ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳32


第5章 祝福:準備とマッチング(1)

 統一運動における性に関する価値観と性的役割分担は、信仰の維持とメンバーの献身を強化するような形で機能するということが論じられてきた。東洋派とアメリカ派の間の文化的緊張は、とりわけ同性愛の取り扱いと女性の適切な役割に関しては、潜在的に破壊と機能不全をもたらす力であると見られた。しかしながら、こうした葛藤はまだ運動の結束に対して大きな否定的インパクトを与えるには至っていない。それとは反対に、未婚のメンバーの兄弟・姉妹の役割(それは統一神学によって公認され、インセスト・タブーによって強化され、リーダーたちや古いメンバーたちによって手本を示される)は、共有の感覚(「私たちという感覚」)を確立することと、組織の道具的目標(例えばファンドレイジングや伝道)を達成する上での個人の献身を強化することの両方に寄与している。

 神学的には、結婚は個々のメンバーの霊的完成に向けての成長における大きな転換点を意味している。同時に、それは地上天国実現のための基本的な社会単位を確立するものである。第二祝福としての結婚は、統一教会の復帰・救済の教義の中心に位置している。(注1)「祝福」(注2)を通して、統一教会の信者はサタンのくびきから解放され、原罪の力から自由になり、復帰された人類の真の父母と「血縁関係」を確立し、神の終末論的共同体の完全なメンバーとなるのである。これは霊的には、彼または彼女がいまやアダムとエバを超える存在となり、人類始祖によって引き起こされた堕落を反転させ、神を中心とする世界の基礎となる神を中心とする家庭を実現することを意味すると理解されている。「誰も独りでは天国に入ることはできない」(注3)

 統一教会の救済論における結婚の極めて重要な位置は、運動の新しい改宗者(即ち、2年以内のメンバー)の経験とむしろ著しい対照をなしている。彼らは一般的に自身の将来の結婚の計画に関しては、相当な不確実性を表明しているのである。
「大多数が自分はいずれは教会の中で結婚するものと思っているが、相手を選ぶのは彼らなのか文師なのか、彼らは共同体のグループの中で生活し続けるのか、それとも別の住居を構えるのか、彼らが配偶者と一緒に住むのか、それとも宣教活動を継続するために結婚の後に再び別居するのか、といったような詳細に関しては、具体的な予想はほとんどなかった。」(注4)

 しかしながら、ひとたびメンバーが運動において三年目に入り、彼らはまもなくマッチングの儀式に参加する資格を与えられるかも知れないと分かれば、結婚の見込みは主要な関心事となり、それは共同体の中に大きな興奮を生じさせ、儀式の日付に関するあらゆる噂を引き起こすのである。この見込みはまた、個人がさまざまな形でマッチングの準備をする動機付けとなる。

 社会学的には、結婚の準備、マッチング、聖別・約婚期間、結婚の「公的な」祝福、結婚の成就、そして夫と妻として一緒に生活する最初の経験はすべて、全般的に個々のメンバーと共同体の絆を強化する社会的な求心力として働く傾向にある。われわれがこの章において見るように、祝福に伴う霊的な変化(例えば、原罪のくびきからの解放)は、メンバーの仮想の親族関係が「現実の」(社会学的・法的な)親族関係、すなわち夫と妻の関係、そして最終的には子供たちとの関係によって補完される社会的変化と並行しているのである。

 我々はまた、祝福のための準備と参加の(結婚を実際に成就するまでの)プロセス全体はメンバーの献身を発達させる上で主として肯定的な効果を持っているものの、統一運動における結婚と家庭生活は求心性と遠心性の両方の傾向を持っており、しばしば観察が指摘されるユートピア的グループにおける家族主義と共同体主義の葛藤の一例であることを後に見るであろう。(注5)

 必ずしもすべてのメンバーが気付いているわけではないが、統一運動は、回心のときから祝福式に至るまでに彼らが行うすべてのことが、彼らの結婚生活のための準備の一環であると教えている。この中には、第一祝福を実現するための祈りや統一原理の学習を通じた非常に個人的な戦いや、ファンドレイジングや伝道をはじめとするさまざまな共同体の活動が含まれるであろう。新しいメンバーたちはグループの中でさまざまな「世界の救世主」としての役割を請け負うのであるが、自身のさまざまな活動の摂理的な意味に気付くのは後になってからなのである。あるリーダーが説明したように、「通常はお父様(文師)は何かの意義についてそれが終わるまではわれわれに語られないので、われわれは時としてもっと投入しなかったことに対して後悔を感じるのです。」(注6)

(注1)「伝統的なキリスト教は結婚を、それを通して神の恩恵を受けるためのサクラメントであるとみなしてきたが、統一原理におけるような中心的位置を結婚は与えられていない。神秘的宗教は、東洋においても西洋においても、一般的に個人の神格化のレベルにおいて頂点をなす。統一神学は通常の神秘主義の個人主義を超えて、私と父は一つであるから、私と相対者は神を中心として一つであるという、さらに高い目標へと進んでいく。」金『統一神学とキリスト教思想』p.21
(注2)文字通り、結婚は第二祝福である。統一運動におけるその重要性は、メンバーがそれを単に「祝福」と呼ぶことに見られる。同じ言葉が式典や結婚そのものをさすときにも用いられる。
(注3)加えて、イエスを通して「霊的救済」を受けた人々(おそらくすべての真摯なクリスチャンたち)は、十字架上の強盗たちと同じように、死んだ際にパラダイスに入る(ルカ23:43)ことに留意すべきである。しかし、再臨主によって結婚を祝福された者たちは天国に入ることができるのである。
(注4)ブロムリーとシュウプ「たった数年が・・・」p.177。私がインタビューした新しい改宗者たちは、ブロムリーとシュウプのサンプルと似たような見解であった。彼らが示した不確実性は、知識の不足によるものというよりもむしろ、若いメンバーに対して将来について心配するよりも第一祝福である個性完成に集中することを奨励したリーダーたちがもたらした結果であった。文師が言ったように、「皆さんが未来の夫や妻になることを話したならば、それは既に誤りであるか罪なのです。皆さんは兄弟姉妹の位置から自分自身を復帰しなければなりません。」文鮮明『男と女の関係』p.7
(注5)二者間の結婚と核家族がいかにグループの結束を弱体化させ得るかに関する議論のためには、カンター『献身と共同体』pp. 89-91を参照のこと。
(注6)ノーラ・スパージン「結婚の準備」『原理生活』(1980年6月)p. 14.

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