信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、私が日本語訳を担当したこともあり、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。昨年7月8日に起きた安倍晋三元首相暗殺事件以降の日本における家庭連合迫害の異常性を、海外の有識者がどのように見ているかを理解していただくうえで大変有益な内容であると思われたので、私の個人ブログでシリーズ化して紹介することにした。
日本における統一教会危機:信教の自由に対する三つの敵
11/30/2022
日本は数世紀にわたって信教の自由を攻撃してきた勢力と、それを擁護する勢力とが争う主戦場になりつつある。
マッシモ・イントロヴィニエ
*2022年11月12日に清平で行われた「希望前進カンファレンス」に提出された論文
1965年、フランスの哲学者ポール・リクールは現代の西欧世界において宗教に対する広範な敵対感情を引き起こした3名の「疑心の達人」による破壊的な影響に関する本を書いた。それは共産主義の創始者カール・マルクス、精神分析学の創始者ジークムント・フロイト、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェのことである。
マルクスにとって、宗教は「民衆のアヘン」であり、この世ではなくあの世における報酬を約束し、さらに金持ちは地獄に落ちるかもしれないと暗示することによって、貧しい人々を黙らせて革命を防止するための麻薬であった。 そして、貧富の差を取り除くことによって、共産党は宗教を消滅させると言ったのである。
フロイトにとって、宗教は神経学的および心理的問題によって生じた妄想であった。現代心理学がこれらの問題を治療できるようになれば、宗教が必要とされる余地はなくなるだろうと言ったのである。
ニーチェにとっては、宗教が存在するのは国家が強い国民を教育することができないからだった。大多数を占める弱者が、弱くて従順な者たちを称賛する宗教(特にキリスト教)を作り出し、受け入れたのだ。だから新しい国家が子供たちを強靭で無慈悲に教育するようになれば、宗教は従順な者たちと共に消滅するだろう、と言ったのである。
マルクスの理論はソ連共産主義の基礎となった。ニーチェはナチスによってふんだんに利用され、引用された。フロイトは、すでに存在していた世俗的ヒューマニズムに新たな刺激を与え、必ずしも政府を支配できなかったにせよ、多くの西洋民主主義国家で学界やマスコミを支配するようになった。
共産主義、ナチズム、世俗的ヒューマニズムは互いに異なるイデオロギーであるが、すべて宗教を根絶させようと試み、自分たちの権力に服従する一部の宗教的形態だけを許容する。この三つはいまも生きて活動している。共産主義は世界で最も人口の多い国である中国を支配しており、世俗的ヒューマニズムは欧米の多くのメディア、大学、出版社を支配している。 そしてプーチンのロシアではナチス型の全体主義国家と侵略戦争が復活しているのである。
この三つのイデオロギーの究極の目標は、すべての宗教を滅ぼすことである。しかし、20世紀の悲劇を通して、彼らはこれが決して容易でないことを学んだ。宗教は迫害に対する並外れた抵抗力を持っているのである。
宗教を直ちに根絶させることができない状況に直面すると、この三つのイデオロギーは徐々に前進することにした。彼らはまず、大きくて強い宗教に対しては恐れる必要はないと言って当面は安心させておいて、「良い」宗教はそのままにして、「悪い」宗教だけを破壊すると主張したのである。
中国では悪い宗教は「邪教」と呼ばれている。それは王朝時代の中国において皇帝を支持しない宗教集団を指定するために使われたレッテルであったが、いまや新しい皇帝である共産党を支持しない者たちに対して使われている。ロシアでは、国の厳格な統制をよしとしない集団は「過激主義者」や「解散団体」に指定されている。民主主義国家では、宗教全体を相手にするのではなく、「カルト」というレッテルを貼られた一部のマイノリティー宗教にフロイトのモデルが適用され、「洗脳」によって信者を回心させ、献金を集めていると非難されている。
