ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳40


第5章 祝福:準備とマッチング(9)

 人類の愛と従順を巡る神とサタンの争いは、統一運動にとって神学的かつ社会学的な意味を持つ闘争であるが、聖酒式を通して神の勝利をもって決着がつく。その勝利は個人のものであるが、それ以上に人間社会全体のための勝利である。それはすべての人々に天の血統を復帰する端緒を開くのである。
「この聖酒を飲むことにより、皆さんは即座に神の子孫に変えられるのです。そして将来、皆さんはこの祝福を世界に広める位置に立つことでしょう。皆さんは単に自分自身のために祝福を受けているのではなく、全世界のために受けているのです」(注43)

 サタンへのくびきは、アダムとエバから全人類に受け継がれている。郭牧師によると、「私たちは、この遺伝的な要素の故に自分自身がサタンと血縁関係にあることを知っています。この特定の要素は、原罪を通じて私たちに遺伝されているのです。」(注44)人は自身の罪に対する蕩減を支払うことはできるが、完全な復帰にはメシヤを通じた神の介入が必要なのである。「人は自分自身の力では原罪を取り除くことはできません・・・万人が原罪を洗い流すことを可能にする人物が、メシヤなのです。」(注45)

 メシヤとしての文師が聖酒式と密接に関わることは、統一運動内で神学論争を引き起こした。それは聖酒そのものの性質に関わる議論なのだが、文師は以下のように述べている。
「(聖酒には)被造物のすべての要素、イエス・キリストの体、そして真の父母の愛が含まれています。聖酒の構成要素には天宙のあらゆる要素が含まれているのです。聖酒を造るのには、三年以上かかるのです。」(注46)

 文師が上記に引用された発言を行った約三カ月後に、『季刊祝福』は周藤健牧師のエッセーを発行したが、その中で彼は「聖酒は、21種類の材料を含んだ特別なワインが用いられ、[#傍線]お父様とお母様の血が入っています[#傍線終わり]」と言った。(注47)これが明らかにされたことは、統一運動のヒエラルキーの中に否定的な反応を引き起こしたに違いない。(注48)なぜなら、1978年の春に発行された次号の『季刊祝福』の中で、周藤牧師は以下のような「訂正」を表明しているからである。
「私は自分が『21種類の材料とお父様とお母様の血を含んだ』と言ったかどうかはっきりした記憶がありません。しかし、もし私がそれを言ったとすれば、それは私の誤りでした。正しくは、その文章は以下のようになります。『聖酒式においては、天の血統を受け継ぎ、サタンを分立するために、さまざまな種類の万物が含まれた特別なワインが用いられます。』
コメント1:「さまざまな種類の万物」は血とは一切関係がありません。
コメント2:聖酒式は象徴的なものであり、それはちょうど聖餐式においてパンと葡萄酒がイエスの体と血を象徴するために用いられるのと同じです。」(注49)

 これは撤回ではなく、「訂正」に分類されている。「それは私の誤りでした。」と言うとき、周藤はあまり明確でない。彼は最初の発言が真実ではなかったと言いたいのであろうか、それとも彼は単にそれを言ったことが間違いだったと言っているのであろうか? どのような意図にせよ、彼はなぜ最初の発言を訂正する必要があると感じたのだろうか?
 真実に関する問題は、1979年6月に、当時のアメリカの運動の会長であったニール・サローネンが以下のように発言したと報告されたとき、一層複雑になった。
「彼の個人的な信仰によれば、1960年の最初の約婚に用いられた聖酒には、文師の血が数滴入っていた。その原酒は将来のすべての儀式のために保存され、希釈されることによって増殖されている」(注50)

 著者の知るところによれば、この報告は運動によって否定されていない。しかしながら、この記事はサローネンの「個人的な信仰」に関するものであり、彼は統一運動を代表しても、あるいは会長としての自らの権限でさえも語っていないことに留意する必要がある。(注51)にもかかわらず、論争はいまだに運動の中で継続している。J・スティルソン博士が著者に提供した情報によれば、韓国のトップリーダーが1981年3月に彼に対して、聖酒の中に真の父母の血が含まれていることをきっぱりと否定したという。(注52)

 われわれは聖酒に関する真実を見いだすことはできないかもしれないが、この問題そのものは、運動の内部に祝福家庭に対する文師の関わりに非常に強い関心があることを示している。たとえ彼の血が含有物でなかったとしても、聖酒をいただく者はまさしく文字通りメシヤとの「血縁関係」に入るという趣旨の「口伝」がグループの中で発達したのである。あるアメリカのリーダーは、この特別な絆について、彼が聖酒式に言及するときに以下のようにほのめかしている。「・・・象徴以上のものです。それは文師の霊性からカップルに至る何かを表し伝えているのです。」(注53)

(注43)文鮮明「聖酒式」p.2。この言葉の意味について、文師が死んだ後には、彼らは自分の子供たちに対するマッチングと祝福を行い、自分自身の「天の氏族」を確立するようになるのだと解釈する者もいた。
(注44)郭錠煥牧師「祝福と理想家庭」『季刊祝福』(第1巻、第2号、1977年夏)p.28。
(注45)前掲書、p. 29。
(注46)文鮮明「聖酒式」p.2。
(注47)周藤健牧師「祝福の内的意味」p.46。下線は著者。
(注48)周藤の発言はおそらく以下の二つの理由によって評判が良くなかったのであろう。(1)それは「外側の」世界からの批判の可能性にグループをさらすことになった。(2)その粗雑な文字通りの解釈は、より洗練られた神学的に鋭敏なメンバーの反感を買った。
(注49)周藤健牧師「訂正」『季刊祝福』(第2巻、第2号、1978年春)、p.31。
(注50)ジョン・モースト「ムーニーたちがカルト監視批評家たちとクロスウィッツをする」pp. 38-39。
(注51)統一教会の信者たちによる多くの発言が非常に個人的な性質のものであることは、(個人のものとは区別された)運動の信仰と実践を理解しようとするあらゆる調査者にとって主要な障害となっている。
(注52)個人的交流:J・スティルソン・ジュダ―博士。『ハレ・クリシュナとカウンター・カルチャー』の著者であるジュダ―博士は現在、統一運動の文化的意味に関する著作を準備している。
(注53)ブライアンドとホッジス『統一神学の探求』、p.19。統一運動が聖酒の性質に関してまだコンセンサスに至っていないことは全く理解可能である。後にローマカトリックの公式的な立場となる見解をパスカシウス・ラドベルトゥスが明記したのは9世紀になってからのことであることを、読者は思い起こすであろう。ウィリアム・カノン『中世キリスト教史』(ニューヨーク:アビントン出版、1960年)、pp.99-100を参照のこと。(訳注:パスカシウス・ラドベルトゥス〔785年 – 865年〕は、『主の肉と血について』という有名な論考において、聖餐において用いられるパンとワインは、文字通りキリストの肉と血に変化するのだという立場を取った。これが後にローマ・カトリック信仰の支配的な信念となった。)

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