ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳07


第1章(5)

因果律の問題に加えて、この仮定の三つの重要な言葉をさらに明確化する必要がある。「性(Sexuality)」という言葉は厳密な生物学的意味で使われているわけではなく、また例えば性交のような特定の性的活動のみを指しているのではない。むしろ、私がこの言葉を使うときには、人間の実存に「現実の」結果をもたらす、あらゆる種類の感情、価値観、および行動を包含している。性(sexuality)の定義そのものではないが、以下の文章は我々の仮説において用いるときのこの言葉の意味をよく表現している:
「性(Sexuality)は、人間が社会に影響を与え、また社会から影響を与えられるときの感情、思考、および行動の全体的構造を含んでいる。我々はみな自分自身を男性として、また女性として見るし、我々は社会的にも感情的にも自身の性的役割分担に影響され、性的で生殖的なパターンを形成する。セックスは例えば食事のような他の基本行動とは異なり、延期したり避けたりすることができると論じる人々もいる。しかしながら、性交をせずに生きている人々であったとしても、その他の方法で性的であることを避けることはできない。食事との比較は良い例である。人は肉を食べなくても、一日に一食でも五食でも生きていけるが、それでも食べなければならない。人々は彼らの性を制限したり拡大したりするかもしれないが、それでも彼らは性的なのである」(注22)

このように我々は、性(sexality)というものが人間の実存にとって決定的な性質であり、その表現は必然的にあらゆる所与の社会の構造および規範の影響を受けると仮定する。

社会学的概念として、『結婚』は以下のことを示している:
「・・・社会によって承認された配偶関係、とりわけ夫と妻の関係の取り決めを含み、家庭の社会的機能にとって不可欠な権利と義務の制度の中でその関係を承認する社会機構である。一般的に、公的に行われるなんらかの儀式が新しく結婚したカップルの地位を社会に対して告知し、またそれがその新しい地位に対する社会的な承認と支持を意味する。」(注23)

さらに、本研究において結婚とは、現代の西洋世界におけるそれと同様に本質的に二者間のものであり、一夫一婦制の配偶構造を指すのであるが、これから見るように、統一運動における結婚の機能は社会全般において機能しているものとはかなり異なっているのである。

社会現象としての献身に関する社会学的研究はごくわずかしかないが、おそらくそれはこの言葉が第一に心理学的な性格を持つものであるととらえられているためであろう。ロザベス・モス・カンターが19世紀のユートピア主義共同体の研究のためにこの概念を操作可能なものとすることに成功したのであるが、我々は彼女の以下のような理解を厳密に順守するであろう。
「ある人があるグループやある関係に献身しているのは、彼自身がそれに完全に投入されており、彼自身の内的存在の維持がその社会秩序を支持する行動を必要とするときである。献身的な人は、忠実であり夢中になっている。彼は帰属意識を持っており、そのグループが彼自身の延長であり、また彼がグループの延長であるという感情を持っている。献身によって、人とグループは表裏一体となる。」(注24)

献身に対するこの視点は、グループのイデオロギーに対する個人の賛同だけでなく、彼または彼女がその社会システムに残ろうとする意欲と、グループの他のメンバーとの間に積極的な情の絆を形成しようとする意欲をも含んでいるという点において包括的である。性と結婚に対する統一教会のアプローチが、このような献身の形成にどのように作用しているかが、この研究の残りの部分を通して取り組まれる主要な理論的疑問である。

この研究のデータは、三つのむしろ標準的な質的方法を手段として得られた:(1)すべての入手可能な文書資料の慎重で批判的な研究;(2)42名の統一運動のメンバーと8名の元メンバーに対する構造的インタビュー(注25);および(3)さまざまなグループ活動に従事しているメンバーの観察。これら三つの方法が情報を生み出し、その情報が分析され評価されたとき、この研究の実証的基礎となった。

第2章から第6章まではデータに基づいており、おもに性と結婚に対する統一運動のアプローチを明瞭かつ正確に記述することを意図している。第2章がこのアプローチの神学的基礎を確立しているのに対して、続く4つの章は、婚前交渉と同性愛に関する価値観、態度、および慣習(第3章)、運動における男女の役割分担(第4章)、サクラメントとしてのマッチングの儀式の準備と参加(第5章)、および統一教会のカップルにとっての約婚と結婚という生きられた経験(第6章)を扱う。第7章は、関連する社会学的理論
の枠組身の中でのデータの分析と、調査結果の要約を提供する。最終章は個人的な性格の章であるが、統一運動における結婚の将来についての考察と、統一教会の結婚の理想が現代アメリカ社会に対して持つ妥当性について扱っている。

(注22)ミルトン・ダイヤモンドとアーロ・カレン「性的決定」(ボストン:リトル・ブラウン・アンド・カンパニー、1980年)、p.8
(注23)『社会学百科事典』(ギルフォード、コネティカット州:ダッシュキン出版グループ、1974年)、pp.165-166
(注24)ロザベス・モス・カンター『献身と共同体:社会学的視点から見たコミューンとユートピア』(ケンブリッジ、マサチューセッツ州:ハーバード大学出版、1972年)、p.67
(注25)統一教会信者に対するインタビューは、おもに東海岸における三つの主要な統一教会のセンターで行われ、独身のメンバーと結婚したカップルの両方が含まれていた。ある個人やカップルは二回、ときには三回インタビューを受けた。本文におけるインタビュー対象者の名前はすべて仮名である。

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