ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳55


第6章 祝福:聖別期間と同居生活(11)

 そして運動は母親が使命のために遠くに行っている子供たちに対しては無料の保育サービスを提供するのだが、これらのカップル(特に女性)が経験する精神的な苦悩は非常に耐え難いものである。

 犠牲が大きければ大きいほど、宗教共同体がそれを説明し、緩和させ、是認するための論理的根拠を提供する必要性が大きくなる、というのが基本原則であるようだ。統一運動においては、この必要性に応えるために6つの基本的な正当化が出現した。
1.最も重要な是認は、期待される通り、終末論的なものである。別居したカップルは自分たちのしていることを国家および世界の復帰のための犠牲であると見ている。彼らはまた、近い将来自分たちは家族たちと比較的普通の生活をすることができるであろうという望みを抱いて暮らしている。
2.文師によれば、別居しているカップルが現在はらっている犠牲は、近い将来神によってより多くの埋め合わせがなされるという。彼によれば、「たとえ皆さんがこの地上で二度と夫あるいは妻と一緒にいることがなかったとしても、皆さんの神への愛が強烈であれば、神は皆さんを永遠に一つに溶かすことでしょう。それは皆さんがこの地上で家族と一緒に普通の生活をした場合よりも、はるかにそうなのです。(注77)
3.別居している配偶者たちは、本当の親密さは本質的に霊的なものであるという信念によって慰められるているという。ある夫は以下のように言った:
「私はいつも彼女が一緒にいるかのように感じます。彼女が自分のすぐ傍らにいるようです。私たちが離れているときにいつも感じるのは、この霊的なリアリティーこそがまさに私たちの合一の基盤であるということです。(注78)
4.メンバーたちはまた、彼らの犠牲は運動のすべてのカップルが共有しているものだという考えによって慰められる。
「ですから、人々は常にその状況にあるのです。ある瞬間は彼らは犠牲を払い別居していますが、次の瞬間はそうではありません。誰か別の人がそうしているのです。ですから、・・・(彼の妻が)家を出ているとき、誰かが帰ってきて子供たちと住んでいるのです。そして次の瞬間には彼らが家を出て、・・・(彼の妻が)帰ってきて子供たちや家族と一緒に住むのです。」(注79)
 実際には、相当数の女性たちが別居を伴う「使命」を受け入れるのを断ったが、彼女たちの決定が与えた影響は、グループの持続的な共同体的理想を弱体化させるほどに強いものではなかった。(注80)
5.若干の既婚カップルは、より若い祝福家庭は将来そのような試練を経験しなくてもすむであろうから、彼らの犠牲は天国実現という観点から実り多いものであるという考えをもって、「結婚後の別居」を正当化した。
6.そして最後に、「結婚後の別居」のやや洗練されていてあまり一般的でない正当化はダースト教会長によって信者たちに示された。彼は重要なのはカップルが共に過ごした時間の長さではなくて、関係の質なのであると示唆した。
「私もまた約婚して祝福されましたが、私の人生がまるでハリウッド・ロマンスのようになったと感じました。私はシカゴの空港で妻に会い、「ハイ、元気かい? チューチューポウ」(訳者注:この意味不明な呪文のような言葉は、アイリーン・バーカー博士の『ムーニーの成り立ち』にも登場し、モーゼ・ダースト夫人が言い出したものだと説明されている。夫であるダースと博士との会話の中で、自然に使われていたと思われ、メンバーにも馴染みのある呪文であった可能性がある)と言って、いなくなるのです。私たちはパサディナで一晩会って、それで終わりです。神の御心のままの、一夜限りの関係です。それはエキサイティングでロマンティックです。世の中では不倫の愛でハイになろうとしますが、私たちは神の愛によってハイになるのです。それは私には想像もできなかった偉大なドラマです。一瞬だけ妻に会うというのは、最も貴重でエキサイティングなことです。皆さんはその瞬間を熱烈につかまえて深く抱きしめなければなりません。なぜなら、明日がどうなるかはまったく分からないからです。」(注81)

 統一運動の結婚は神に根差しており、したがって永遠である。不倫の愛が人間始祖の堕落の原因であるため、姦淫は最も重大な罪であり、本質的に悪であるとみなされる。それはまた、その結果という視点からも究極の悪であるとみなされている。信頼されていたリーダーの情事が明らかにされた直後の説教で、文師は以下のように宣言している:
「・・・姦淫は殺人よりも悪いのです。もし皆さんが人を殺したとすれば、一人を殺すだけです。しかしこのことを行えば、皆さんは子孫と血統を殺しているのです。・・・一つの罪の行為が、皆さんの先祖と、先祖の結実である皆さんの未来の後孫に影響を与えるのです。皆さんが自分の子供を持ったときには、それがどれだけ愛らしいかを知るでしょう。そしてそのとき、この種の行為は彼らに毒を与えるようなものなのです。皆さんはとても注意深くなければなりません。」(注82)

 文にとって、姦淫の主要な目に見える結果は離婚である。「彼ら(統一運動のカップルであると推察される)が離婚する理由は、ほとんど例外なく、通常は男女間の問題であり、愛の習慣なのです。」(注83)メンバーたちは一般的にこの罪の深刻さに関する師の見解を共有しているけれども、彼らは姦淫を犯した者がグループから破門されることはないだろうと主張する。(注84)

(注77)文鮮明「真の父母の日と私たちの家庭」『マスター・スピークス』(番号79-03-28, 1979年3月28日)、p.9。若干のメンバーは、もし世界宣教のために必要とあらば普通の結婚生活を全くしないことも覚悟していると言ったが、大多数は「結婚後の別居」が終わることを切望していた。
(注78)インタビュー:キーン氏
(注79)インタビュー:ショー夫妻
(注80)統一運動には、人が霊的に成熟に近づけば近づくほど、とりわけ祝福を受けて結婚した後には、彼もしくは彼女はより大きな個人的自由に対する権利を持つようになる、という旨の「口頭伝承」がある。おそらく、CARPに加わるようにという文師の呼びかけを拒否した女性たち(およびその夫たち)は、この自由を行使したのであろう。しかしながらそのような個人主義は、統一運動の結婚は(グループに奉仕することを通して)世界に奉仕するものだという考えに反するため、この自由を行使し続けることは、良心の呵責に対処するのが非常に困難であるに違いない。これらの既婚女性たちは、自分たちが払おうとしていない犠牲を他の「姉妹たち」が払っているのだ、ということを痛みをもって自覚していた。
(注81)モーゼ・ダースト博士「高貴な人生を生きる」p. 21。ロマンティックなレトリックはダーストにのみ典型的なものではなく、統一運動の共同体生活に広く浸透しているスピリットである。それは特に彼らの音楽に対するアプローチにおいて顕著である。
(注82)文鮮明「男と女の関係」p. 2。
(注83)前掲書
(注84)罪を犯した配偶者はおそらく自らグループを離れるであろうから、通常は破門または除名は考慮されることもないであろう、ということに留意すべきである。これは筆者の側の純粋な推論に過ぎないのだが、ある人が(運動を)離れるための反論の余地のない根拠を与える方法として、不倫をするかもしれないと考えることは合理的である。

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