦力の保持は認められない。『戦力』にいたらない『自衛力』によって、自衛権を行使することは可能である。」というものです。しかし実際には戦力と自衛力をどこで線引きするのかは難しいわけですから、その場しのぎの苦しい解釈になってしまっています。憲法の文言と現実の間に齟齬があるので、分かりにくくなってしまっているのです。

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憲法改正について04


⑤日本国憲法の成立過程に対する当時の有識者の評価

 日本国憲法が成立した当時、その時代に生きた知識人たちは新憲法をどのように評価していたのでしょうか? 注目すべき評価の一つに、東京帝国大学総長や貴族院議員を務めた南原繁の言葉があります。彼は内村鑑三の弟子で、無教会派のクリスチャンでした。彼は以下のように言っています。
「日本政府がその憲法の改正に対して、最後まで自主的自律的に自らの責任をもってこれを決行することのできなかったことをきわめて遺憾に感じ、国民の不幸、国民の恥辱とさえ私どもは感じておるのでございます。・・・これは、あたかも何かの都合で初めひとまず英文でまとめておいて、それを日本文に訳したごとき印象を与えるものであります。占領治下の暫定憲法というなればいざ知らず、これをそのまま独立国家たる日本の憲法として、我々が子孫後代に伝えるに足る形式を果たして持っているかどうか。」

憲法改正について図⑨

⑥日本国憲法の成立過程に対する現代の有識者の評価

 それでは現代の有識者たちは、この憲法の成立過程をどのようにみているのでしょうか? 保守派の評論家として有名で、東京大学教養学部教授を務めた渡部昇一は『アメリカが畏怖した日本』(2011年)という本の中で以下のように述べています。
「憲法は国家最高の主権発動である。では、主権のない時代に憲法が制定できるか。存在しない主権を発動できるはずがないから、たとえつくったとしても憲法となりえない。これは法律の素人でもわかる理屈だと思う。

 日本国憲法は昭和21年に公布され、翌22年から実施された。このとき、日本は占領軍の占領下にあった。あの頃、占領軍は憲法に関する一切の議論を封じていたから、憲法の発布に関する詔勅に記された『国民の総意』などあるはずもない。これは真っ赤な嘘である。」

 ちなみに渡部昇一は「日本国憲法無効宣言」という本を書いています。

 もう一人の有名な保守派の論客に、同じく東京大学教養学部教授を務めた西部邁がいます。彼は隔月刊誌『表現者』(2018年)の中で以下のように述べています。
「日本国憲法は『米定』のものであって、『欽定』でも『民定』でもない。あっさりいって、それは日本国民の常識を変更することに狙いがあったのであり、さらには皇室の存在意義をうすめることをも意図して作られたものである。

 アメリカの意図によってつくられた実験国家『戦後ニッポン』の設計書なのであった。今、明治期・大正期の煤だらけの書庫の中から『立憲主義』という単語を取り出して世間に喧伝しようとする知識人が少なくない。

 フランスの人権宣言やアメリカの独立宣言を猿真似して(たった6日間の)拙速で公法学そのものに無知も同然のアメリカの若い軍人たちが草案を書き、それを2日間で翻訳し、ほぼそのまま決まったのが(戦後)日本国憲法であり、それを後生大事に守り抜けというのが今風の立憲主義なのだ。

 立憲主義を本気でいうのであれば、『現行憲法に重大な欠陥ありと判明すれば、できるだけ速やかに改正する』というのが立憲の本意のはずではないか。『悪しき憲法の上に立つ』などという立憲主義はどこをどうひねっても出てくる思想ではない。」

3.GHQの検閲により日本国憲法が聖典化された

 憲法改正が必要な3番目の理由が、日本国憲法があたかも宗教の聖典のように一字一句変えてはならないものにされてしまっているということです。日本国憲法は長年、非常に素晴らしいものであって、批判してはいけないような雰囲気にありました。実はそのルーツは、GHQによる検閲にあったのです。

