『生書』を読む37


第九章 第一回御出京

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第37回目である。今回から「第九章 第一回御出京」の内容に入る。第八章では、山口日ケン(ケンは田に犬)という法華経の行者と中山公威という政治運動家が大神様のもとを訪ねてきたことから始まる一連の出来事に長い紙幅が費やされていたが、この出来事は神教が田布施から日本の首都である東京へ広まっていく足がかりを作るという意味を持っていた。第九章はその因縁をもとに大神様がいよいよ東京に出て行って教えを宣べ伝える様子が描かれている。

 もともと山口と中山は、東京や身延山(山梨県)にいる日蓮宗の同志を連れて再び田布施の大神様を訪ねようとしていた。しかし、本山の同志会の者たちも山口と中山の話を聞き、大神様にお会いするために田布施まで行ってみようと一度は約束したものの、そこに邪魔が入ったので、大神様の方から東京に出向いていくことになったのである。その邪魔というのは、ちょうどそのとき政府が古い円紙幣を封鎖し、新しい円紙幣との切り替えを行ったので、多くの人を田布施に連れてくることができなくなってしまったのである。

 この出来事は、戦後間もなくの「新円切替」として知られている。1946年(昭和21年)2月16日夕刻に、幣原内閣が発表した金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行、それに伴う従来の紙幣(旧円)流通の停止は、戦後インフレーション対策として行われたと言われている。このとき政府は事実上の現金保有を制限させるため、発表翌日の17日より預金封鎖し、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方で、1946年3月3日付けで旧円(5円以上の紙幣)の市場流通の差し止め、一世帯月の引き出し額を500円以内に制限させる等の金融制限策を実施した。要するに現金を引き出せなくなったわけであるから、その影響で田布施まで大人数で旅行する費用を捻出できなくなったのであろう。山口と中山は仕方なく、2月の末に再び田布施に戻って大神様にこのことをご報告した。

 大神様はそれも無駄ではなかったと語られ、「それよりゃあ、今度おれが東京へ行っちゃろう。一か月ぐらいの予定で、東京に神の種を蒔きに行ってやろう。」(p.250)と言われたのである。こうして3月8日に、大神様は東京に行かれることになった。東京での大神様の説法の場所や宿所は山口が準備した。大神様が田布施を留守にしている間は、息子の義人氏が道場を守ることになった。義人氏の教団内での立場が上がり、「若神様」と呼ばれるようになったのは、この頃のことである。

 大神様の出京(東京に出向くこと)は、現代では考えられないような準備で行われた。一か月間の食糧から燃料まですべて持って行ったのである。行(ぎょう)の行き先でいっさいもらい物をしない、買い物もしない、少しの迷惑もかけないという大神様の御意志によるものだという。いまはお金さえあれば旅先で何でも揃えられるが、戦後の極端な物不足の時代という当時の事情もあったと思われる。

 通常なら目的地に行く道中はただ汽車に乗っているものだが、そこは大神様のことである、急行列車の車中で大説法が始まった。気違い扱いする者から、話の内容に納得する者まで、反応は千差万別である。カリスマ的指導者を扱った教祖伝には、こうした破天荒な武勇伝が多い。イエス・キリストもそうであったが、カリスマ的教祖というものは特殊な存在であり、常識的には暴言といえるような失礼な言葉を語ったり、破天荒な行動をするものなのである。そのような通常の人とは異なる「特異な言動」こそが、教祖を一般の人間とは異なる特別な存在として引き立たせるものなのである。すなわち、伝統や常識を破壊するところに、ある種の「メシヤ性」が表現されているのだ。

 福音書に表現されているイエスの姿は、ユダヤ教の伝統や常識を超越し、あたかもそれを破壊するかのような存在であった。彼はユダヤ人たちが命のように大切にしていた安息日を破っただけでなく、自らを「安息日の主」であると称した。それゆえに、イエスは「律法を廃する者」と言われるようになったのである。また彼は漁師、取税人、遊女、罪人などの社会から逸脱した人々と共に食事をし、律法学者やパリサイ人よりも彼らの方が先に天国に入ると言われた。またイエスは自分を神と同等な立場に立て、自分によらなければ天国に入ることができないと言い、父母や兄弟、妻子よりも自分を愛せよと言ったのである。これらはすべて当時のユダヤ教の伝統からすれば非常識な行為であるが、同時にそれ故にイエスのメシヤ性を示しているのである。

 こうした「教祖譚」の中には、しばしば救いに至るべく「準備された人物」と、真理を受け入れずに滅びに至ることを予定された人物という、二種類の人間が登場する。新約聖書の福音書には、メシヤと出会うべくあらかじめ準備されたアンナとシメオンのような人物が登場する。第8章で登場した山口氏もこうした「準備された人物」であったが、列車の中にそういう人がいると、大神様にはそれを見分ける能力があって、その人の前で足を止めて、「おっさん、あんたあ、わしのしゃべることがわかるのう。話しちゃろう。」(p.254)と言われて、熱心に説いてみせたというのである。

 一方で、列車の中には「やかましい、この婆あ、殴ってやる。」と大神様の頬を平手で叩いた者もいた。それに対して大神様は「えいっ、えいっ。」と人さし指をまるで拳銃のように心臓に突きつけて気合いを入れられた。それを受けた男が顔色を真っ青にして腰を下ろすと、「お前は三日したら死ぬ」と言われたのである。これを大神様は「神の国の拳銃」(p.256)と呼ばれたのだが、これは大神様が殺したということではなく、「天の計算済みの内容を、ちょっと予告するだけ」(p.256)ということであった。要するにその男は、神教を受け入れずに滅びに至るように予定されていたということなのである。

 このように天照皇大神宮教の世界観においては、すべての人が救いに至るように予定されているわけではなく、予め神によって準備された人が神教を受け入れ、真理を受け入れずに反発した人は自ら滅びるように予定されているという、キリスト教の予定論に似た考え方が見受けられる。こうした「滅ぶべき者」という考え方は、聖書の中ではパウロの書簡である『テサロニケ人への第二の手紙』の中に典型的に登場する。それに該当する部分を抜粋してみると以下のようになる。
「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。」(2:3)
「その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。」(2:8)
「不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。」(2:9-10)
「そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。」(2:11-14)

 ここには「滅ぶべき者」と対比して、救いに預かるべく選ばれた自分たちの立場を感謝するという発想が見られる。迫害されているマイノリティの宗教が、自分たちを否定する者たちが存在する理由についてこのように理解することで、慰めを得るということはあり得るだろう。気持は分かる。しかし、これが公式神学になった場合には、カルヴァン主義のような極端な予定論になってしまう。

 カルヴァン主義神学の代表的な教義の一つに、「限定的贖罪」(limited atonement)がある。これは、イエス・キリストの十字架の贖いの死は、救いに選ばれた者のためだけであり、すべての人のためではないということだ。これが「無条件的選び」(unconditional election)、すなわち神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいるという教理と結びついて、救いに関する「二重予定説」(double predestination)を構成する。これはある人が救われるかどうかは、本人の信仰や行いに関係なく、太古の昔から神が絶対的に定めたものなので、人間の力によっては変更不可能だということである。統一原理はこうした極端な予定論を否定し、「人間の責任分担」を強調している。

 天照皇大神宮教の『生書』にも、キリスト教に似た予定論的な発想があると言えるが、それはカルヴァン主義神学の予定論のようなシステマティックなものではなく、もっと素朴で直感的なものであると言えるだろう。

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