『生書』を読む41


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第41回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。大神様の東京における活動拠点は杉並区にある慈雲堂病院であったが、4月2日から約10日間、千葉県の四街道の開拓団に移動し、そこで御説法されることとなった。この開拓団は、旧陸軍練兵場に開設されたもので、復員軍人によって構成されていた。今回はそのときの出来事を扱うことにする。

 開拓団では昼は婦人や子供たちが大神様の御説法を聞きに来たが、夜は男性たちがやってきた。彼らはみな元軍人であり、昔は威光を放っていたが、「ひとたび無条件降伏となってみれば、自らの生きる道を、彼らの腕で働き、額に汗して求めなくてはならなくなり、ここに集まっている人たちは、練兵場の跡を開墾して、一介の農夫として立ち上がろうとしていた人々」(p.285)であった。それだけに彼の心は荒んでおり、組織としての秩序もなく、不平不満が絶えない状態だった。こうした人々に対しても大神様はなんの遠慮会釈もなく説法された。その内容はこれまで大東亜戦争や天皇陛下について大神様が語ってきたことと基本的には同じ内容であるが、改めてポイントを抑えておこう。
①大東亜戦争は聖戦などではなく、他国に出て行って人殺しと泥棒をしただけだった。
②よその国を取る必要などない。日本の本土だけで十分だ。隣国は隣国であるのが良い。
③これからは正しい神と悪魔の戦いが始まる。それは祈りの戦いである。
④天皇は現人神ではなかった。置物の人形に過ぎなかった。だから人間宣言をした。
⑤いまや天皇に代わって天照皇大神宮教が天降ったので、神の国をつくるのだ。
⑥神州不滅とは日本が亡びないという意味ではなく、「神衆不滅」と書くのが正しい。神の子だけが不滅という意味である。だから神の子にならなければならない。
⑦八紘一宇の「紘」の字は、「光」と書かなければならない。他国を侵略しておいて八紘一宇を唱えても誰も受け入れない。
⑧このたびの日本の敗戦は神の計画であった。裸一貫になって再出発するためだ。
⑨真の神の召集令状は、真人間に立ち帰ることを求めている。

 こうしてポイントを並べてみると、大神様はこれまで日本人が信じて来た国体イデオロギーを否定し、一つひとつの言葉に新しい解釈を施すことによって日本の再建を訴えていることが分かる。その意味で天照皇大神宮教はまさに戦後的な新宗教であり、既存の価値観が崩壊した危機の時代を革新的な解釈によって乗り越えようとした宗教であると言えるだろう。しかし、殉忠報国の思想で凝り固まった元軍人たちには、天皇に対する批評はにわかに受け入れがたく、半信半疑で聞いているものが多かったという。

 ここで一人の者が以下のような質問をした。
「衣食住に魂とられるな、と言われるが、我々さしあたって明日の日に困っておる者に、まずパンを与えてくださるのが神ではないのですか。昔から衣食足って礼節を知るという諺もあるとおり……」(p.290-291)

 しかし大神様はこれを言下に否定された。
「違う違う、まず真人間になれ。真人間になりさえしたら、お前らの生きる道は、天父が与えちゃる。自ら餓鬼道の世界に落ちちょいて、神に『まずパンを与えよ。』と言うたってそりゃだめじゃ。人間の道まっすぐ行けば、すぐに神や仏の世界、神や仏の世界に行きさえすれば、天にゃ無限の供給あり。人間にやりたいものは天にゃつかえておるけれど、人間のばかが裏道横道逃げ歩いて、天の供給をよう取らんのじゃ。天の供給の取れるところまで、まず自分で魂磨いて上がって来い。わしの肚には『一にも国、二にも国、三にも国』と言うものがおるのじゃ。」(p.291)

 天照皇大神宮教は聖書やキリスト教を背景にした宗教ではないのだが、ここにはイエス・キリストの教えとの驚くべき類似性を発見せざるを得ない。それは考え方の内容においてだけでなく、「パン」というキーワードからも何らかの思想的ヒントを得たのではないかと思わざるをえないのである。日本人の主食はパンではなく米である。「明日の米を与えてください」という方が当時の日本人の生活からははるかに自然であるにもかかわらず、なぜあえて「パン」という表現を用いたのであろうか。たまたま軍人がパンと言ったというよりは、この部分は新約聖書に思想的ヒントを得たのではないかと私は考える。

 人はパンで生きるのか、それとも神のみ言葉によって生きるのかというテーマは、新約聖書のマタイ伝4章に登場する。
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい』。イエスは答えて言われた、『「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」と書いてある』」。(マタイ4:1-4)

 新約聖書のこの部分に対する一般のキリスト教の解釈は、人が生きていく上で必要な栄養素は水や食料、空気などの外的・物質的な栄養素だけでなく、神の言葉という内的、精神的栄養素もあるのであり、この二つのどちらに最高の価値があるかと言えば、むしろ後者であるというものだ。そして「パンを石に変えろ」という悪魔の試練がもつ意味は、石はキリスト(神の子の立場)を指し、パンは人が現世で生きるのに必要な物質的なもの(食料・富)を指すのであるから、肉体的な欲望のために神の子としての自分の立場を捨てよと悪魔は誘惑していることになる。これにイエスは打ち勝ったということだ。

 『原理講論』におけるこの聖句の解釈も基本的には同じ考え方に基づいている。
「この試練に対するイエスの答えは、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』(マタイ四・4)というみ言であった。元来、人間は、二種類の栄養素によって生きるように創造された。すなわち、自然界より摂取する栄養素によって肉身を生かし、神の口から出るみ言によって霊人体を生かすようになっているのである。」
「その石は結局、サタンの試練を受けているイエス自身を象徴するものであった。……それゆえに、サタンの最初の試練に応じたイエスの答えは、要するに、私が今いくらひどい飢えの中におかれているとしても、肉身を生かすパンが問題ではなく、イエス自身がサタンから試練を受けている立場を勝利して、すべての人類の霊人体を生かすことができる、神のみ言の糧とならなければならないという意味であった。」(以上、『原理講論』後編第二章モーセとイエスを中心とする復帰摂理、第三節イエスを中心とする復帰摂理より)

 大神様の『一にも国、二にも国、三にも国』という言葉は、「まず神の国と神の義とを求めなさい」というイエス・キリストの教えに酷似している。「天の供給」という大神様の教えも、イエスの有名な「山上の垂訓」の思想と類似している。以下にその一部を引用するが、物質的な欲求よりも神の国を優先せよというイエスの教えと大神様の教えには明確な類似性がみられ、私にはこれらが無関係であるとは考えられない。
「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。」(マタイ6:25-33)

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『生書』を読む40


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第40回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。

 大神様は東京のことを「東京屠殺場」と呼び、親の恩も、先祖の恩も、国の恩も、神仏の恩も、物の恩も知らない国賊の蛆ばかりが集まっているので掃除をしなければならないと言ったが、それでも東京の人々に大神様の教えは徐々に浸透していった。具体的な現象としては、祈りの際に霊動作用が起こったり、自分自身の過去の罪を懺悔する者が現れたというのである。懺悔する具体的な罪の内容は、姦通、堕胎、盗み、親不孝、妻子いじめなどである。誰に強制されることもなく人々は自然に懺悔し、それが終わった後には晴れやかな顔に変わっていたという。

 キリスト教の「コンフェッション(告解の秘跡)」にも似た現象だが、カトリックでは告白を聞いて許しを与えることができるのは司教と司祭だけであるとされている。しかし、天照皇大神宮教においては公衆の面前で自らの罪を告白していたようである。これは「公の罪の告白(public confession of sins)」ということになり、キリスト教においてもなかったわけではないが、他人の罪の内容を聞くことはその後の人間関係にさまざまな悪影響を及ぼすことが予想されるため、推奨されてこなかった。こうしたことが成り立つには、大神様のような絶対的な権威がその場におり、許しの権能が全員に受け入れられているという特殊な状況が必要である。大神様の在世時には、そうした雰囲気があったのであろう。

 さてここで『生書』は、3月17日に成長の家本部に大神様が出向かれて、谷口雅春氏と直接対峙したときの様子を報告している。戦後間もなく二つの新宗教の教祖が直接出会い、言葉を交わした記録として、大変興味深いものである。『生書』は天照皇大神宮教側の文献であるため、その視点から書かれていることは明らかだが、この出来事に対する成長の家側の記録は残っているのだろうか? それは現時点では分からないため、ここでは天照皇大神宮教側の解釈を中心に分析することにする。