 憲法については、「連合国最高司令官が憲法を起草したことに対する批判、日本の新憲法起草にあたって、連合国最高司令官が果たした役割についてのいかなる言及、あるいは憲法起草にあたって連合国最高司令官が果たした役割についてのいっさいの批判」を公刊物で発表することが許されませんでした。

 これは全体主義国家の検閲と少しも違わない性格のものです。日本国憲法第21条2項には「検閲は、これをしてはならない」とあるのですが、これを起草したGHQみずからが検閲を行っていたという矛盾があるのです。

 日本国憲法「聖典化」のプロセスは、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という、GHQによる日本人に対する徹底した思想教育によって進められました。

 1945年10月2日のGHQ一般命令文書には、「各層の日本人にかれらの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する責任、連合国の軍事占領の理由と目的を周知徹底せしめること」と記されています。これに基づいて行われた日本人の思想教育のためのプログラムが以下のようなものです。
・総司令部発行の『太平洋戦争史』による教育(1945年12月~)
・NHKの『真相はこうだ』シリーズ(1945年12月~)
・GHQの命により、国史と修身の新教科書の作成
・戦意高揚や連合国に批判的な書物の没収

 そして最後の仕上げが東京裁判(1946年5月3日~1948年11月12日)です。この「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に基づく「東京裁判史観」が戦後日本を長らく支配しつづけたのです。これらはすべて、日本を悪、米国を正義と位置付け、日本人に贖罪意識を持たせることが目的でした。したがって、アメリカからいただいた有難い日本国憲法を批判してはならなかったのです。

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憲法改正について03


③日本国憲法の前文は「コピペ」で成り立っている。

 日本国憲法の草案は連合国総司令部の軍人たちによって急いで作られたために、その「前文」は、歴史上のさまざまな有名な文書の「コピペ」で成り立っているという指摘があります。例を挙げると以下のようになります。

憲法改正について図⑤

 そもそも、日本国憲法の前文はアメリカ合衆国憲法に書き出しの部分が非常によく似ています。「われらとわれらの子孫のために」とか、「自由のもたらす恵沢を確保し」とか、「この憲法を確定する。」という文言は、アメリカの憲法と同じです。ですから冒頭部分はアメリカの憲法にそっくりなのです。また、リンカーンの有名な演説である「人民の、人民による、人民のための政治」を意訳したような部分があると言われています。

憲法改正について図⑥

 マッカーサー・ノートというのは、マッカーサー元帥がGHQのなかで日本国憲法草案を作成するように命じるにあたって、これだけはいれるようにと指示したものですが、その文言を修正したものが日本国憲法前文の中に入っています。さらにテヘラン宣言の中にある「専制と隷従、圧迫と偏狭」という言葉がそのまま使われています。

憲法改正について図⑦

 さらに大西洋憲章の中にある「恐怖と欠乏から解放されて」という言葉もそのまま使われています。またアメリカ独立宣言からひっぱってきたと思われる部分もあります。

 どうしてこのような「コピペ」の文章になってしまったのかと言えば、やはり時間がなかったからであると思います。GHQ民生局で「前文」を担当したのは、アルフレッド・ハッシーという当時44歳の海軍中佐でした。彼はハーバード大学を優秀な成績で卒業し、バージニア大学ロースクールを修了し、入隊前は弁護士や裁判官として活躍していた俊才でした。しかし、いかに俊才であっても、他国の「憲法の顔」というべき前文を数日間で完成させるのはやはり不可能でした。そこで既存の歴史的文書の良いところを寄せ集め、張り合わせて、何とか格好をつけたということなのです。

 私がアメリカに留学していたころに、論文を書くときに一番やってはいけないことは盗作であると教えられました。あっちこっちから「コピペ」して論文を作ってはいけないと言われました。しかし、いかに秀才と言えども、短期間にあまりにも重大な仕事をしなければならなかったために、そうせざるを得なかったのだろうと思います。

 このようにしてできた前文なので、日本の歴史、伝統、文化、国柄などに一切言及しておらず、「日本国の顔」が見えない文章になっています。いかにも英文を翻訳したような口調であり、しかもあまりうまい訳ではありません。もともと英文で書かれたものを日本語訳したので、語句や文法上の誤りがあると指摘されています。日本国憲法はそもそも日本語としておかしいのではないかという指摘です。

