ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳61


第7章 分析と発見(4)

 加えて、「儀式を通じて人々は純粋に感情的な方法で一体感を覚える機会を持つ。」(注24)さらに、これが祝福の儀式に大きく関係するのである。
「ピーター・ウォーリーは、・・・感情的熱狂は慣習を意図的に破ることによって高められると示唆している。これが、『熱心な信者たちを、古い社会の最も神聖なルールを意図的に嘲った人々による新しい兄弟関係として一つにまとめるのである。彼らは罪悪感と取り返しのつかない反抗によって、互いに結び付けられているのである。』『彼らは、いまだに古い信仰を持ち続けている者たちに対する、共通の罪と相互支援によって一つに結び付けられているのである』」(注25)

 祝福の儀式は、終末論的共同体としての統一運動の統合性と結束を劇的なやり方で象徴的に表現する。それらを通して、いくつかのレベルで結束が確認され実現される:
1.カップルと真の父母の間に血縁関係が確立される。
2.永遠の絆が夫と妻を結び付ける。
3.カップルは共同体全体と新しい特別な関係を結ぶ。
4.各合同結婚式に参加したカップルはお互いに特別な関係となり、それは毎年グループの記念晩餐会で祝賀される。
5.各カップルは原罪から解放され、それによって霊的領域、すなわち神ならびに霊界にいる彼らの先祖に近づく。
6.結婚を成就させる三日行事は、性と霊性の統合を象徴する。

 宗教の歴史において、祝福に関連した儀式に匹敵するような、人生における多くの別個の側面を包括し統一する一連の儀式を見いだすのは困難であろう。さらに、統一運動の結婚の型破りな性質、とくに配偶者を文師が選ぶことは、確実にグループの一体感を支持するような過激な性質をその儀式に与えるのである。

 統一運動の性と結婚に対するアプローチが感情的献身を育むように機能していることは、このように非常に明らかである。さらに、ユートピア的グループのメンバー同士の強い感情的絆は、「・・・たとえ運動の信条に対する不信感に直面したとしても、献身を育み維持することができるのである。」(注26)この洞察は、統一運動がいかにその神学と性的役割分担に関する多様な解釈を許容しながらも、高いレベルのグループの結束を保っていられるのかを説明するのを助けてくれる。

 カンターの第三の形態である道徳的献身は、「・・・グループのメンバーであることの力と有意性に基いて・・・その人に新しいアイデンティティーを提供する・・・」(注27)「無力化」のプロセスと、メンバーが偉大な力と究極的な重要性を保有するものとして共同体を経験することを可能にする「超越」のメカニズムを必然的に伴う。

 カンターは、告白と相互批判、逸脱に対する制裁、霊的な差別化、脱個別化メカニズムという四つの無力化のプロセスに言及している。

 われわれは既にマッチングを受ける資格のあるメンバーたちが、実際の儀式の前に自らの罪(特に性的な性質の罪)を告白する機会があることを示した。公式的に要求されているものではないにせよ、多くのメンバーが聖酒式で起きると言われる霊的な変化のための準備として、実際に告白を行う。(注28)

 逸脱に対する制裁は統一運動においては非常に非公式的であり、同僚や指導者からの圧力として示される。修練期間中に独身の誓いを守ることに対するグループの誘因は非常に強力なので、実際にそれを破るメンバーは非常に少ないように見える。それをする者は、普通は自らの意思でグループを去る。

 非常にまれな場合だが、例えば、重要なリーダーが不倫を犯したり運動を離れたりしたときには、その行為に対する公的な非難があるであろう。

 無力化は霊的な差別化を通しても実行されているが、それはグループの宗教的価値観を反映していると同時に、主として結婚と家庭に関して行われる。差別化のパターンは、下から上まで以下のような順序になっている:
1.未婚のメンバー
2.マッチングを受けたメンバー
3.祝福家庭
4.国際祝福家庭
5.祝福家庭(子女のいるカップル)
6.「長老会議」
7.真の父母

 カンターは19世紀の成功したユートピアの半分に類似したパターンを発見しており、こうしたパターンを持つ組織で成功しなかったのは15%に過ぎなかった。統一運動におけるより高い階級に伴う報酬は、より高い社会的地位、リーダーシップの機会、および結婚における性の表現である。統一運動のメンバーシップに関連する公的に認められた地位は、基本的にはこれ以外に存在しないというのも事実である。

 統一運動は、その構造の中で機能している脱個別化メカニズムをいくつか持っている。例えば、メンバーは地味な服装をしており、寝食を共にし(とりわけ未婚者はそうであるが、多くの祝福家庭も共同生活をしている)、私的な時間は非常に少ない。また、各カップルが文師と個別に行う聖酒式を除いて、祝福の儀式はもっぱら共同体のイベントである。画一性と統一性はおそらく、結婚指輪において最も象徴的に示されているであろう。それらはどのカップルでも同じであり、統一運動のロゴマークが刻まれている。

 超越は個人の古い個人的なアイデンティティーの無力化にとどまらず、以下のものを含んでいる。
「・・・運動の中に宿っているより高い力と意味の経験、一人の人間の生命の外にあり、それを越えた力および出来事とのつながりを感じること。それはアイデンティティーと意味の新しい起源を提供する。」(注29)

 マックス・ウェーバーはこの経験はカリスマを通して伝えられると提言しているが、彼のカリスマの定義は以下のようなものである。
「そのおかげである人が普通の人間から区別され、超自然的、超人間的、あるいは少なくとも特別に例外的な力や性質に恵まれているものとして扱われるような、個人の人格がもつ特定の性質。これらは普通の人間には到達できないものであり、神に起源を持つものあるいは模範的なものとみなされ、それらを基盤として当該の個人は指導者として扱われるのである。」(注30)

(注24)前掲書、p. 234。
(注25)前掲書、p. 235。
(注26)前掲書。
(注27)カンター『献身と共同体』p. 103。
(注28)相互批判は地方の統一運動のセンターで実践されており、そこではメンバーたちは毎週行われる一緒に過ごす夜にリーダーたちによって評価される。
(注29)カンター『献身と千年王国運動の内的組織』p. 238。
(注30)ウェーバー『社会的・経済的組織の理論』pp. 358-359。

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