 大神様の谷口雅春氏に対するメッセージは極めてシンプルで直截的なものであった。それは大神様が何者であり、その肚の中に入っている神が誰であるか、あなたには分かるのかという問いかけであった。それも生長の家で出している『白鳩』という月刊誌に出てくる「住吉の神」とは大神様のことであることがあなたには悟れないのか、という挑戦だったのである。それに対する谷口氏の返答は、「今の世の中では、書かなければだめなのだ。書いて発表しなければだめだ。あなたは、何か書かれたものがあるか」(p.269)というものであった。しかし大神様は「経文や本に、観念論や空想を書き立てて、人を指導する時代はもう済んだ。」と切って返したのである。このやりとりはなかなか興味深い。

 生長の家の教祖である谷口雅春は、「ブック・クラブ型」ビジネスモデルによって新宗教を発展させた教祖としては草分け的な存在である。彼は1930年に雑誌『生長の家』の出版を開始し、信者向けの平易な仏教解説書として人気を博し、「読めば病気が治る」と宣伝した。この雑誌『生長の家』を合本にして聖典としたものが『生命の實相』であり、これまでに1300万部以上を売り上げたロングセラーとなっている。それまでの宗教では、教祖が口頭で語った言葉を死後に編纂して経典となることが多かったのだが、教祖が存命中に出版を布教の核に位置づけて成功した最初の例であると言えるだろう。だからこそ谷口氏は「今の世の中では、書かなければだめなのだ。書いて発表しなければだめだ」と確信を持って行ったのである。

 ところが大神様の思想は、「経文や本で宗教を勉強して、頭に知識を入れる時代は終わった」と主張し、むしろ本を焼いてしまえということであるから、谷口雅春氏とはまさに水と油であった。結局、この二人の教祖のやり取りは平行線に終わり、一致を見ることはなかった。どちらかが相手に屈服するということもなかったのである。『生書』には、この日の午前中、生長の家本部道場は大神様の一人舞台となったと記されており、一方的に威圧したというストーリーになっているが、生長の家側から見れば招かざる客が無礼な振る舞いをしたと映ったであろう。そのことは、「すわ、道場あらしが来た。」と騒いだ者たちがいたと『生書』に記されていることからも推察できる。

 統一原理的な解釈をすれば、大神様は谷口雅春氏を自らの弟子になるべく準備された人物、すなわちイエス・キリストに対する洗礼ヨハネのような人物として認識していたのではないかと思われる。だからこそわざわざ生長の家の本部道場まで訪ねて行って、「私が誰なのか分かるか」と問いただしたのである。しかし、新約聖書に登場する洗礼ヨハネがイエスこそメシヤであると悟ることができずに、別の道を選んだのと同じように、谷口雅春氏は大神様が誰であるかを悟ることができずに、生長の家の教祖としての自分の位置にしがみついた、ということになる。これが天照皇大神宮教側からみた二人の出会いの結末であった。しかし、その場にいた生長の家の信者の中には、大神様の神言に魅了されて後に信者になった者もいたという。最終的にはその人が「準備された人」となったのである。

 その後大神様は、4月2日から約10日間、千葉県の四街道の開拓団で御説法されることとなった。この開拓団は、旧陸軍練兵場に開設されたもので、復員軍人によって構成されていた。ここでは男たちは昼間は開墾で忙しかったので、御説法を聞きに来たのは主婦とその子供たちであった。大神様はその子供たちを見てニッコリされ以下のように語った。
「わしは子供が大好きよ。子供の方が大人より、よっぽど神に近い。罪も大してつくっておらん。この子らの頃から神の子にしてまっすぐ育てたら、本当に神の国の国民になれる。」(p.276)

 この言葉は、新約聖書の以下の部分を彷彿とさせる。
「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、『いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか』。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、『よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。』」(マタイ18:1-5)

 世知辛い世の中を生きてきて心がすさんだ大人よりも、けがれを知らない子供の方が神に近いという点では、イエスの教えと大神様の教えは一致している。大神様の教えの神髄は無我の境地であり、大人よりも子供の方が早くその境地に至れるということだ。

 この後、大神様が一人ひとりの子供と対話しながら、諭し、教育する姿が描かれているが、子は親の鏡であり、子供の問題は基本的に親の問題であるという観点から、大神様は母親たちを教育していかれる。そしてこれまで手こずっていた子供が大神様のご指導によって良い子になるのを見て、母親たちは大変喜ぶのであった。こうした出来事が母親同士の口コミで伝わり、多くの婦人たちが大神様の御説法を聞きに集まるようになった。大神様の子どもたちに対する指導は、難しい話は一切なく、基本的な生活指導であった。まさに人を見て法を説く人であったということだろう。母親たちはその指導力に驚嘆した。

 大神様の御説法は、家庭生活の基本を教えるものであった。
「蛆の世界じゃあ、どの家をのぞいても、ろくな家庭はひとつもない。親は子を、子は親を恨み、夫は妻を、妻は夫を恨んで暮らしている。まるで丹波栗のいがの中に入ったような家庭が多い。家庭そのものが、憎み合いの生き地獄じゃ。

 権利を主張する前に、まず己の義務を果たせ。神の国はお互いが真心を尽くし合う、拝み合いの世界じゃ。人間のばかが神を忘れて我利我利亡者になるから、地獄に行かにゃあならなくなる。人という字は、すがり合いというが、二本股じゃ倒れる。もう一本神をそえて神股にせい。そうしたら三つ股になって絶対に倒れない。」(p.284)

 こうした家庭生活に関する教えは普遍的なものであり、日本の伝統的な倫理道徳に通じると同時に、家庭連合の目指す理想家庭の姿にも通じるものである。人間の生身の感情を先立たせれば、家庭生活での衝突が多くなる。そこで家庭生活に神を介在させ、信仰の力によって家庭を立て直そうとしている点で、天照皇大神宮教の教えと家庭連合の教えは一致していると言えるだろう。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む39


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第39回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。

 大神様は1946年(昭和21年)3月9日から4月2日まで25日間、東京都杉並区にある慈雲堂病院に滞在され、ほぼ毎日御説法をされた。最初のうちは70~80名くらいの聴衆だったが、だんだんとその数を増していき、毎日のように聞きに来る者たちも増えていった。このころの大神様の説法の中で印象的な内容を少し紹介してみたい。
「己の良心を、赤土で包み、コールタールを塗って、その上を鉛で覆っているのがいまの蛆虫じゃ。それを取っちゃあ投げ、取っちゃあ投げする。投げられて地上にぶつかって割れ目ができたら、その割れ目から磨いてゆけ。やがては、真珠のように美しい良心の持ち主になれるのじゃ――。」(p.262)

 ここで良心を覆っている赤土やコールタールや鉛などは、良心が機能しないように麻痺させている俗世間の欲望や利害や習慣性などを指すのであろう。これは統一原理でいうところの「堕落性本性」に似ている。こうした堕落性を取り除いて良心が機能するようにするためには、既成の概念を破壊しなければならず、ショック療法が必要である。それを大神様は「取っちゃあ投げ、取っちゃあ投げ」と表現しているわけだが、大神様から悪口を言われたり、叱り飛ばされたりする経験は、堕落性を脱ぐためのショック療法としての意味があるのであろう。

 この記述から、天照皇大神宮教の人間観は基本的に「性善説」であり、自力によって自己の魂を磨くことができると考えていることが分かる。堕落した「蛆虫」といえども心の奥底には良心があり、それを覆っている俗世の習慣性を打ち破れば、良心が現れてくる。自らの良心の声に気付いてそれを磨いてゆけば、真珠のような美しい心を持った真人間になることができると教えているのである、こうした教えは統一原理でいえば、堕落人間が良心の声に従い、堕落性を脱ぐことによって創造本性を復帰することができると教えているのとよく似ている。

 大神様は「蛆虫」の状況について以下のように説いておられる。
「床下二十軒掘ってみい。真っ暗がりの暗闇じゃ。その暗がりの中で朝から晩まで、喧嘩したり、悩んだり、悔やんだり、餓鬼焦りに焦ったり、病気したり、一生涯でも苦しんでいるばかがおる。いくら太陽が平等に照るというても、床下二十軒底までは照っておらん。暗がりの世界に愛想が尽いたら、明るい世界まで上がって来りゃあよい。」(p.263)