④日本国憲法の前文は日本語としておかしい

 こうしたことを最も強烈に主張した人が、衆議院議員と東京都知事を務めた石原慎太郎でした。彼は作家でもあったので、言葉の問題にはとりわけ敏感でした。「民族の感性をそこなう憲法である。全文を書き直すべき。」「およそ日本語らしさを感じられない現在の憲法は文化の破壊に他ならない。」などと痛烈に批判しています。

憲法改正について図⑧

 たとえば、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と言っているのですが、日本語なら普通は「制定する」と言うべきだろうと批判しています。さらに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」と言っているのですが、日本語なら普通は「信義を信頼し」と言うべきだろうとも言っています。普通の日本語なら、「君を信頼して金を貸す」と言うのであって、「君に信頼して金を貸す」などとは言わないだろうということです。

 なぜこんな表現になったのかと言えば、“trusting in”というもともとの英文に引きずられたのではないかと言っています。

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憲法改正について02


2.日本人が自主的に制定した憲法ではない

 憲法改正をすべき2番目の理由は、日本人が自主的に制定した憲法ではないからです。そこでしばらく、日本国憲法がどのようにつくられたのかについて解説したいと思います。

①日本国憲法はどのようにつくられたのか?

 1945年8月14日に日本政府がポツダム宣言を受諾し、連合国側に終戦を通告します。その翌日の「玉音放送」を通じて日本人は敗戦を知ることになります。日本が敗戦しますと、連合国総司令官としてマッカーサーが日本にやってきます。

 1945年10月11日に、マッカーサー元帥が当時日本の首相であった幣原喜重郎に対し、明治憲法の改正を示唆します。「国の形を変えるには、まず憲法から」というのがマッカーサーの意図でした。

 そこで幣原首相は、憲法問題調査委員会(いわゆる松本委員会)を設置しました。これは松本烝治国務大臣を委員長とし、東京帝大、東北帝大、九州帝大の憲法担当教授などの専門家で組織されていました。松本委員会の憲法改正作業は厳重な秘密のうちに進められていたのですが、1946年2月1日、『毎日新聞』の第1面に突如「憲法問題調査委員会試案」なるスクープ記事が掲載されたのです。松本委員会の案では、天皇の地位と権能は明治憲法をほとんどそのままにしていました。この憲法草案を「あまりに保守的、現状維持的」とした『毎日新聞』によるスクープ記事は、GHQが日本政府による自主的な憲法改正作業に見切りをつけ、独自の草案作成に踏み切るターニング・ポイントとなりました。松本委員会の案があまりにも保守的だったので、マッカーサー元帥はそれを受け入れられないと判断し、最良の方法は総司令部で憲法草案を用意することであるという結論に達したのです。

 そこで、大急ぎで極秘のうちに、連合国総司令部による憲法草案作成の作業が進められました。わずか10日間で草案を書き上げたと言われています。そして同年2月13日に、総司令部によって作成された日本国憲法草案が、民政局長ホイットニー准将の手で吉田茂外務大臣と松本国務大臣に渡されることとなります。憲法草案を渡された両大臣は茫然としました。まず連合国総司令部のアメリカ人たちが日本の憲法の草案を書いたという事実に対して、そしてその草案の内容にも茫然としたのです。そのくらい、当時の日本人にとっては受け入れがたいことだったのです。

 ところがホイットニー局長は、「この草案に沿った憲法改正案が示されなければ、天皇の身体に責任をもてない」と語り、政府に大きなショックを与えました。1946年2月と言えば、まだ東京裁判が始まる前です。天皇陛下が戦犯として裁かれるかどうか、まだハッキリしていなかった頃のことです。天皇陛下をお守りするためにも、これに従わなければならないのではないかと思わざるを得なかったと思います。

 同年2月22日に幣原首相がマッカーサー元帥と会談します。元帥の態度は硬く、結局、大枠はマッカーサー草案に依拠することとなったのです。その結果、日本の文化や歴史をよく知らず、法律の専門家でもない外国の軍人たちが作成した草案が、ほぼそのまま日本の憲法になったのです。この「ほぼ」というのは、日本側の抵抗で修正された部分もあったという意味ですが、骨格はマッカーサーの原案のままだったのです。

②マッカーサーはなぜ新憲法の制定を急がせたのか?

