『生書』を読む40


第九章 第一回御出京の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第40回目である。第37回から「第九章 第一回御出京」の内容に入った。第九章では、大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。

 大神様は東京のことを「東京屠殺場」と呼び、親の恩も、先祖の恩も、国の恩も、神仏の恩も、物の恩も知らない国賊の蛆ばかりが集まっているので掃除をしなければならないと言ったが、それでも東京の人々に大神様の教えは徐々に浸透していった。具体的な現象としては、祈りの際に霊動作用が起こったり、自分自身の過去の罪を懺悔する者が現れたというのである。懺悔する具体的な罪の内容は、姦通、堕胎、盗み、親不孝、妻子いじめなどである。誰に強制されることもなく人々は自然に懺悔し、それが終わった後には晴れやかな顔に変わっていたという。

 キリスト教の「コンフェッション(告解の秘跡)」にも似た現象だが、カトリックでは告白を聞いて許しを与えることができるのは司教と司祭だけであるとされている。しかし、天照皇大神宮教においては公衆の面前で自らの罪を告白していたようである。これは「公の罪の告白(public confession of sins)」ということになり、キリスト教においてもなかったわけではないが、他人の罪の内容を聞くことはその後の人間関係にさまざまな悪影響を及ぼすことが予想されるため、推奨されてこなかった。こうしたことが成り立つには、大神様のような絶対的な権威がその場におり、許しの権能が全員に受け入れられているという特殊な状況が必要である。大神様の在世時には、そうした雰囲気があったのであろう。

 さてここで『生書』は、3月17日に成長の家本部に大神様が出向かれて、谷口雅春氏と直接対峙したときの様子を報告している。戦後間もなく二つの新宗教の教祖が直接出会い、言葉を交わした記録として、大変興味深いものである。『生書』は天照皇大神宮教側の文献であるため、その視点から書かれていることは明らかだが、この出来事に対する成長の家側の記録は残っているのだろうか? それは現時点では分からないため、ここでは天照皇大神宮教側の解釈を中心に分析することにする。

 大神様の谷口雅春氏に対するメッセージは極めてシンプルで直截的なものであった。それは大神様が何者であり、その肚の中に入っている神が誰であるか、あなたには分かるのかという問いかけであった。それも生長の家で出している『白鳩』という月刊誌に出てくる「住吉の神」とは大神様のことであることがあなたには悟れないのか、という挑戦だったのである。それに対する谷口氏の返答は、「今の世の中では、書かなければだめなのだ。書いて発表しなければだめだ。あなたは、何か書かれたものがあるか」(p.269)というものであった。しかし大神様は「経文や本に、観念論や空想を書き立てて、人を指導する時代はもう済んだ。」と切って返したのである。このやりとりはなかなか興味深い。

 生長の家の教祖である谷口雅春は、「ブック・クラブ型」ビジネスモデルによって新宗教を発展させた教祖としては草分け的な存在である。彼は1930年に雑誌『生長の家』の出版を開始し、信者向けの平易な仏教解説書として人気を博し、「読めば病気が治る」と宣伝した。この雑誌『生長の家』を合本にして聖典としたものが『生命の實相』であり、これまでに1300万部以上を売り上げたロングセラーとなっている。それまでの宗教では、教祖が口頭で語った言葉を死後に編纂して経典となることが多かったのだが、教祖が存命中に出版を布教の核に位置づけて成功した最初の例であると言えるだろう。だからこそ谷口氏は「今の世の中では、書かなければだめなのだ。書いて発表しなければだめだ」と確信を持って行ったのである。

 ところが大神様の思想は、「経文や本で宗教を勉強して、頭に知識を入れる時代は終わった」と主張し、むしろ本を焼いてしまえということであるから、谷口雅春氏とはまさに水と油であった。結局、この二人の教祖のやり取りは平行線に終わり、一致を見ることはなかった。どちらかが相手に屈服するということもなかったのである。『生書』には、この日の午前中、生長の家本部道場は大神様の一人舞台となったと記されており、一方的に威圧したというストーリーになっているが、生長の家側から見れば招かざる客が無礼な振る舞いをしたと映ったであろう。そのことは、「すわ、道場あらしが来た。」と騒いだ者たちがいたと『生書』に記されていることからも推察できる。