 この言葉は、イエス・キリストが言った「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる」(マタイ5:45)という言葉と、一見似ているようで異なっている。イエスの教えのポイントは、因果応報の思想に基づいていた当時のユダヤ教の教えからすれば正しくない者、すなわち律法を守ることができず、正しく生きることができずに苦しんでいる人々に対しても、神は平等に愛を降り注いでいるのだということであり、こうした教えが当時の貧しい人々や、社会の底辺にいる人々の支持を得たのである。これはイエスが当時のユダヤ教の基準からすれば罪人として断罪され、救の道が閉ざされていると思われていた人々のところまで降りていき、彼らに寄り添う姿勢を示したということである。

 ところが大神様の教えは、確かに太陽は平等に照っているのだが、人間が床下二十軒に潜っているのでその光を受けられないのは本人の責任であり、自力で明るい世界まで上がって来いと言っているのである。「そっちへ行けば生き地獄、こちらへ来れば天国と、わしはただその道教えをしているだけじゃ。」「じゃから自分の肚で心の掃除をして神へ行く道を上がって行くよりほかに道はない。」(p.263)と、あくまで自力によって上にあがってくることを求めている。

 新約聖書のイエスの教えと大神様の教えを比較してみると、統一原理の立場はキリスト教的な伝統の上に立ちながらも、大神様の教えにやや近いと分析することができるであろう。大神様の言うところの魂の成長は、統一原理では「霊人体の成長」と解釈することが可能であり、そこにおいて人間の努力や責任分担が強調されているという点では、自力の傾向が強いと言えるからである。

 統一原理においては、創造原理の第6章で霊界や人間の霊的成長に関することを扱っている。それによれば、人間が霊的に成長するためには、神から来る真理を悟り、それを実践することによって人間の責任分担を完遂しなければならない。霊人体は肉身を土台にしてのみ成長できる。肉身が地上において善なる行いをすることによってのみ、良い生力要素を霊人体に与えることができ、霊人体が正常な成長をするようになっているからである。したがって、人間が真理に従って善なる生活をしない限り、霊的な成長をすることはできないと統一原理は説くのである。

 堕落した人間が、神の愛の懐を離れた「死」の状態から、神の愛の圏内にある「生」の状態に戻っていくことを統一原理では「復活」と定義しているが、この復活に当たっても、人間の責任分担の重要性が説かれている。すなわち、復活摂理がなされるためには、堕落人間が自身の責任分担として、み言を信じ、実践しなければらならないとされているのである。

 貧しい人々や、社会の底辺にいる人々に寄り添ったイエスの教えの価値を否定するわけではないが、統一原理はキリスト教と比較すれば神の無条件の愛や一方的な恩寵などの他力的な要素よりは、人間の努力や責任分担などの自力的な要素の重要性をより強調した神学であると言ってよいであろう。

 大神様は東京での説教の中で、人間の欲深さを厳しく断罪している。「金をもうけさせてくれ」と祈る者はいるが、いくら儲けてもきりがなく、その次は地位や名誉や妾や贅沢三昧を求めるようになるというのである。そして国や神仏を忘れて利己に走れば、そうして得たものは必ず利子をつけて取り上げられるようになるだろうと警告している。そのような空虚な財産を地上に蓄えるよりも重要なことがあると大神様は教えている。
「封鎖もなけりゃあ、取りつけもない、焼けもせん銀行を一つ教えちゃろうか。そりゃあ天の郵便局じゃ。天の神が取るのは人間の真心だけ。真心を天の郵便局に貯金して心の通い帳を子孫に渡せ、それが無限の富。親の代にいらなきゃ子の代に出る、子の代にいらなきゃ孫の代に出る。」(p.264-5)

 この教えは、イエス・キリストがマタイ伝で説いている、「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。」(マタイ6:19-21)という教えと酷似している。真の宝は物質的なものではなく、精神的なものであり、それは天に蓄えられるという思想である。

 大神様が金銭的な執着を戒められたのと同様に、イエス・キリストも富や物質主義は避けるべき悪であり、経済的な豊かさの追求は罪過や信仰の妨げであると解釈できる言葉を語っている。そのうちの二つを以下に紹介する。
「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ6:24)
「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。」(マタイ19:23-24)

 このためキリスト教の伝統には、可能な限り富を回避し、清貧を保とうとする思想が受け継がれることとなった。多くの信徒たちが、信仰の足かせとなる富への欲求や、所有欲といったものを捨て去るため、清貧の誓いを立てた。キリスト教には禁欲、博愛、喜捨といった自発的な貧困の伝統が長きに渡って存在する。ローマ・カトリックにおいては富の放棄は「清貧、貞節、従順の誓い」のうちの一つある。一部の特定の教派では極端な清貧の誓いを立てる。例えば、フランシスコ会では前もって全ての個人的な財産を捨て去り、その後も共同体で財産の所有を行う。マルティン・ルターは、マンモン(または富への欲望)を「地上で最も見かける偶像」とみなした。この点に関しては、天照皇大神宮教と伝統的なキリスト教はよく似ていると言ってよいだろう。

カテゴリー: 生書

『生書』を読む38


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第38回目である。前回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。

 大神様が東京駅に到着したのは、1946年(昭和21年)3月9日の朝であった。大神様は東京駅から高田馬場に向かわれた。これは宿所として準備されていた慈雲堂病院が杉並区にあり、西武線を利用することから、高田馬場で乗り換える必要があったからである。その高田馬場のホームで、大神様は東京における第一声を挙げられた。そのときの様子は『生書』には以下のように記述されている。
「高田馬場のホームで人波にもまれながら、東京における第一声のお歌説法である。お迎えした者は、その熱烈な救国の叫びに驚いた。物見高い江戸っ子はたちまち集まって来て、黒山の人だかりとなり、ホームをうずめ、交通も止まってしまうのであった。」(p.257)

 大神様の見た東京の様子は悲惨であった。あたりは一面焼け野原であった。焼け落ちた後の塀や煉瓦の壁がみすぼらしく並び、バラックが数えるほど建っているだけであった。それに加え、人々は敗戦後の生活苦と社会的混乱の中で、神を忘れ、国を忘れ、利己的な生き方をしていたのである。大神様が「よう我の巣を焼いたのう。おれの肚は『東京都屠殺場』と言いよるが本当じゃのう。」と言われたくらい、当時の東京は内外共に悲惨な状況であった。そこへ、いつもの歌説法がさく裂したのである。

 島田裕巳は、著書『日本の10大新宗教』の中で、天照皇大神宮教は極めて戦後的な新宗教であったと解説している。「戦前においては天皇は現人神とされ、崇拝の対象となっていた。その現人神が支配する日本という国は、『神国』とされ、神国の行う戦争は『聖戦』と位置づけられた。ところが、神国は聖戦に敗れ、一九四六年一月一日、天皇は『人間宣言』を行った。突然、神国の中心にあった天皇が神の座を降りることで、そこに空白が生まれた。サヨの肚に宿った神が、天照皇大神宮を称したのも、その空白を埋めようとしたからである。」(p.90-91)「日本の敗戦と天皇の人間宣言という出来事が起こることで、そこに生じた精神的な空白、現人神の喪失という事態を補う方向で、その宗教活動を先鋭化させた。天皇に代わって権力を奪取しようとしたわけではなかったが、空白となった現人神の座を、生き神として継承しようとした。」(p.102)

 『生書』の記述からは、敗戦による日本人の絶望感とアイデンティティーの喪失という状況に対して、新しい希望のメッセージを伝えようとする大神様の強い意志が感じられる。その意味で、島田裕巳の言うように、天照皇大神宮教は極めて戦後的な新宗教であったと言えるのであろう。戦後の日本人の心の琴線に触れるようなメッセージがあったからこそ、人々の支持を集めたのである。

 その後、大神様は高田馬場から西武電車に乗り、目的地の慈雲堂病院に到着された。挨拶と食事を済まされると、休みもとらずに早速のご説法である。こうして3月9日から4月2日まで25日間、大神様は慈雲堂病院に滞在され、午前9時から12時まで、午後1時半から5時までの2回の説法を、ほぼ毎日されたと記録されている。これは午前中は3時間、午後は3時間半で、1日に6時間半の説法をされたということであり、しゃべり続けるだけでもかなりの体力を要すると思われる。