 それではなぜマッカーサーは新憲法の制定を急がせたのでしょうか? その理由の一つに、極東委員会の存在があります。1946年2月26日、戦勝国11か国(米国、英国、ソ連、中華民国、オーストラリアなど)で構成される極東委員会がワシントンで第一回目の会合を開きました。同委員会は、「日本の憲法構造または占領管理制度の根本的改革」に関する最終的な決定権を持っていました。そして極東委員会の中には、天皇の戦争責任を国際軍事法廷で問うべきだと主張している国もありました。

 しかし、マッカーサー元帥はこの極東委員会とは異なる考えを持っていました。彼は天皇を守り、天皇制を存続させるべきだと考えていたのです。彼が日本国憲法案の起草を急がせたのは、天皇を存続させるためにも、極東委員会が動き出す前に、既成事実を作っておく必要があったということなのです。事実、極東委員会はマッカーサー主導で進められていく憲法改正過程に反発していました。

 マッカーサーが新憲法の制定を急がせた理由については、別の解釈もあります。それが2021年に上映された「日本独立」という映画の中で描かれています。この映画は日本国憲法の成立過程を描いていますので、関心のある方は視聴をお勧めします。

憲法改正について図③

 この映画は白洲次郎と吉田茂を軸に、日本国憲法がドタバタの中でどのように作られたかを描いています。私はこの映画を劇場で見ましたが、「一国の憲法がこんな拙速なやり方で決められていいのか?」というのが率直な感想です。

 この映画の中で描かれているマッカーサーが新憲法の制定を急がせた理由は、じっくりと議論していては、米国が主体となっている日本の占領政策にソ連が口出しをしかねないからというものでした。それでGHQは新憲法案の即決採用を強く求め、そのようなマッカーサーの意思を吉田茂が受け入れて、新憲法が制定されたというストーリーになっています。

 この映画の中では、吉田茂はとりあえずGHQの言うとおりに憲法を制定しておいて、日本が独立して米軍がいなくなってから自分たちで憲法改正したらいいじゃないかと考えていたように描かれています。早く米軍にいなくなってもらい、主権回復すれば憲法はどうにでもなるということです。映画の中で吉田茂が身内に語った冗談に、「GHQとはどういう意味か知ってるか?」「General Head Quartersの略じゃないの?」「いや、Go Home Quicklyの略だ。」「やだー。逮捕されるわよ~。」というやり取りが非常に印象的でした。

憲法改正について図④

マッカーサー元帥と吉田茂

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憲法改正について01


 今回から新しいシリーズで「憲法改正について」をアップします。これはこの問題に関する私の私見を披露するものであって、私が役職を有する組織の公式見解ではないことをお断りしておきます。
初めに憲法改正に必要な手続きについて説明します。

昨年から動き始めた憲法審査会

憲法改正について図①

 憲法改正はどうやったらできるのでしょうか? 憲法を改正するには、具体的にどの条文をどのように改正するのかという改正案が必要です。これをどこで審議してまとめるかというと、「憲法審査会」というところになります。これは衆議院と参議院の両方に設置されていますが、そこで改正案をまとめなければなりません。その上で、その改正案が衆議院と参議院のそれぞれの本会議に提出され、3分の2以上の賛成で可決されます。順番としては、衆議院から始めても参議院から始めても良いのですが、両方で3分の2以上の賛成が必要となります。その後に国民投票にかけられて、過半数の賛成で承認されて初めて憲法が改正されるということになります。これはかなり高いハードルであると言えるでしょう。

