書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』54


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第54回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

前回は、櫻井氏が調査対象とした札幌「青春を返せ」裁判の原告の中には、自らが文字通りの「監禁」を伴う脱会説得によって教会を離れたことを裁判の場ではっきりと認めている者が最低でも5名いることを、本人調書を引用することによって明らかにした。

他にも「監禁」という表現は認めていないが、鍵がかけられており、出入りが自由でなかったことを認めている原告が7名いるが、その番号とイニシャルを表記すれば以下のようになる。煩雑を避けるために詳細は省き、ポイントだけ表記することにする。

巻末資料30ページ、2「脱会信者」被調査信者概要

4番:T.E(部屋から出られず、鍵がかかっていたことを認めている)
5番:Y.N(「監禁」を「救出」と言い換えるが、外には出られない状態だったことを認めている。この証言は、私のブログに抜粋を掲載してある。<http://suotani.com/archives/428>)
8番:U.T(鍵がかかっていて、自由に出入りできなかったことを認めている)
9番:T.T(ビジネスホテルに鍵がかけれらていて、自由に出入りできなかったことを認めている)
10番:K.M(陳述書に本人の意思に反して拘束されたことや、「監禁だ」と感じたことを記述している。陳述書のポイントは、私のブログに抜粋を掲載してある。<http://suotani.com/archives/428>)
11番:M.N(親がマンションに鍵をかけて自由に出入りできなかったことを認めている)
12番:O.T(「監禁」を「保護」と主張しているが、マンションから自由に出入りできなかったと証言している)

櫻井氏が研究対象とした15名の札幌「青春を返せ」裁判の原告の中には、脱会説得の際に自分が「軟禁状態」であったことを認めている者が2人いる。その番号とイニシャルを表記すれば以下のようになる。

1番:S.M(何日間か軟禁状態になったことを認めている)
3番:T.M(自宅で軟禁状態であったことを認めている)

こうした元信者たちは既に統一教会を離れており、教会を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしている立場であるので、彼女たちには教会を擁護する動機はなく、統一教会のために事実と反する証言をする理由もない。通常ならば統一教会を利するような証言はせず、むしろその反対をする人々である。その彼女たちが敢えて「監禁」「自由に出られなかった」「軟禁」という表現を裁判でしている以上、これは極めて信憑性の高い事実であると考えてよい。

実は、彼女たちが脱会時に物理的拘束を受けたことは、法廷でも認定されている。平成15年3月14日の札幌高裁判決は、「被控訴人らはいずれも控訴人を脱会(棄教)した者であり、脱会に至るまでの過程において親族らによる身体の自由の拘束等を受けた者も多く、このような拘束等は、当該被控訴人らとの関係においてそれ自体が違法となる(正当行為として許容されない。)可能性がある」と述べている。しかしながら判決文は、これらは被控訴人(元信者のこと)とその親族との間で解決されるべき問題であり、こうした事実は「青春を返せ」裁判の判決には影響を与えないと述べている。

通常は、脱会の際に物理的な拘束があったことや、第三者の介入があったことは、反対尋問によって初めて正直に証言することが多い。しかし、中には陳述書で脱会の経緯を詳細に説明し、本人の意思に反して拘束されたことや、「監禁」であると感じていたことを記載しているケースもある。その代表的な例が、上記のK.Mさん(10番)の陳述書である。以前のブログではポイントだけ列挙したので、今回は個人が特定される情報のみイニシャルに直して、脱会の経緯を陳述書そのままに掲載することにしよう。

○保護
九二年四月六日。忘れもしないこの日は私が保護された日である。妹の嫁ぎ先のであるN家の、お父さん、お母さんと私達家族とで食事をする事になっていた。Nさんご夫妻はとても感じのいい方達で、以前にも家族ぐるみで食事した事もあったので楽しみにしていた。家で両親だけと話すよりいろいろな話題が出て楽しかったし、統一協会や現在の生活に関する質問などもされないので気楽だった。

西二八丁目の地下鉄駅で待ち合わせた。そこから車でステーキのおいしい店に案内された。食事の時間は楽しく過ぎた。それから地下鉄まで乗せてもらう為に車に乗った。私の両脇に父と母が座ったのであれっと思った。こういう配置で座った事はなかった。今日は泊まって行かないんだと母に言ったが返事がなかった。

妹の夫であるY君が運転する車は実家の方に真っ直ぐ向かっていた。両親を降ろしてから地下鉄まで乗せてもらえばいいと思って黙っていた。思い返して見ると、その時は何となく皆が無口で変だった。実家の近くの知らないマンションの一つに車が入っていこうとした。「どうしてここに行くの。ここは何なの」と私が聞いた時、Y君の顔がすごく緊張している事に気が付いてはっとした。これは「監禁」だ。

駐車場に車が止まってから、父親が私に何か説明したが内容はほとんど覚えていない。それは月日が経ってしまったからではなく、余りにも気持ちが動転して話を聞けるような状態ではなかったからだ。もっとも恐ろしい事だと聞いていた事が自分の身に起きてしまったのだ。何とかして逃げなくてはという事だけで頭が一杯だった。監禁されそうになった時は、どんな事をしても命懸けで逃げて来なさいと言われていたからだ。