 私も人前で話をすることが多いが、6時間話す内容を準備するのはかなり大変である。しゃべる体力以上に、話す内容が尽きてしまうからである。原稿やらパワーポイントとやらを準備して、4コマくらいに分けて講義や講演をすることは可能であろう。しかし、何も見ないで思いつくことを6時間以上にわたってしゃべれと言われたら困ってしまう。それは、頭で考えて話を準備しているからである。しかし大神様の御説法は原稿を準備されることもなく、定まった方式もない、自由自在に話される様式のものであった。すなわち頭で考えて準備する話ではなく、その場に集まった人々と交わりながら、心から自然と湧き出てくる言葉を語っているのである。天照皇大神宮教の世界観で言えば、「肚の神様」が語らせようとすることを語っているということになる。

 こうした能力は、カリスマ的な教祖に共通した力であると思われる。家庭連合の創設者である文鮮明師もまた、原稿なしで数時間にわたって説教し続ける人であった。私がアメリカの統一神学校に留学していたころ、ベルベディアという場所で行われていた聖日礼拝の説教を文鮮明師御自身が担当されることがあり、神学校から他の学生たちと共に車でそこに馳せ参じて、文鮮明師の説教を聞いたことが何度かあった。そのときの説教にも原稿はなく、自由自在に聴衆とやり取りしながら話をされ、説教の時間が3時間を超えることも珍しくはなかった。

 文鮮明師は信徒に対する説教だけでなく、国際会議や大会などの公式的な場において、対社会的なスピーチをすることもあった。そこには家庭連合の信仰を持たない一般社会の指導者たちが参加していたので、準備された原稿をもとに30分くらいで話をまとめるのが「常識的なやり方」であった。ところが文鮮明師はこうした対外的なスピーチにおいても、しばしば原稿を離れて自由自在に話し、信徒たちに対する説教と同じように振る舞いながら、スピーチの時間が3時間に及ぶこともしばしばあった。やはりカリスマ的教祖という存在は、話すべき内容が心の中から泉のように湧き上がってくるのであろう。

 東京における大神様の御説法は、金銭的な執着を戒める内容が多かったという。「抽象的な理論や観念的なものはひとつもなく、いつも具体的で、使われる言葉は日本の標準語ではないが、じっと聞いておれば、女でも子供でも老人でもわかるやさしいお話」(p.261)であったという。これは大神様の歌説法の内容からも納得がいく。それに比べると文鮮明師の説教には抽象的で理論的な内容が多い。文師の説教集や『天聖経』の内容を読んでみても、それは誰にでもわかる話とは言い難く、かなり難解である。同じカリスマ的教祖でも、語る内容にはそれぞれの個性があるようだ。

 さて、大神様が東京に滞在された25日間で説法を休まれたのは二日だけであった。そのうちの一日は生長の家本部道場に行かれた日であった。そのときの様子は本章の後半に出てくるが、なぜ大神様は生長の家を訪ねられたのであろうか? 

 島田裕巳は、著書『日本の10大新宗教』の第4章で天照皇大神宮教を紹介しているが、その中で「戦前にサヨは生長の家に入っていた」(p.88)と書いている。しかし『生書』にはそのような記述はなく、現役信者である春加奈織希(本名ではなくウェブ上の匿名)による「遥かな沖と時を超えて広がる 天照皇大神宮教」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~harukanaoki/index.html)でも、そうした事実は確認されていないと否定している。そればかりか、「天照皇大神宮教は他の宗教とは一切関係せず、他の教団や宗教連盟などとは絶対に手を組んだりしない、と大神様は仰せになりました。」と述べ、他宗教との交流関係を否定しているのである。

 『生書』の中には、大神様が知人であった岩国市の弁護士吉武三六氏から招待されて、谷口雅春氏の講習会に参加したことがあったことが紹介されている。ところが、その講習会に出ると、肚の神様は谷口氏に対して、下級の神が降りているだけだとか、短冊売りや本売りになり下がって邪神のおもちゃになっているとか、手厳しい批判を始めたのである。こうした記述からも、大神様が生長の家に何かを学びに行ったり、そこに弟子入りしたりすることはあり得ないと考えるべきであろう。ただし、谷口雅春氏や生長の家の幹部たちが、法華経の行者であった山口氏が大神様に屈服したのと同じように、大神様の弟子になるべく「準備された人物」であると考えていた可能性はあるかもしれない。そのことを伝えるために生長の家本部道場まで出かけて行ったのだが、谷口氏本人は大神様の言われることを悟ることができなかったようである。

 大神様が説法を休まれた日はもう一日あり、その日は総司令部にダーギン氏を訪ねたということなのだが、この出来事の詳細は『生書』には書かれていない。このダーキン氏とは、YMCA協力主事のラッセル・L・ダーギンであると思われる。彼は1919年に来日し、1942年まで青少年活動を指導した親日家である。その後一時帰国し、1945年にGHQ民間情報教育局青年部長となって再来日し、日米親善と青少年事業の発展にも貢献した人物だ。大神様が彼に会いに行った目的は不明だが、これも生長の家と同様に、キリスト教会が大神様の教えを受け入れる道を開くために訪ねて行ったのだが、受け入れられずに帰ってきたので、詳細が『生書』には記載されていない、というのが私の推理である。

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『生書』を読む37


第九章 第一回御出京

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第37回目である。今回から「第九章 第一回御出京」の内容に入る。第八章では、山口日ケン(ケンは田に犬)という法華経の行者と中山公威という政治運動家が大神様のもとを訪ねてきたことから始まる一連の出来事に長い紙幅が費やされていたが、この出来事は神教が田布施から日本の首都である東京へ広まっていく足がかりを作るという意味を持っていた。第九章はその因縁をもとに大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。

 もともと山口と中山は、東京や身延山(山梨県)にいる日蓮宗の同志を連れて再び田布施の大神様を訪ねようとしていた。しかし、本山の同志会の者たちも山口と中山の話を聞き、大神様にお会いするために田布施まで行ってみようと一度は約束したものの、そこに邪魔が入ったので、大神様の方から東京に出向いていくことになったのである。その邪魔というのは、ちょうどそのとき政府が古い円紙幣を封鎖し、新しい円紙幣との切り替えを行ったので、多くの人を田布施に連れてくることができなくなってしまったのである。

 この出来事は、戦後間もなくの「新円切替」として知られている。1946年(昭和21年)2月16日夕刻に、幣原内閣が発表した金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行、それに伴う従来の紙幣(旧円)流通の停止は、戦後インフレーション対策として行われたと言われている。このとき政府は事実上の現金保有を制限させるため、発表翌日の17日より預金封鎖し、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方で、1946年3月3日付けで旧円(5円以上の紙幣)の市場流通の差し止め、一世帯月の引き出し額を500円以内に制限させる等の金融制限策を実施した。要するに現金を引き出せなくなったわけであるから、その影響で田布施まで大人数で旅行する費用を捻出できなくなったのであろう。山口と中山は仕方なく、2月の末に再び田布施に戻って大神様にこのことをご報告した。

 大神様はそれも無駄ではなかったと語られ、「それよりゃあ、今度おれが東京へ行っちゃろう。一か月ぐらいの予定で、東京に神の種を蒔きに行ってやろう。」(p.250)と言われたのである。こうして3月8日に、大神様は東京に行かれることになった。東京での大神様の説法の場所や宿所は山口が準備した。大神様が田布施を留守にしている間は、息子の義人氏が道場を守ることになった。義人氏の教団内での立場が上がり、「若神様」と呼ばれるようになったのは、この頃のことである。

 大神様の出京(東京に出向くこと)は、現代では考えられないような準備で行われた。一か月間の食糧から燃料まですべて持って行ったのである。行(ぎょう)の行き先でいっさいもらい物をしない、買い物もしない、少しの迷惑もかけないという大神様の御意志によるものだという。いまはお金さえあれば旅先で何でも揃えられるが、戦後の極端な物不足の時代という当時の事情もあったと思われる。