 統一原理的な解釈をすれば、大神様は谷口雅春氏を自らの弟子になるべく準備された人物、すなわちイエス・キリストに対する洗礼ヨハネのような人物として認識していたのではないかと思われる。だからこそわざわざ生長の家の本部道場まで訪ねて行って、「私が誰なのか分かるか」と問いただしたのである。しかし、新約聖書に登場する洗礼ヨハネがイエスこそメシヤであると悟ることができずに、別の道を選んだのと同じように、谷口雅春氏は大神様が誰であるかを悟ることができずに、生長の家の教祖としての自分の位置にしがみついた、ということになる。これが天照皇大神宮教側からみた二人の出会いの結末であった。しかし、その場にいた生長の家の信者の中には、大神様の神言に魅了されて後に信者になった者もいたという。最終的にはその人が「準備された人」となったのである。

 その後大神様は、4月2日から約10日間、千葉県の四街道の開拓団で御説法されることとなった。この開拓団は、旧陸軍練兵場に開設されたもので、復員軍人によって構成されていた。ここでは男たちは昼間は開墾で忙しかったので、御説法を聞きに来たのは主婦とその子供たちであった。大神様はその子供たちを見てニッコリされ以下のように語った。
「わしは子供が大好きよ。子供の方が大人より、よっぽど神に近い。罪も大してつくっておらん。この子らの頃から神の子にしてまっすぐ育てたら、本当に神の国の国民になれる。」(p.276)

 この言葉は、新約聖書の以下の部分を彷彿とさせる。
「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、『いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか』。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、『よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。』」(マタイ18:1-5)

 世知辛い世の中を生きてきて心がすさんだ大人よりも、けがれを知らない子供の方が神に近いという点では、イエスの教えと大神様の教えは一致している。大神様の教えの神髄は無我の境地であり、大人よりも子供の方が早くその境地に至れるということだ。

 この後、大神様が一人ひとりの子供と対話しながら、諭し、教育する姿が描かれているが、子は親の鏡であり、子供の問題は基本的に親の問題であるという観点から、大神様は母親たちを教育していかれる。そしてこれまで手こずっていた子供が大神様のご指導によって良い子になるのを見て、母親たちは大変喜ぶのであった。こうした出来事が母親同士の口コミで伝わり、多くの婦人たちが大神様の御説法を聞きに集まるようになった。大神様の子どもたちに対する指導は、難しい話は一切なく、基本的な生活指導であった。まさに人を見て法を説く人であったということだろう。母親たちはその指導力に驚嘆した。

 大神様の御説法は、家庭生活の基本を教えるものであった。
「蛆の世界じゃあ、どの家をのぞいても、ろくな家庭はひとつもない。親は子を、子は親を恨み、夫は妻を、妻は夫を恨んで暮らしている。まるで丹波栗のいがの中に入ったような家庭が多い。家庭そのものが、憎み合いの生き地獄じゃ。

 権利を主張する前に、まず己の義務を果たせ。神の国はお互いが真心を尽くし合う、拝み合いの世界じゃ。人間のばかが神を忘れて我利我利亡者になるから、地獄に行かにゃあならなくなる。人という字は、すがり合いというが、二本股じゃ倒れる。もう一本神をそえて神股にせい。そうしたら三つ股になって絶対に倒れない。」(p.284)

 こうした家庭生活に関する教えは普遍的なものであり、日本の伝統的な倫理道徳に通じると同時に、家庭連合の目指す理想家庭の姿にも通じるものである。人間の生身の感情を先立たせれば、家庭生活での衝突が多くなる。そこで家庭生活に神を介在させ、信仰の力によって家庭を立て直そうとしている点で、天照皇大神宮教の教えと家庭連合の教えは一致していると言えるだろう。

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