多くの宗教がターゲットにされたが、特に三つが「悪い」宗教の象徴とされ、特別な憎悪をもって迫害された。統一教会は共産主義を非常に効果的に批判し、国際勝共連合を成功させたことによってターゲットにされた。サイエントロジーはフロイト、精神分析学、精神医学の悪用を批判したことによって攻撃された。そして兵役に服することも投票もしないエホバの証人も迫害された。それは彼らのライフスタイルが、国家による完全支配と軍国主義教育によって強くて無慈悲な世代を作り出すというニーチェの理想とは真逆だったからである。
ここまでは西洋について話してきたが、今日最も重要な闘いがアジア、日本で起こっている。日本は西洋の一部ではなくアジアの国であるが、第二次世界大戦で敗北したことにより、信教の自由が民主主義にとって必要であることを認め、過去の過ちを認め、信教の自由を保護する法律を導入しなければならなかった。こうして日本は西洋的な信教の自由の概念を有する東洋の国となり、西欧への架け橋となり、アジア全体のモデルとなった。
しかし、日本でも共産主義をはじめとする破壊的なイデオロギーが作用していた。 彼らは1995年に東京の地下鉄で起きたサリンガス攻撃事件を利用して、「カルト」というレッテルを貼られたすべての運動に対して、オウム真理教による犯罪の責任を負わせたのである。オウム真理教は、反カルト主義者たちの通常のターゲットとはまったく類似点のない特異な団体であり、それさえなければ健全な仏教団体に生じた腫瘍のようなものであると表現した方が適切であろう。いま反カルト主義者たちは、安倍暗殺というもう一つの国家的悲しみの瞬間を巧みに操っている。
現在の反統一教会・家庭連合キャンペーンは、私がいくつかの記事で証明したように、いくつもの明らかに誤った議論と偽りの証言に基づいている。しかし究極的には、それは他の国々で信教の自由に反対する活動をしているのと同じ闇の勢力が、日本でも働いていることを明らかにしている。日本の共産主義者は、文鮮明師が日本において共産主義を阻止し打倒する上で効果的な働きをしたことが許せないのだ。実際に彼らは最近、いまは統一運動との「最終戦争」に入ったと宣言した。日本の極右勢力も時流に乗って同じことを始めたが、その理由は彼らが人種差別主義者であり、リーダーが韓国人であるいかなる運動も嫌悪しているということだけでなく、文師とUPFの業績が民主主義を擁護しあらゆる形態の全体主義を非難しているからでもあろう。日本の一部メディアや弁護士たちの動機は、単なる金儲けを含めて様々であるが、彼らの一部はまた、成功して知名度のあるすべての宗教に対して「洗脳」の非難を行う、国際的な世俗的人本主義のイデオロギーを日本に拡散しようとしているのである。
間違ってはいけない。これは安倍を殺した男に関することではない。また単に統一教会に関することでもない。少なくともそれに限定された問題ではないということだ。これは日本の魂の問題であり、信教の自由に関する世界の未来に関する問題なのである。ある者はそれを「良い」宗教のクラブ(それは将来彼らが攻撃される日までのことに過ぎないのだが)に限定し、曖昧な圧力団体が「カルト」と呼ぶことに決定した「悪い」宗教を排除するように、再定義しようと試みるであろう。
宗教の自由の未来は、日本で何が起きるかによって大きく左右されるであろう。その未来は迫害か自由か? 栄光か恥辱か? 私たちは特定のイデオロギーが彼らの答えを押し付けるのを防ぐためにここに集まった。私たちは自分の声を聴いてもらうために、日本で迫害されている者たちの声を聴いてもらうためにここに集まった。もちろん、私たちは負けるためにここに集まったのではない。私たちが一致団結すれば、私たちが諦めなければ、私たちが戦い続けるなら、いつの日か勝利を祝うことができると私は確信している。
以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。
https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e3%81%8a%e3%81%91%e3%82%8b%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e5%8d%b1%e6%a9%9f%ef%bc%9a%e4%bf%a1%e6%95%99%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%ab%e5%af%be%e3%81%99%e3%82%8b/