 通常なら目的地に行く道中はただ汽車に乗っているものだが、そこは大神様のことである、急行列車の車中で大説法が始まった。気違い扱いする者から、話の内容に納得する者まで、反応は千差万別である。カリスマ的指導者を扱った教祖伝には、こうした破天荒な武勇伝が多い。イエス・キリストもそうであったが、カリスマ的教祖というものは特殊な存在であり、常識的には暴言といえるような失礼な言葉を語ったり、破天荒な行動をするものなのである。そのような通常の人とは異なる「特異な言動」こそが、教祖を一般の人間とは異なる特別な存在として引き立たせるものなのである。すなわち、伝統や常識を破壊するところに、ある種の「メシヤ性」が表現されているのだ。

 福音書に表現されているイエスの姿は、ユダヤ教の伝統や常識を超越し、あたかもそれを破壊するかのような存在であった。彼はユダヤ人たちが命のように大切にしていた安息日を破っただけでなく、自らを「安息日の主」であると称した。それゆえに、イエスは「律法を廃する者」と言われるようになったのである。また彼は漁師、取税人、遊女、罪人などの社会から逸脱した人々と共に食事をし、律法学者やパリサイ人よりも彼らの方が先に天国に入ると言われた。またイエスは自分を神と同等な立場に立て、自分によらなければ天国に入ることができないと言い、父母や兄弟、妻子よりも自分を愛せよと言ったのである。これらはすべて当時のユダヤ教の伝統からすれば非常識な行為であるが、同時にそれ故にイエスのメシヤ性を示しているのである。

 こうした「教祖譚」の中には、しばしば救いに至るべく「準備された人物」と、真理を受け入れずに滅びに至ることを予定された人物という、二種類の人間が登場する。新約聖書の福音書には、メシヤと出会うべくあらかじめ準備されたアンナとシメオンのような人物が登場する。第8章で登場した山口氏もこうした「準備された人物」であったが、列車の中にそういう人がいると、大神様にはそれを見分ける能力があって、その人の前で足を止めて、「おっさん、あんたあ、わしのしゃべることがわかるのう。話しちゃろう。」(p.254)と言われて、熱心に説いてみせたというのである。

 一方で、列車の中には「やかましい、この婆あ、殴ってやる。」と大神様の頬を平手で叩いた者もいた。それに対して大神様は「えいっ、えいっ。」と人さし指をまるで拳銃のように心臓に突きつけて気合いを入れられた。それを受けた男が顔色を真っ青にして腰を下ろすと、「お前は三日したら死ぬ」と言われたのである。これを大神様は「神の国の拳銃」(p.256)と呼ばれたのだが、これは大神様が殺したということではなく、「天の計算済みの内容を、ちょっと予告するだけ」(p.256)ということであった。要するにその男は、神教を受け入れずに滅びに至るように予定されていたということなのである。

 このように天照皇大神宮教の世界観においては、すべての人が救いに至るように予定されているわけではなく、予め神によって準備された人が神教を受け入れ、真理を受け入れずに反発した人は自ら滅びるように予定されているという、キリスト教の予定論に似た考え方が見受けられる。こうした「滅ぶべき者」という考え方は、聖書の中ではパウロの書簡である『テサロニケ人への第二の手紙』の中に典型的に登場する。それに該当する部分を抜粋してみると以下のようになる。
「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。」(2:3)
「その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。」(2:8)
「不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。」(2:9-10)
「そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。」(2:11-14)

 ここには「滅ぶべき者」と対比して、救いに預かるべく選ばれた自分たちの立場を感謝するという発想が見られる。迫害されているマイノリティの宗教が、自分たちを否定する者たちが存在する理由についてこのように理解することで、慰めを得るということはあり得るだろう。気持は分かる。しかし、これが公式神学になった場合には、カルヴァン主義のような極端な予定論になってしまう。

 カルヴァン主義神学の代表的な教義の一つに、「限定的贖罪」(limited atonement)がある。これは、イエス・キリストの十字架の贖いの死は、救いに選ばれた者のためだけであり、すべての人のためではないということだ。これが「無条件的選び」(unconditional election)、すなわち神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいるという教理と結びついて、救いに関する「二重予定説」(double predestination)を構成する。これはある人が救われるかどうかは、本人の信仰や行いに関係なく、太古の昔から神が絶対的に定めたものなので、人間の力によっては変更不可能だということである。統一原理はこうした極端な予定論を否定し、「人間の責任分担」を強調している。

 天照皇大神宮教の『生書』にも、キリスト教に似た予定論的な発想があると言えるが、それはカルヴァン主義神学の予定論のようなシステマティックなものではなく、もっと素朴で直感的なものであると言えるだろう。

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『世界思想』巻頭言シリーズ10:2022年2月号


 私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしています。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第10回の今回は、2022年2月号の巻頭言です。

南北統一を見据えた「戦略的朝鮮半島政策」の確立を

 昨年度のUPFの世界的な活動は、朝鮮半島の平和的統一に焦点が絞られていた。5月9日には「シンクタンク2022」出帆のための希望前進大会が開催され、それを前後して朝鮮半島の平和と統一をテーマとしたオンラインの行事が世界各地で開催された。9月からは日米韓の三元中継で「シンクタンク2022フォーラム」が開催され、マイク・ポンペオ前米国務長官、マイク・ペンス前米副大統領、投資家のジム・ロジャーズ氏らが基調講演を行い、日米韓三カ国の有識者たちがディスカッションを行った。

 シンクタンク2022の目的は朝鮮半島の平和的統一に貢献することであり、その目標は平壌(北朝鮮政府)を関与させ、相互信頼を促進し、国際社会への統合を進めることであるとされている。北朝鮮のソフト・ランディングを目指してトラック1(国家主体)によるアプローチだけでなく、トラック2(民間レベル)を含む多角的なアプローチにより、あらゆる可能性を模索するシンクタンクを目指している。

 朝鮮半島の南北統一は韓民族の悲願に違いないが、果たして日本政府はこの問題についてどう考えているのだろうか。実は日本政府には個別の対北朝鮮政策と対韓国政策はあるが、南北統一に対する政策は存在しないのである。日本政府は朝鮮半島の南北統一に対しては支持も反対もせず、この問題に関しては言及しないという姿勢だ。

 現在の日本の外交政策は、北朝鮮に対しては核・ミサイル問題、拉致問題などの解決を課題としており、韓国に対しては竹島、慰安婦、徴用工などの問題を抱えている。総じて目の前にある外交課題に受動的に対応しているだけであり、そもそも朝鮮半島との関係を将来どのようにしていくべきかについての長期的な戦略が存在しないのである。

 明治期の日本は、帝国主義的政策で問題はあったものの、安全保障および経済・社会開発の両面で戦略的朝鮮半島政策を持っていた。しかし戦後においては、過去の植民地統治の影響等もあり、日本外交における朝鮮半島政策の優先順位は低かった。冷戦期においては、日本の外交政策はアメリカの政策に拘束され、状況対応的な外交スタイルに陥り、戦略的な朝鮮半島政策が構築されることはなかった。

 しかし現在、アメリカの東アジアにおける影響力や存在感の低下に伴い、それを補う「補佐役」としての日本の役割や使命が増大している。状況対応的な外交スタイルではその役割を果たすことはできず、長期的な視野に立った戦略が必要だ。いまこそ日本は、朝鮮半島における南北分断の状況を所与不変の前提とせず、将来の朝鮮半島統一をも視野に入れた「戦略的朝鮮半島政策」を確立すべきである。

 日本にとって最悪のシナリオは、中国主導の、共産主義による、反日の、核保有の朝鮮半島統一国家が誕生することである。一方で最善のシナリオは、朝鮮半島が自由、民主主義、法の支配などの普遍的価値を信奉する統一国家として政治的に安定し、経済的に繁栄し、日本に対して友好的で、核を持たない国になることである。

 日本は米国や韓国との同盟関係を維持しつつ、朝鮮半島統一のプロセスに積極的に関与すべきである。

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『世界思想』巻頭言シリーズ09:2021年10月号


 私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしています。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第九回の今回は、2021年10月号の巻頭言です。

新たな開発パートナーとしての信仰基盤組織(FBOs)の役割

 近年、貧困撲滅などに貢献する新たな開発パートナーとしての「信仰基盤組織(Faith Based Organizations=FBOs)」の役割が注目されている。こうした文脈で語られるFBOsとは、宗教団体そのものが社会貢献を行う場合と、宗教を背景として設立された社会福祉法人やNPO法人等を総称していう言葉である。