 ですから、憲法が改正されるためにはまず憲法審査会が機能していなければならないのですが、実はこの憲法審査会は昨年からようやく機能し始めたのです。憲法審査会は2011年10月20日に活動を開始したのですが、それから10年以上にわたってほとんど機能していませんでした。理由は、立憲民主党や共産党が憲法改正に強固に反対し、そもそも議論に入れなかったためです。言ってみれば、憲法審査会が政争の具となっていたのです。

 しかし、昨年2月の第1回憲法審査会以来、緊急時における「リモート国会」の是非について議論を重ね、意見をまとめることができた等、実績が出てきました。昨年は衆参両院の憲法審査会がほぼ毎週開かれ、憲法改正に絡む討議が例年にないほど行われていたのです。開催を主導していたのは自民党で、日本維新の会や国民民主党の賛同も得て議論の実績を積み上げていました。その意味では憲法改正の機運がかなり盛り上がっていたのです。

 そうした中で、夏の参院選で自民党が勝てば、その後には大型国政選挙のない「黄金の3年」を迎えるはずでした。その間に憲法改正をやろうというのが岸田政権のもともとのプランだったのです。しかし、安倍元首相暗殺事件とそれに続く政局の混乱、岸田政権の支持率低下により、憲法改正は暗礁に乗り上げてしまいました。「黄金の3年間」はどこかに吹っ飛んでしまい、いまは憲法改正に向かう動きはほとんど進んでいません。これが現住所になります。

そもそもなぜ憲法改正が必要なのか?

 では、そもそもなぜ憲法改正は必要なのでしょうか? さまざまな議論があるでしょうが、私は以下の7つの観点から論じてみたいと思います。

憲法改正について図②

1.憲法は施行以来76年間一度も改正されていない

 日本国憲法は、1947年5月3日に施行されてから、76年間、一度も改正されていません。成文化された憲法の中では、日本国憲法は14番目に古いものです。世界の憲法が頻繁に改正される中で、いままで一度も改正されていないということは、「化石憲法」と言ってよい状態になっています。

 1947年当時の日本と現代の日本では、状況が大きく変わっています。憲法も「時代の子」であり、時代に合わせて改正していくことは当然です。憲法を「不磨の大典」視することは意味がありません。

 そして憲法では「戦力を保持しない」と言っているのに、実際には自衛隊が存在するなど、憲法と現実の間に大きな矛盾が生じてしまっています。こうした齟齬を解消しなければなりません。

 さらに近年、諸国の憲法に明記されている「環境の権利・保護」「プライバシーの権利」「知る権利」などの比較的新しい概念が、日本国憲法には明記されていません。これは日本国憲法が古いからですが、こうしたアップデートも必要なのではないかということです。

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統一思想から見たマインド・コントロール理論03


前回から3回シリーズで「統一思想から見たマインド・コントロール理論」について試論的にまとめた論文のアップを開始した。今回はその3回目である。

西田の主張する「永続的マインド・コントロール」のもう一つの欠陥は、社会心理学者を自称する者ならば絶対に避けて通れないはずの数値的なデータによる裏づけが欠如しているという点である。西田は自説を補強するために、さまざまな実験データを引っ張り出してはいるが、そのほとんどが宗教とは直接関係のない実験結果ばかりであり、肝心の彼が「破壊的カルト」と呼ぶ宗教団体の説得術がどのくらい効果的であるかを、数値に基づいて検証したデータは一つもない。つまりこれは実証的研究ではなく、「解釈」にすぎないのだ。

現在では家庭連合に対して極めて批判的な宗教学者の櫻井義秀も、この西田論文の問題点を、「人間が生きるコンテキストを捨象した実験重視のアプローチにある」と批判している。しかも櫻井は、マインド・コントロール論そのものに対しても、非常に批判的だったのである。彼は、「騙されたと自ら語ることで、マインド・コントロール論は意図せずに自ら自律性、自己責任の倫理の破壊に手を貸す恐れがある。・・・自我を守るか、自我を超えたものを取るかの内面的葛藤の結果、いかなる決断をしたにせよ、その帰結は選択したものの責任として引き受けなければならない。・・・そのような覚悟を、信じるという行為の重みとして信仰者には自覚されるべきであろう。」(櫻井義秀「オウム真理教現象の記述を巡る一考察」『現代社会学研究』1996 年 9 月、北海道社会学会、p.94-95)と述べている。