車のシートにしがみついていたのを降ろされてマンションの入口まで連れて行かれた。何とか腕を振りほどいて、走って逃げようとしたのだが、皆が必死になって私を押さえ付けようとした。妹が涙を流しながら、こうするしかなかったんだと言っていた。父親がなおも何かを説明していた。父さんはとにかく決心したんだときっぱりと何度も言っていた事しか覚えていない。

皆の顔が、とても自分の身内とは思えないような恐ろしい顔に見えた。マンションの入口に、千葉の伯父さんが立っているのが分かった。続いてNさんご夫妻、が入って来た。この人達も何食わぬ顔をしてグルだったのだと思った時目の前が真っ暗になった。

エレベーターがなかなか降りて来なかった。エレベーターから男の人が二人降りて来たので私は必死に助けを求めたが不思議そうな顔をしながら行ってしまった。エレベーターのドアが開くと年配の女性が立っていた。この人は誰なのと叫んでから、旭川の伯母さんである事に気が付いた。

その日は一二時位まで話したと思う。統一協会についていろいろ質問された。一つに答えても、家族が代わる代わるに聞いて来るので私は休む間も無く答えなければならなかった。恐ろしい圧迫感と、「監禁」された事に対する怒りで気が狂いそうだった。私は家族の救いの為と思って好きな仕事も辞めて厳しい生活環境の中でも頑張ってきた。皆で私を捕まえようとしていると考えもせずに、楽しく食事していた事を思い出すと悔しくて惨めだった。

以前に父は、もう大人なんだから家に閉じ込めておくわけにもいかないと言っていた。私も牧師さんの中にはお金目当てに、困っている親の弱みに付け込む人がいる。だけど、そういう卑怯な人には絶対に頼まないでほしいと言っていたのに。こんなに計画的な事は牧師の指導に基づくものに違いない。

私が牧師さんを頼んだのかと聞くとそうだと答えた。お金目当てに他人の宗教の自由を侵すような人に頼むなんてひどいじゃないかと怒ると、そんな人ではないと父が言った。その人と私とどっちを信用するんだと統一協会で習った切り口上を投げた。そこまで子供が言うと親は折れるはずなのに、私の言う事は嘘が多くて信用出来ないと言われてしまった。ここまで反対牧師に洗脳されてしまったのかと私は驚いた。

だいぶ話したけれど家族はちっとも納得しなかった。私は話をする気持ちはあったけれどとにかく今日は帰らなければいけないといっても、駄目だと言われた。私はやりかけの仕事も気になったので連絡だけでもさせてほしいと言っても駄目だった。押し問答を繰り返したけれど家族の態度は強硬だった。家族といえどもこうまで自由を奪う権利があるのかと、怒りが込み上げた。人間扱いされていないと思った。

その夜は悲しみと、怒りの入り交じった何とも言えない気持ちで横になった。隣に妹が寝ているので祈祷もトイレでするしかなかった。これまでになかったほど真剣に集中して祈った。絶対に私は負けるわけにはいかない。原理は真理なのだから必ず勝利出来るはずだ。この機会に原理を伝えて、分かってもらえるのが、一番いいけれど、駄目であれば逃げ出すしかないだろう。お父様は、もっとひどい苦境に陥っても勝利して来たのだ。

T所長の笑顔が浮かんで心配している事を思うと涙が出た。うとうとしては、目が覚めて、トイレに何度も起きた。居間に敷いた布団の上に父親が逃げられないぞとばかりに座っていた。怒りと憎しみが爆発しそうになるので見ないようにして通った。西川先生が警察に捕まった時に醤油を飲んで病院に運び込まれ、その隙に逃げ出した話を思い出して探したけれど見当たらなかった。

○反対派牧師
次の日の午後、反対派牧師がやって来た。そう言えば、前の晩に父が牧師さんに会ってみないかと聞くので怒りに任せていいよと言ってしまっていたのを思い出した。余り考えずに承知してしまったけれどいざとなると恐ろしい。

しかし、どんな人が来ようとも私の気持ちは絶対に変わらない。しばらくすればあきらめて来なくなるだろう。何か月も掛かるかもしれないけれど頑張ろうと思った。

牧師ははこぶね教会の大久保ですと丁寧に自己紹介した。牧師が持って来てくれた聖書にも、はこぶね教会の名前と住所がスタンプで押されていた。統一協会でホームの住所や電話番号を外部の人には教えないようにしていたので、何か不思議に感じられた。
(以上、陳述書p.231-236)

拉致監禁強制改宗の一部始終を、既に教会を離れた元信者が極めてリアルに証言している、貴重な陳述書である。彼女は札幌「青春を返せ」裁判で統一教会を訴えた原告であるため、「利害関係において合致する」と櫻井氏に判断され、調査対象に入れられた。しかし、彼女が裁判の中で証言しているこうした事実は、櫻井氏にとっては「利害関係において合致しない」と判断されたのか、一切触れられておらず、原告の全員が「自発的脱会者」であり、自分の意思で「脱会カウンセリング」を受けに来たかのように描かれている。櫻井氏の調査研究方法は、このように極めて恣意的に調査対象となる人物や情報を選択していることが分かる。それは初めから「結論ありき」の研究であり、統一教会を批判するという自分のフレームワークに収まらないものはすべて捨象するという信念に貫かれた研究であるからに他ならない。

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