 もとより宗教組織は地域社会の中心的存在として社会的弱者への支援を活発に展開してきた。欧米における社会福祉の起源はキリスト教のチャリティである。産業革命以降の英国や米国において、急速な社会変化の中で経済成長から取り残された貧困層に手を差し伸べたのは、教会およびそれを母体とする社会福祉団体であった。

 欧米ではキリスト教をはじめとするFBOsの社会奉仕活動が盛んであり、それらが地域福祉や公共政策の一端を担うことが少なくない。米国では2001年にブッシュ政権が「信仰基盤コミュニティ・イニシアティブ」を打ち出し、英国では2012年に国際開発省が「信仰パートナーシップイニシアチブ原則」を発表している。国連では、2008年に国連人口基金が「人口と開発におけるFBOsグローバルフォーラム」を開催するなど、FBOsとの連携を強化している。

 世界銀行によると、貧困には多様な側面があり、物質的貧困のみならず精神的貧困への取り組みが重要であるという。物質的貧困が食料、住居、資産、雇用等に関連するものであるのに対し、精神的貧困とは、社会的排除や社会的連帯の欠如による疎外感や無力感であり、文化的・社会的規範や社会関係と関連している。FBOsは物質的貧困への取り組みを行うだけでなく、社会的規範を示し社会的関係を構築する存在として、精神的貧困への取り組みにおいて重要な役割を果たすことが期待されているのである。

 FBOsが持つこうした役割は「社会関係資本」と呼ばれ、開発において不可欠な資本であると評価されている。これまで開発の主体は国家・政府であったが、公的なサービス提供が十分に機能しない途上国や独裁国家においては、政府よりもむしろ宗教組織の方が民衆から信頼されているという事実に国際社会は気付いているのである。

 戦前の日本においては、宗教組織が社会福祉領域において大きな役割を果たしてきた。しかし戦後は社会福祉は国家責任となり、日本の宗教組織は社会福祉領域から排除されがちになった。その一因は、宗教法人が公金を受け取ると政教分離の原則に抵触すると解釈されるようになったからである。

 しかし、国家のみの努力では社会福祉を担えないことが明らかになるにつれ、社会福祉の分権化・民営化が推進されるなかで、宗教と関わりの深い組織が福祉領域に再参入する機会が増してきた。それらはホームレスに対する支援活動などにおいて実績を積んでいるが、日本においてはまだまだFBOsの役割が十分に認知されているとは言い難い状況にある。

 こうした中でFBOsに求められているのは、布教目的を顕在化させることなく社会貢献に徹することにより、公的セクターとの協働が社会的に認知され、拡大していくような努力を積み重ねていくことであろう。

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中国の「挑戦」と日本の対応06


自由主義陣営の結束のために

 2021年は中国共産党が創党して100年目を迎える節目の年であり、7月1日には創党100年を記念する行事が大々的に行われた。天安門で習近平国家主席が演説し、その最後に「中国共産党の歴史的使命は台湾の独立阻止と奪還である」と明言した。

 台湾に対する中国の脅威に対抗するためには、日本、台湾、韓国が今までの歴史をさておいて自由主義陣営として結束しなければならないと呂秀蓮・元台湾副総統が述べたことを先回紹介した。それでは日本と韓国にはそのような準備があるのかについて、最終回の今回は分析したい。

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 昨年日本で起きた大きな政治的出来事といえば、なんと言っても衆議院議員総選挙である。結果は既にご存知の通り、自民党単独で絶対安定多数を獲得し、自公連立政権は継続することとなった。選挙前には立憲民主党と共産党の共闘は自民党にとって脅威であり、自民党は相当票を減らすのではないかという予想があったが、両党の共闘は完全に不発に終わった。これは共産党に対する国民のアレルギーの強さを物語っており、あらためて日本国民の良識が示された結果となった。自公政権の勝利により、これまで安倍政権、菅政権によって構築されてきた日本の安全保障政策は、岸田政権によって継続されることとなった。これによって日米関係は安定するだろうし、日台関係も良好に展開するだろう。しかし、日韓関係は多くの課題を抱えている。

 ここで、「台湾有事」と朝鮮半島情勢の関係について述べてみたい。台湾と韓国の間には二つの共通点がある。一つは共に日本の植民地支配を経験していることであり、二つ目は同民族の共産主義国家からの脅威に直面しているということだ。韓国人はこのような歴史的背景から台湾に対して親近感を感じており、蒋介石を尊敬している韓国人は多い。

 また地政学的には、台湾有事と朝鮮半島有事が連動する可能性も指摘されている。両方が同時に起きれば米国は有効な対応ができないであろう。もし台湾が中国に奪回されたら、朝鮮半島に対する中国の圧力は何倍にも強化されることが予想される。この中国の圧力は韓国にとって非常に厄介なものである。韓国のことわざに「クジラが喧嘩するとエビの背中が裂ける」という言葉がある。中国と米国という二匹の巨大なクジラが喧嘩すれば、それに巻き込まれた韓国が被害を受ける。中国が巨大化すればするほど、韓国がアメリカと連携している限り、巨大な暴風が押し寄せるのである。かつてTHAAD配備の時に韓流文化が中国から排除されたことがあった。韓国はそれを恐れている。一方でアフガンの事例から、米軍撤退のリスクも深刻である。米国が昨年末に開催した民主主義サミットでも、韓国は中国を名指しで批判することは避け、北京オリンピックの外交ボイコットも選択しなかった。韓国は米国に同調しつつも、中国に対して忖度せざるをえないのである。

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 一方で、日韓米の関係を微妙にしかねないのが、昨年の国連総会演説における文在寅大統領の朝鮮戦争終結宣言の提案である。文大統領は米中に支持を求めたが、バイデン大統領は賛否を明確にしなかった。一方で日本の岸田首相は「時期尚早」として難色を示した。日本としては、核兵器開発と拉致問題で解決への道筋が見えない中、南北の融和ムードだけが拡大することを警戒しているのである。日本の中には、米韓同盟や日韓関係以上に北朝鮮との融和にのめりこむ文在寅政権に対する不満がある。この点からも、今年3月に行われる韓国大統領選には注目が集まっている。

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 目前に迫った韓国大統領選は、与党「共に民主党」の李在明候補と、野党「国民の力」の尹錫悦候補の一騎打ちとなっている。日本とは政治構造が逆になっており、韓国では与党が進歩派で野党が保守派となっている。ここで韓国における保守派と進歩派の考え方の違いについて簡単に説明したい。

 韓国では60代以上の年代層は保守的な傾向が強く、北朝鮮の危険性を認識しており、中国に対しても言うべきことを言わなければならないと思っている。彼らは日韓米の同盟の重要性を理解しており、QUADに関しても、中国に配慮して入らないのは韓国の国益を損なうと思っている。彼らは韓国が米中のバランサーになるべきだとは思っていない。

 一方、韓国では50代以下の年代層が進歩派の支持勢力になっている。進歩派の方はアメリカ追従が良いのかどうかを疑い、韓国は世界のミドルパワーとして役割を果たさなければならないと言っている。中国に圧力をかけるためのQUADなら入ることはできず、中国よりもアメリカの方が危ないと思っている。また進歩派は、南北の平和を重要視する。

 今回の韓国大統領選の争点は、左派の進歩政権が続くかどうかである。野党は政権交代を目指して、文在寅大統領を批判している。これまでの「業績評価」として、①外交戦略がうまくいっていない、②経済の悪化、③不動産価格の高騰などを批判している。保守派は、文政権は平和にこだわって北朝鮮の言いなりになっていると考えている。そして、いまや保守派は高齢者だけに留まらない。20代、30代の既存政治に対する反発が今年4月のソウル・プサン市長選で現れた。2017年の選挙では文在寅候補を支持した彼らは、必ずしも進歩勢力ではない。むしろ、これまでの「政権審判」から、与党に対してノーを突き付けたと言える。20代が反文在寅なのは、「ネロナンブル」(私がすればロマンス、他人がすれば不倫)という言葉に代表されるような、公平・公正さの欠如に理由がある。30代も文在寅政権から心が離れてきている。