5.オウム真理教事件と「マインド・コントロール論」

オウム真理教事件が起きたときも、「マインド・コントロール論」が叫ばれるようになった。高学歴の若者たちが教祖の言いなりになって無差別大量殺人事件まで起こしてしまったのであるから、これは普通の状態では起こり得ないと考えられた。独房での修行や、ヘッドギアなどの異様な装置がマスコミで報道されたため、誰もがオウム真理教の信者は強力なマインド・コントロールを受けていると信じて疑わなかった。
オウムの裁判では、「マインド・コントロール論」がもつ危険な側面が明らかになった。たとえ殺人を犯したとしても、それはマインド・コントロール下にあって犯した罪であり、 通常の精神状態ではなかったのだから、減刑すべきであるという論理である。もし「マイン ド・コントロール」が法廷で認められ、本人の自律的主体的判断能力が失われていたと判断 されれば、刑事責任を問うことができなくなってしまう、という事態も考えられたのである。まさに櫻井氏が言うように、「マインド・コントロール論は意図せずに自ら自律性、自己責 任の倫理の破壊に手を貸す恐れがある」という結果になる可能性があった。しかし、オウム の裁判ではそれは起こらなかった。松本智津夫(麻原彰晃)を含め、重大な殺人事件を起こ したオウム信者は全員が死刑判決を受けた。結果は以下のとおりである。

佐伯一明(殺人・死者4) 2005 年4月7日 死刑確定
松本智津夫(殺人・死者27)2006年9月15日 死刑確定
横山真人(殺人・死者12) 2007年7月20日 死刑確定
端本悟(殺人・死者10) 2007年9月28日 死刑確定
林泰男(殺人・死者12) 2008年12月22日 死刑確定
早川紀代秀(殺人・死者4)2009年7月17日 死刑確定
豊田亨(殺人・死者12) 2009年11月6日 死刑確定
広瀬健一(殺人・死者12) 2009年11月6日 死刑確定
井上嘉浩(殺人・死者15) 2010年1月12日 死刑確定
新実智光(殺人・死者26) 2010年2月16日 死刑確定
土谷正実(殺人・死者13) 2011年3月8日 死刑確定
中川智正(殺人・死者25) 2011年12月8日 死刑確定
遠藤誠一(殺人・死者19) 2011年12月12日 死刑確定

西田公昭は、こうした殺人犯たちの精神鑑定を行っている。実際の裁判においても、遠藤誠一、横山真人、井上嘉浩ら多くの被告たちが、松本死刑囚から「マインド・コントロール」を施されて、地下鉄サリン事件などを起こしたとして、無罪や死刑回避を主張した。西田公昭は、井上死刑囚の鑑定書に「修行を通してマインド・コントロールを受け、松本被告の命令に反することができなかった」と書くなど、法廷でも「マインド・コントロール理論」を展開した。しかし、結果は惨敗だった。彼の主張は「マインド・コントロール下の能力減退は認められない」(横山死刑囚の判決)などと全て退けられ、上告した全被告の死刑が確定した。

6.結論

最後に、「マインド・コントロール」に対する素朴な疑問を二つ提示して結論としたい。一つ目は、「そもそも精神操作は可能なのか?」という根本的な疑問である。「洗脳」が可能 かどうかは、中国共産党とアメリカのCIAが真剣に取り組んだが、その結果は失敗だった。大国の国家権力によっても成し遂げられなかった「精神操作」が果たして「カルト」と呼ば れる小規模の素人集団に可能なのか、ということだ。

