ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳24


第4章 性的役割分担(1)

 性に関する価値観が明確に定義され、統一教会の信徒たちによって厳密に守られているのとは対照的に、「兄弟」と「姉妹」の性的役割分担の問題は複雑で曖昧な現象であり、単純化した表面的な特徴付けを寄せ付けない。証拠が明らかにしているのは、アメリカにおける一つの宗教団体が、少なくともその神学的伝統と一致し、組織構造の内部で機能し、そのメンバーの圧倒的大多数を占める青年たちの意識に合致した男性と女性の役割を発見し、また実現するために、いまだに葛藤しているということだ。統一運動を、キリスト教と儒教の起源に基いて偏狭主義を容認する男性優位の社会的存在であると特徴付けるのは簡単ではあるが、誤っている。この章の意図はそのようなものではない。むしろ、ここでの目的は以下の三つである:(1)統一運動における性的役割分担に対する複雑で多様なアプローチを記述する;(2)その多様性に対する社会学的説明を提供する;そして(3)この多様性が、兄弟姉妹間の献身を維持するための主要な要因である可能性を示す。

 統一運動は自身を一つの世界家族であると考え、その目標は、普遍的で最終的に全人類を包括することのできる神を中心とした文化(注1)を創造することにあるとしている。この家族には、真の父母と真の兄弟姉妹がいる。真の父母の役割はむしろ明確に定義されているのに対して、以下に述べるように兄弟姉妹の役割は主に以下の4つの基準によって違いが生じているように見える:
1.グループの神学的伝統は、「対象」である女性との関係において、男性に対して「主体」あるいは主導的役割を与える傾向があるものの、いくつかの解釈が可能なほどに曖昧である。
2.男性のメンバーのリーダーとしての能力を伸ばそうという文師の関心。
3.女性のメンバーを加入させ、彼女たちの献身を維持しなければならない組織のニーズ。
4.世界史におけるこの重要な時期に、世界の救済のためにあらゆる努力がなされ、あらゆる手段が講じられなければならないという運動の信念。

 終末論的指向性を持つ「統一家族」(注2)であるという感覚は、メンバーたちが運動に加入する際に自らの血統的な家族と徹底的に断絶することによって高められる。この感覚は、統一運動のセンターにおける実質的にすべての活動がグループ活動であるという事実と、それが多くの点において、本当の家族とはどうあるべきかに関する伝統的なアメリカの理想に近いという現象によってさらに助長される。さらに、未婚のメンバー同士の恋愛と婚前交渉の禁止(すなわち、インセスト・タブー)は、本当の「兄弟」と「姉妹」であるという彼らの意識を強化することに役立っている。また、最終的にはすべての人種、民族、国籍をも包括する兄弟愛と姉妹愛は、ほとんどのメンバーが運動に加入する前に抱いていたという世界の調和という考えと一致するのである。最後に、真の父母としての文師夫妻は、唯一で模範的な家族の団結の象徴をグループに提供している。

 統一教会の信徒たちにとって、文師夫妻は理想的な結婚と家庭を創造したのであり(注3)、それは同時に単一性とパラダイムを構成している。真の父母の関係の特異性は、彼らが救済史の中において果たす摂理的な役割に由来している。文師の最初の妻は、彼自身の証言によると、女性の洗礼ヨハネであると同時に堕落したエバであったが、彼女は自らの親族の支援を受けて、正統的なキリスト教を基盤として彼の使命に反対したのであった。(注4)彼女が彼のもとを離れ、1950年代に離婚した後、彼は1960年に現在の妻である韓鶴子と結婚したのであるが、それは黙示録19章9節に予言されている「子羊の婚姻」であると信じられているという点において、摂理的な出来事であった。(注5)文のメシヤとしての役割は、彼の結婚を人類歴史上特異な出来事としている。それは神の目からみれば最初の真の男女の結合であったのであり、それ自体が彼の信徒たちの間で真の結婚がなされるための終末論的な基盤を据えるのである。(注6)

 結婚のときに韓鶴子は18歳に過ぎなかった(文は40歳だった)。【訳注:韓鶴子総裁の生年月日は1943年2月10日<陰暦1月6日>であるため、成婚式の1960年4月11日<陰暦3月16日>の時点では満17歳だが、韓国式の数え方では18歳になっている。文鮮明師は成婚時の満年齢は40歳だが、韓国式の数え方なら41歳となる。】さらに重要なことは、彼女は霊的に未成熟だったのであり、天宙の母としての役割を担うためには、文により霊的完成に向けて「育てられる」必要があった。

 文が彼の妻を神と彼自身に対する絶対的服従へと導いたプロセスもまた、彼らの結婚に固有の特徴である。他のカップルにおいては、婚約時代に男性を神に向けて育てるのは女性である。文は韓鶴子とのプロセスを以下の言葉で描写している:
「お父様はある意味でお母様を訓練したのです。お母様はしばしばあまりに疲れていて、休みたがりましたが、お父様はただ彼女をあらゆるところに引っ張り回し、ありとあらゆることをしたのです。お母様はほぼ疲れ果てていましたが、常に自分の夫に従おうとし、夫が何をしてもそれをしようとしました。夫がどこに行こうとも、彼女は従ったのです。」(注7)

 このように、夫の導きに従い、文夫人は「復帰されたエバ」となり、ある意味で「女性メシヤ」(注8)にならなければならなかったのである。

(注1)運動の「文化」に対する理解は、クライド・クラックホーンの見解に近いように思われる。彼は、文化とは「厳密な言い方をしなければ、目に見える行動、話し言葉、あるいはそれらが生み出すものである。それは考え方、感じ方、信じ方である。それはさらなる使用のために(人間の記憶、書物、物体の中に)蓄積された知識であり、ある特定の事柄を特定の方法で行うパターンであり、それらを行うことではない。」(クライド・クラックホーン『文化と行動』[ニューヨーク:フリー出版、1962年]p.25)
(注2)これはアメリカで1960年代にグループによって広く使われていた名前であった。
(注3)文師夫妻には13名の子女がいる。
(注4)文鮮明師「子女の日」(マスター・スピークス、MS-441、1974年11月4日)、 pp. 8-9。
(注5)ある著者は文は実際には4回結婚したと主張しているが、この主張を立証する文書を提示していない。J・イサム・ヤマモト『人形遣い』(ドナーズ・グローブ、2:インターバーシティ出版、1977年)、p.21。
(注6)「子羊の婚姻」が行われる以前には、運動の中で祝福結婚が挙行されることはなかった。
(注7)文鮮明師『35双の祝福前のお父様のみ言葉からの抜粋』『季刊祝福』(第1巻、2号、1977年夏)、p.12
(注8)ダロル・ブライアント『祝福に関する神学者の会議1978年11月4日』(未発行の記録)、p.15。「女性メシヤ(woman messiah)」という称賛は、統一神学大学院の学生である男性信者によって示唆された。統一神学においては、完全な(霊肉共の)救いをもたらすメシヤ(すなわち再臨主)は一人だけであるため、頭文字を小文字にした“messiah”という言葉は恐らく霊的な完成に到達した者を意味するのであろう。メンバーたちはときに、誰であろうと、男性でも女性でも、この意味での“messiah”になることができると語る。

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