 韓国人の国際情勢認識には、地政学的条件と歴史的経緯が大きく影響している。かつては小国だったので周辺の大国の犠牲になってきた。いまは韓国も力をつけてきたので犠牲になるような国ではないが、米中のように独自の力で国際秩序を作れるほどの国ではない。韓国のいまの国力に見合った自立的な外交を展開したい。そこで、「ミドルパワー外交を発動する」するがキーワードとなるのである。

 日本からは、韓国は北朝鮮に対して甘く、中国を過大評価しているように見える。しかし、韓国は中国べったりではない。THAAD配備で中国から嫌がらせを受けたので、韓国人の対中感情は非常に厳しい。南北関係に対しても中国の役割は大きいので重要だと思っているが、対中感情が良いわけでない。

 韓国における進歩と保守の岩盤支持層はそれぞれ30%ずつあり、残りの40%が中間層である。したがって、どちらが中間層を取り込むかで勝負が決まる。第三の選択肢が現れない限り、保守と進歩の二大対決になる。51対49というような僅差の勝負になることが予想される。そうすると候補者はどうしてもポピュリスト的にならざるを得ない。

 野党候補は尹錫悦氏であり、検察官としての行政経験はあるが政治経験がない。韓国では政治経験のない人が大統領になったことがない。対日姿勢としては、尹錫悦氏が「大統領になったら、就任後直ちに韓日関係改善に乗り出す」と積極的なのに対して、李在明氏は「日本はいつでも信用できる友邦国家なのか」と疑念を表明し、日本への警戒心をあらわにした。韓国の国民がどちらを選ぶかを、日本は見守らなければならないであろう。

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 いずれにしても重要なのは、日韓米の自由主義陣営が結束することである。そのためUPFは昨年3回にわたって「Think Tank 2022 Forum」という日韓米のオンライン・イベントを開催した。9月18日に行われた第1回フォーラムではマイク・ポンペオ前米国務長官が、10月16日に行われた第2回フォーラムではマイク・ペンス前米副大統領が、11月20日に行われた第3回フォーラムでは投資家のジム・ロジャーズ氏がそれぞれ基調講演を行い、日韓米を三元中継で結んで知識人によるオンラインのディスカッションが行われた。この様子はTV朝鮮を初めとする韓国のテレビ番組として放映された。このようにUPFはその世界的な基盤を動員して、日韓米の自由主義陣営が結束することの重要性を訴え続けているのである。<了>

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中国の「挑戦」と日本の対応05


自由主義陣営の結束のために

 2021年は中国にとって歴史的な年であった。それは中国共産党が創党して100年目を迎える節目の年であったからだ。昨年7月1日には、中国共産党創党100年を記念する行事が大々的に行われた。天安門で習近平国家主席が演説し、その最後に「中国共産党の歴史的使命は台湾の独立阻止と奪還である」と明言した。こうした中国の「挑戦」に対して、日米はどのように対処すべきであろうか。このブログでこれまで論じてきた内容は国際情勢に関する一般的な解説であったが、今回は私が事務総長を務めるUPFがこの問題と関連してどのような活動を行ったのかを紹介したい。

 先回のブログでは、もし中国が台湾に軍事侵攻した場合には、1979年の「台湾関係法」が根拠となって米国が台湾を守ると言われているが、台湾有事に対する米国の対応は曖昧であることが問題だと指摘した。UPFのプロジェクトの一つである世界平和議員連合(IAPP)は昨年7月21日、日米の現職の国会議員がオンラインでこの問題について討議を行う「IAPP日米議員懇談会」を開催した。

中国の挑戦と日本の対応挿入画像13

 その際に共和党のスティーブ・シャボット下院議員が語ったことが非常に勉強になったので、その要点をここで紹介したい。

=スティーブ・シャボット下院議員の引用開始=

 インド太平洋地域における危機に対処し、この地域に平和と安定をもたらす上で、日米同盟は最も重要なパートナーシップだ。最も重大な脅威は中国共産党であり、彼らはこの地域の覇権を握ろうとしている。

 中国共産党の南シナ海と東シナ海に対する野心も問題だが、最も深刻なのは習近平の台湾に対する野心だ。過去2年間で中国は台湾に対してどんどん攻撃的になっている。戦闘機の発進を含むあらゆる軍事演習を行っており、それは侵攻の予行演習と言えるものだ。

 私は「戦略的曖昧さ」は間違った戦略だと思う。中華人民共和国は、もし彼らが台湾に対する軍事行動を起こしたなら、米国とその同盟国は台湾のために介入するということを知らなければならない。これを明確に示すことが何より重要だ。

 私は米国議会の「台湾コーカス」(「コーカス」とは超党派議員連盟のこと)の共同議長になっており、それはいまや米国議会の中でも最も大きな議連の一つになっている。私は過去25年の中で、いまほど台湾問題が深刻に懸念されているときはないと思う。特に、中国によって軍事的に取られるのではないかという懸念が広がっている。

 私は「戦略的曖昧さ」が最大の問題だと思う。それは台湾有事の際に我々が介入するかどうか、我々の本音が分からないようにするという意味だ。米国と台湾、中国との関係を規定しているドキュメントには以下のようなものがある。
①「台湾関係法」(1979年):米国と台湾の事実上の軍事同盟
②「六つの保証」(1982年):台湾と米国議会の双方に、たとえ正式な国交断絶をしたとしても、米国は台湾を支え続けることを再確認した。
③「三つの共同コミュニケ」(1979-1982年):米国と中華人民共和国との間の三つの声明。双方はお互いの国家主権と領土の保全を尊重することで合意している。台湾の将来に関する米国の曖昧な立場を示すものとされている。

 これらを一緒に提示することによって相手を混乱させようとしているのである。習近平は、比較的短期間で台湾を占領できると考えているのではないか。QUADの国々は「もし中国が侵攻したら、我々は台湾と共にある」ということを明確に示してほしい。そうすれば、習近平はそれが可能だという計算をしなくなるだろう。
=スティーブ・シャボット下院議員の引用終了=

 一方でUPFは台湾にも基盤を持っており、日本のUPFとの交流も盛んである。日本と台湾のUPFは昨年4月23日、呂秀蓮・元台湾副総統を基調講演者に招いて、国際指導者会(ILC)のセッションをオンラインで開催した。テーマは「北東アジアの平和と安全を守る自由主義陣営の結束」である。そのときの呂秀蓮氏の基調講演が日台関係だけでなく、韓国との連携にも触れた内容であったので、その要点をここで紹介したい。

中国の挑戦と日本の対応挿入画像14

=呂秀蓮・元台湾副総統の引用開始=

 北東アジアには現在、3つの専制国家が集中していますが、一方のソフト文明を担う台湾、日本、韓国側が十分に団結しているとは言えません。その理由は歴史問題にあります。

 日本は台湾を50年間支配しました。韓国に対してもそうです。1894年に韓国では内乱が起き、清朝に援助を求めました。その機会を日本も狙い、二つの国が戦争になったのです。この時、日本が勝利し、当時の台湾の多くの人々はわからないうちに日本の植民地になりました。同じく韓国も36年間、日本の支配下にありました。

 3年前に韓国を訪問した際、国会議員会館でスピーチをする機会がありました。その場に参加していたある学者が、スピーチの後、私に質問してきました。「日本は台湾を50年間支配した。韓国も36年だ。現在でも日韓には多くの憎しみ、葛藤がある。しかし、台湾と日本は親密な関係にあるように見える。なぜか」と。

 日台韓には歴史上、確かにいろいろな感情や葛藤が沸き起こり、今もそれは残っていますが、それだけにこだわって歴史を振り返ってばかりではいけません。決して忘れはしないけれど、一方で前向きにもっと今後の世界を見る必要があります。

 その後、台湾に帰って考えたことは、新しい時代に向けて、新世代が歴史を背負う必要はない、ということです。日台韓はともに儒教の思想を共有し、それぞれの言葉、文化を持っています。現代化が進んでおり、科学技術の発展もめざましいのです。

 一方で私たちの隣にはグレートチャイナ、北朝鮮、ロシアの脅威があります。だから、日台韓を悪い関係のままにしていてはなりません。その意味で、日韓が過去の歴史に捉われている今の状況は残念です。

