ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳70


第8章 未来:いくつかの個人的考察(1)

 ムーニーたちの中における性と結婚に関する扱いは、新宗教としての統一教会の未来にとって、そしてより広くてさほど明らかでない意味において、主流のアメリカ社会における性と結婚に関する価値観にとって、この現象が持つ意義に関する何らかの考察がなければ不完全であろう。そのような考察は必然的に記述的で分析的なやり方から、より価値重視の視点への変化を伴う。私は現在の動向に照らして、近い将来起こりそうなことをゆがめないように細心の注意を払うつもりだが、それにもかかわらず私自身のキリスト教人道主義の関与は以下の内容において明らかであろう。

統一運動の未来

 この観察者には、文師の死後に誰が後継者になるかということは別として、この新しい信仰の次の十数年間の生活と未来を支配する最も重要な要因は、その世界の救済者としての結婚がアメリカ社会においてどの程度持ちこたえ成功することができるかにかかっているようにみえる。私が強く主張するのは、これらの結婚が本書の前半で明記された統一教会の理想を実現できればできるほど、このグループは急激で場合によっては破壊的な変化を経験することなく、存在し続けることができる可能性が高いということだ。

 この予測の裏付けは、1982年7月と10月の合同結婚式をもって、圧倒的大多数のアメリカの統一教会信者が祝福を受けて結婚したという事実から明らかである。したがって1982年は、それ以前はメンバーのほとんどが独身の成人だったのに対して、いまやそのほとんどが既婚者になったという意味で、統一運動にとって重大な分岐点となったのである。その年に祝福を受けた多くのカップルがまだ家庭を出発していないというのは本当である(注1)が、1985年までには7911組のほとんどすべてが結婚生活を共にするようになるであろう。

 「既婚者」の多い教会になることに加えて、統一運動はまた「家族の」教会となる道を急速に歩んでいる。私が1982年10月に統一神学大学院を訪れて新たに祝福を受けたカップル(すなわち、1982年7月1日のマディソン・スクエア・ガーデンにおける式典で結婚した者たち)と話したとき、私は既に家庭を出発した者たちが既に第一子を妊娠していたことを知ったのである。もちろん、グループが大家族を強調していることと、これらの新婚者の大半が20代後半から30代前半であるという事実を踏まえれば、この発見はまったくの予想外というわけではなかった。

 統一運動が、主に若い独身の男女によって構成される状態から、小さな子供のいるカップルによって構成される状態への重要な過渡期の真っ只中にあることは明らかである。この変化の意味合いは、これから5年または10年間において統一教会の結婚と家庭生活に与えられる特定の形態次第で決まる、と私は主張したい。既に述べたように、祝福家庭の大半は、彼らの運動がさまざまな世界救済の目的を成就するのを可能にする目的で、「結婚後の別居」をいまでも経験している。結婚したカップルに、少なくとも一時的には一緒に住む「普通の」生活を犠牲にする意思があるということが、統一運動がそのメンバーの大半が独身であったときに享受していたのと同様の組織的柔軟性を持つことを可能にしているのである。

 しかしながら、短期間の「結婚後の別居」を受け入れた多くの配偶者たちが、より平凡な結婚と家庭の生活様式に「定着する」ことを強く願っていると信じるに足る理由がある。私が話した多くのカップルは、こうした別居が終わることに対する希望を非常にはっきりと口にした。さらに、これら既婚のメンバーの変わらない信仰は、文師もまた彼らが一緒にいることを望んでいるというものであった。それがいつどのように起きるかに関しては、まだ文から具体的な計画は明らかにされていないようであるが。統一運動がアメリカ社会において自身のための第二の経済基盤を確立しようとしている動機は、そのカップルたちを恒常的に一緒に生活させるという現実的なニーズに関係しているように思われる。成功したビジネスと商業的企業は運動内の既婚カップルに就業チャンスを提供するかもしれないし、同時に彼らのために多少なりとも定住型の「住居」を提供するかもしれない。

 最終的な祝福家庭の定着が共同体生活の終わりを意味するのかどうかに関しては、現時点では明確ではない。3~4カップルが小さなアパートメントに一緒に住み、より年長で成熟したカップルが他者のために権威の中心として働くようになる可能性はある。各々のカップルは自身のプライベートな居住空間を持つであろうから、そのような配置はせいぜい部分的な共同生活とみなされるべきであろう。もう一つの可能性は、これは年長の祝福家庭のいくつかにおいては既に現実となっているのだが、カップルが教会の使命や事業を継続しつつ、統一運動が所有または賃借する個別の住居に住むということだ。

 最終的にどのような住居形態が祝福家庭のために確立されたとしても、そしてそれは複数になるかも知れないのだが、彼らは全員がホーム・チャーチ・プロジェクトに携わるようになるであろう。「ホーム・チャーチ」が事実上意味するのは、各カップルが特定の地理的領域において、350軒に対する宣教師として働くことである。彼らの「宣教地」の多くてさまざまなニーズに奉仕することを通して、各カップルは統一教会のメッセージを自らが奉仕している人々に伝えようと努めるであろう。ホーム・チャーチがその他の世界救済の責任に代わるものであるとはみなされていないことには留意すべきだ。私がハーレムで出会った若いカップルは、統一運動関連のプロジェクトで専従的に働いており、神を中心とする家庭(二人の小さな子供のいる)を築こうとしており、そして疑いなく世界で最も難しい宣教地の一つであるところに位置するホーム・チャーチ・エリアで、積極的に活動していたのである。

(注1)1982年の式典の直前にマッチングを受けた一部のカップルもいるため、彼らは3年間は家庭出発をを控えるよう要請されている。

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