韓国の独立運動と再臨摂理シリーズ22


 先回は金日成の抗日武装闘争と、日本軍が降伏した後にソ連占領下の韓半島北部においてなぜ金日成が国家の指導者として立てられたのかについて解説しました。今回は、終戦後の共産主義国家樹立がどのように行われたのかをまとめます。

 解放を迎え、懐かしい祖国に帰って来た海外勢力は大きく分けて二派でした。一つは重慶と米国から帰って来た民族主義者です。彼らはみな臨時政府を中心として抗日闘争を共にしてきた人たちであり、米軍政下のソウルに帰って来ました。

 他のもう一つは、中国の延安とソ連から帰って来た共産主義者たちで、ソ連軍政下の平壌に帰って来ました。シベリアおよび華北から平壌に帰って来た共産主義者たちは、国内派共産主義者たちと共に北朝鮮の共産政権樹立に参加しました。ソ連で生まれた韓人二世たちも重要な働きをしました。彼らが合流して、ソ連が指名した「金日成」を頂点として共産政権を発足させました。また、南韓の国内派共産主義者たち(朴憲永ら)も北に入り、これに加勢しました。(最終的には朴憲永は殺されてしまいますが・・・)

 さて、北朝鮮の金日成の本名が金聖柱なのか金成柱なのかは分かりません。とにかく、その金聖柱または金成柱を、伝説の金日成将軍として人民の前に登場させ、北朝鮮を統治しようというのは、ソ連軍が書いたシナリオでありました。ソ連軍が組み立てた脚本の中で、彼は金日成を演じなければならなかったのです。したがって、金日成はソ連の利益のために働く傀儡に過ぎなかったのですが、ひとたびその役割を引き受けて自分が指導者になると、やがて自分自身のためにその役割を演じて、「私が伝説の金日成将軍である」と言って北朝鮮を支配するようになったのです。

 このようにソ連によって立てられた金日成は、次第に自らの力で権力基盤を確立していきます。1953年には主として国内派(朴憲永など)が、1956年には主として延安派とソ連二世が粛清されるなど、パルチザン派出身者ら以外はすべてが「反党分子」「帝国主義者のスパイ」などとして追われ、粛清されたのです。金日成は徹底的に政敵をつぶしていきます。これを非道なまでやり遂げた人物が金日成なのです。

 同時に、金日成派は金日成の革命経歴をねつ造し、彼らの政権の歴史的正統性を無理やりに作り出そうと画策し始めました。金日成の闘争のみが、唯一最高の抗日武力闘争(これを「唯一革命伝統」と言います)とされ、それをもって北朝鮮政権の歴史的背景と伝統となし、したがって韓民族の歴史的正統性はもっぱら自分たちによってのみ継承されていると主張するに至ったのです。ですから、今日の北朝鮮があるのは誰のおかげかと言えば、それはひとえに金日成将軍のおかげであるのだ、というイデオロギーを作ったわけです。

 そのためには歴史を捏造しなければなりません。ですから、今日の北朝鮮の出版物では、民族主義者たちの抗日闘争はいっさい排除されており、共産主義者といえども、金日成のほかには韓国人で抗日闘争をした人物は誰もいなかったということになっていて、彼のみが唯一抗日武装闘争を行った人物であるということになっているのです。

 このようにして個人としての金日成の位相を高めた後に何をしたかというと、今度は金日成の血統を高めることになります。それは金日成一家の世襲体制を作るためでした。さらに歴史をさかのぼり、北側近代史の核心をなす部分が、金日成とその先代たちの偽造された闘争史によって塗り替えられて行ったわけです。彼らの歴史に従えば、金日成は絶世の愛国者であり、不世出の革命家であり、永生不滅の思想家であるということになっています。金日成だけではなく、彼の一家代々が愛国者で、革命家であったということになったのです。「愛国的革命性の強い家門であったから、金日成のような人が生まれなければならない。そして彼の代を継ぐ指導者もやはり、こうした家門から出なければならない」と主張されるようになりました。これは、金日成父子の世襲執権を可能にするための布石であったと言えます。

 ですから、北朝鮮の出版物では、金日成のお祖父さんやお父さんが非常に持ち上げられるようになっていきました。例えば、北朝鮮の歴史では、金日成の曾祖父は朝鮮を侵略したアメリカ船ジェネラル・シャーマン号を撃退する戦いに加わった英雄だったんだとか、また祖父は日帝に対して勇敢な闘いを挑んだ人物であったとされているのです。そういう革命家の血統の下に、金日成が生まれたんだという話になっていくのです。

 もともと、共産主義は血統と何の関係もありません。その本質はプロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争ですから、本来は血統には何の価値もないのでありますが、北朝鮮においては血統が重要なんだということになったのです。金日成の祖先が偉大だったから、金日成が生まれて、そして偉大なる金日成から偉大なる子孫が生まれてくるので、次世代はその子供たち、孫たちによって主導されなければならないということになっていくのです。

 なぜそうしたのかと言えば、金日成は同じ共産主義の指導者であるスターリンと毛沢東が死後に批判されたのを見たわけです。金日成が一番最後まで生き延びたので、スターリンが死んだ後にはスターリン批判が起き、毛沢東が死んだ後には毛沢東批判が出てきたのを見て、自分も死んだ後にはああなるんではないかということを恐れて、絶対にそうならないためには、自身を絶対的に信奉し、最後まで忠実な後継者を立てなければならないと考えたのです。そして、それは息子以外にはあり得ないという結論になったのです。このようにして、歴史の「私有化」が始まったのです。

 そして、金日成が朝鮮民族の解放者であることを強調するために、中国共産党の下で働いたという歴史的な事実も、ソ連に避難していたこともすべて否定されて、なかったことになってしまいました。そして、1945年の解放まで全く独自の武装闘争を継続していたことに改変され、それが北朝鮮に入ってきて、日帝から北朝鮮を解放したんだというストーリーになっているのです。ですから、すべて自分を中心として歴史を書き変えて、絶対権力を作っていったということです。

韓国の独立運動と再臨摂理PPT22-1

 このようにして、「金日成王国」が確立され、すべての人民が偉大な首領様を仰ぎ見る国を造ったのです。

韓国の独立運動と再臨摂理PPT22-2

 彼らが抱いている北朝鮮のイメージを絵にするとこんな感じになります。子供たちが金日成を「お父様」として慕って、群がっているわけです。金正日も脇にいます。この絵は不思議ですね。妻がいないんです。「真の父母」ではなく、「お父様」だけなのです。親父である金日成だけが子供に囲まれているという図なんですが、彼は「地上の楽園・北朝鮮」を築いたんだということで、こういうイメージを海外に発信しているわけです。このようにして金日成は北朝鮮の権力者となったのです。

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