 台湾は土地も狭く人口も少ない。国際関係は孤児ともいえる立場で、グレートチャイナの脅威にさらされています。つまり、台湾の私たちには選択の余地がなかったのです。日本による統治、国民党による統治を経ながら、憎しみの感情を克服し、絶えず努力し、困難を乗り越えてきました。

 中国の脅威に直面する中で、私たちができることはソフトパワーを強固にすることです。人権、民主、平和、愛、そしてハイテク。この5つの力がソフトパワーです。台湾は人口も少なく土地もない中で、こうした力を強化しながら今日の地位を築いてきました。

 私はこの機会を借りて、皆様に提案したいと思います。台湾が展開してきた生存と発展のための事例に、日本と韓国の素晴らしい実績を合わせて、共にソフトパワーを強化しましょう。結びつきを強め、協力し、東アジアにおける「ゴールデン・トライアングル」を構築しましょう。

 米国は圧倒的な一位の地位を70年間維持してきましたが、中国の猛追を受け、いまや二位になることを恐れています。鷲(米国)が龍(中国)に脅威を感じているのです。
二匹の象が喧嘩すると、台湾、韓国、日本のような草原に生きる小動物は被害を受けます。 だからこそ、日本、台湾、韓国は、今までの歴史をさておいて、ソフト文明を一緒に作る必要があると思います。三者が協力し、米国の力を借りながら民主同盟を作ることが重要です。

 私は米国の「台湾関係法」のようなものを、日本が検討してくれることを願っています。日台の連携強化によって、北東アジアの平和とソフトパワーが実現できると思います。

=呂秀蓮・元台湾副総統の引用終了=

 呂秀蓮氏の挙げる台湾のソフトパワーにはハイテクも含まれている。昨年10月14日、半導体受託生産の世界最大手である台湾のTSMCという企業の製造工場を日本に建設することが発表された。熊本のソニーグループの敷地に建設するということだ。これは経済安全保障の観点から日台の結びつきを強くするための試みであると言える。

 UPFは、自由主義陣営の結束のために日本、米国、台湾、韓国の連携を強化するための活動をしていることがご理解いただけたと思う。

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自由主義陣営の結束のために

 中国共産党は昨年、40年ぶりに「歴史決議」を採択した。これは「共同富裕」や「台湾奪回」などの大きな使命を全うするためには、強力な統制社会を構築しなければならず、そのためには習近平の権力基盤を毛沢東や鄧小平に並ぶ盤石なものにする必要があるからである。中国は建国100年に当たる2049年までに「社会主義現代化強国」建設を完了し、アメリカを凌駕する国力を持つ覇権国家になろうとしている。その「挑戦」に向けて大きく舵を切ったのが、2021年であったと言えるだろう。

 それではこの「挑戦」に対して日本はどのように対処すべきであろうか。実は「台湾奪還」に対する日本の対応は、令和3年度の『防衛白書』にすでに現れている。これまでの防衛白書と昨年の防衛白書の決定的な違いは、台湾に関する記述である。これまでは中国に対する配慮からか、台湾に関する記述はなかったが、昨年から「台湾をめぐる情勢の安定は、我が国の安全保障にとってはもとより、国際社会の安定にとっても重要」という新たな文言が入った。

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 防衛白書全体を概観すると、基本的な章立ては変わらないが、米国や中国に関するページ数が増えている。第一章が「概観」で、第二章が「諸外国の防衛政策など」であるが、その中の第1節が「米国」を扱っており11ページ、第2節が「中国」を扱っており31ページ、第3節が「米国と中国との関係」を扱っており8ページと、中国問題に多くの紙幅が割かれている。そして中国に関連して、2月に施行された海警法の問題点を繰り返し記述しており、海警船の活動が「そもそも国際法違反」であると指摘している。これに対して中国は反発しており、中国の海洋進出をめぐる対立が先鋭化していることが分かる。

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 防衛白書では、「日本周辺での中国の活動」として、「日本海への進出」「活発な太平洋への進出」「南シナ海をめぐる問題」「台湾をめぐる問題」「沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海における現状変更の試み」などが記載されている。また、「中国による軍事力の広範かつ急速な変化」という項目では、2001年と2021年の中国の軍事力の比較がなされている。それによれば、最新鋭の戦闘機である第4・5世代戦闘機の数がこの20年間で90機から1146機に増加しており、約12.7倍になっていることが分かる。また近代的駆逐艦・フリゲートの数も15隻から71隻に増加しており、4.7倍化している。このように中国の軍事力はこの20年間で飛躍的に伸びているのである。

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 中国と台湾の現在の軍事力を比較してみれば、上記の表に見られるように、既にどうにもならないほどの圧倒的な差がついており、単純に比較すれば勝負にならないことが分かる。これは中国軍が信奉する「孫氏の兵法」の考え方そのものである。「孫子の兵法」の神髄は「戦わずして勝つ」というものだ。「是故百戰百勝、非善之善者也。不戰而屈人之兵、善之善者也」(百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦かわずして人の兵を屈つするは善の善なるものなり。)という言葉がある。これは武器を持たなくてもよいということではなく、屈服させようとする相手の5倍以上の力を持てば、戦わなくても脅せば屈服させられるという意味である。これを中国軍は実践することにより、台湾を屈服させようとしているのだ。

 もし中国が台湾に軍事侵攻した場合には、米国が台湾を守ると言われている。その根拠が1979年の「台湾関係法」である。しかし、この「台湾関係法」では米国は「対抗」するという表現になっていて、「防衛」するにはなっていないのである。この問題は少々複雑なので、「台湾関係法」の歴史的経緯について説明したい。

 もともと台湾とアメリカの間には「米華相互防衛条約」(1955~1980年)があり、米軍が台湾に駐留していた。しかし、1971年に台湾が国連から追放され、中華人民共和国が代表権を獲得したときから状況が変化し始めた。1972年2月にニクソン大統領が訪中し、1979年1月に米中国交が樹立することにより、アメリカが中華人民共和国を正式に国家として認定して外交関係を結ぶこととなったので、米華相互防衛条約は無効化した。その結果、同条約は1980年に失効し、台湾に駐留していた米軍が撤退することとなったのである。

 しかし、「東アジアで急激な軍事バランスの変化が起きる」という米国保守派の強い声や、在米台湾人の強い働きかけで、1979年4月に「台湾関係法」が制定されたのである。これにより米国は軍は駐留させないけれども、武器の売却や在日米軍によって中国を牽制する姿勢を貫いたのである。

 米国の「台湾関係法」には、台湾が安全保障上の危機に直面したときに米国は「十分な自衛能力の維持を可能ならしめるに必要な数量の防御的な器材および役務を台湾に供与する」(三条A項)と書かれており、さらに「この種のいかなる危険にも対抗するため、とるべき適切な行動決定しなけれぱならない。」(三条C項)と書かれている。

 すなわち、台湾関係法には中華人民共和国が台湾に侵攻したときに、「米国が台湾を防衛する」とは一言も記されていないのである。英語では“Defend”ではなく“in Response to”と表現されている。これが「対抗する」と訳されているわけだが、「対抗」もやや強い訳で、「反応する」とか「対応する」という程度の意味である。

 最近バイデン大統領が、もし中国が台湾に対して軍事的な侵攻をしたり圧力をかけたりしたら「防衛する」と二度ほど発言した。しかしそのたびに国務省が訂正している。それは台湾関係法に「防衛する」とは書いていないからである。これは「曖昧戦略」と呼ばれ、台湾有事の際に本当にアメリカは関与するのか、在日米軍が動くのかは、何も決まっていないのである。そうした中で、いよいよ中国の台湾侵攻が現実味を帯びてきた。そろそろ米国は態度を明確にする必要がある。

 実は、台湾有事は日本と無関係ではない。それが起こった時にまず対応するのは在日米軍なので、必然的に日本も巻き込まれるのである。この問題は「集団的自衛権」の問題と密接に関わっており、解釈次第では日本はアメリカと共に台湾防衛のために動くことになるのである。

 2021年7月5日、麻生太郎副総理(当時)は都内で講演し、中国が台湾に侵攻した場合の対応について、安全保障関連法で集団的自衛権を行使できる要件の「存立危機事態」にあたる可能性があるという認識を示し、「日米で一緒に台湾を防衛しなければならない」と述べた。これに対して中国外務省は日本政府に抗議をした。日本もこの問題に対して「曖昧」にせず、態度をはっきりさせる必要が出てきたのである。

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