二つ目は、真の宗教的回心と「マインド・コントロール」を区別できるか、という疑問である。西田公昭の「永続的マインド・コントロール」は、宗教的回心の全般に当てはまってしまうのではないか。宗教的回心は通常、布教者が人の価値観を変えようとする中で起こるものである。だとすれば、この二つに明確な区別をすることはできないであろう。
本稿で筆者に与えられたタイトルは「統一思想から見たマインド・コントロール論」であるが、実はこれが結構難しい。統一思想は哲学的体系であり、形而上学的であるのに対して、「マインド・コントロール論」の是非をめぐる論争は、現時点においては①経験科学的に実証可能かどうかという問題と、②法律によって定義し条文の中に書き込めるかという問題が、中心的な論点になっている。したがって、形而上学と自然科学や法学が噛み合わないような議論の難しさがある。

しかし、マインド・コントロール論を主張する者の世界観には、明らかに反宗教的で唯物的な世界観があることは指摘できる。これが統一思想から見た「マインド・コントロール論」に対する批判のポイントになるであろう。そもそも心理学という学問には、宗教的体験を心理現象に還元しようとする傾向がある。しかし、すべての心理学がそうだというわけではない。そのことを説明するために、象徴的な二人の心理学者の立場を比較してみたい。それがジークムント・フロイト(1856-1939)とウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)である。

フロイトとジェイムズ

フロイトは無神論者で、一貫して宗教を否定的に評価している。フロイトの父母はユダヤ人であり、当時のオーストリアでは差別の対象であった。これを動機として、キリスト教的な神に対する嫌悪感情を抱いたと思われる。その意味でフロイトの宗教憎悪の動機はマルクスに似ていると言えるだろう。

彼は当時急速に発展してきた自然科学と唯物論的世界観に希望を見出し、自然科学こそが人類のすべての苦しみを解決するという「科学崇拝」に到達した。フロイトにとって宗教とは人間の願望から形成された「幻想」であり、病理学的に言えば、強迫観念に取りつかれた神経症である。彼は 1927 年に出版した『幻想の未来』という著作の中で、これまでは宗教という空想の世界が苦しむ者に慰めを与えてきたが、もしも科学がもっと大衆に浸透すれば、人々は宗教という幻想を棄てるようになるだろうと予言している。もちろん、科学が高度に発達した現代においても宗教は存在するので、彼の予言は外れたことになる。

ウィリアム・ジェイムズはアメリカの哲学者だが、宗教学の分野で名著とされている『宗教的経験の諸相』の著者でもある。彼は宗教心理学の草分けともいえる人物だ。英米哲学は概して自然主義的傾向が強いのだが、そのなかにあってジェイムズは際立って宗教的な哲学者だと言える。ジェイムズは宗教現象を超自然的に理解しているが、それは彼の方法論である宗教的経験の分析から得られる結論である。彼の重要な研究テーマのひとつに、人生が一変してしまうような「回心」が起こるメカニズムの解明がある。ジェイムズは回心体験者の証言を科学的に分析し、彼らがしばしば超自然的存在との交流を体験することを事実として扱い、心的な現象に超自然的な働きがあることを排除しなかった。彼の宗教に対する態度は、唯物的なフロイトの態度とは対照的である。

統一思想から見たマインド・コントロール論ということで、あえて結論を出すとするならば、「科学的であることと唯物的であることは同義ではない。『マインド・コントロール論』は、唯物的で反宗教的な世界観に基づいて、宗教的回心を単なる精神操作に貶めようとする疑似科学にすぎない」ということになるだろう。

参考文献

西田公昭『マインド・コントロールとは何か』1995、紀伊國屋書店
西田公昭『「信じるこころ」の科学』1998、サイエンス社
西田公昭『なぜ、人は操られ支配されるのか』2019、さくら舎
櫻井義秀「オウム真理教現象の記述を巡る一考察」『現代社会学研究』1996年9月北海道社会学会
渡邊太「洗脳、マインド・コントロールの神話」『新世紀の宗教』宗教社会学の会編、2002、創元社
大田俊寛「社会心理学の『精神操作』幻想―グループ・ダイナミクスからマインド・コントロールへ」(第70回心身変容技法研究会:2018年9月28日 於:上智大学)
小口偉一・堀一郎監修『宗教学辞典』1973、東京大学出版会

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