書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』38


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第38回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第4章 統一教会の事業戦略と組織構造」の続き

 櫻井氏は本章の「4 地区教会の事業運営」ならびに「5 教区・教域の運営」において、日本の統一教会全体でどのくらいの資金調達能力があるのかを解明しようと試みている。そのための証拠として挙げられているのが、札幌地裁における小柳定夫氏の証言と、X教区の総務をしていたとされる元信者が自身のパソコン上に保存していたとされる集計表である。これらの証拠の信憑性、ならびにそれらに基いて櫻井氏が論じている内容を今回は評価してみたい。

 櫻井氏は本章の中で、「統一教会の小柳定夫(図4-2連絡協議会)は、1998年6月12日、札幌地裁においてTV100(Total Victoryの略で日本において月額100億の売上)の指令が文鮮明から出され、1986年の11月と12月に達成したと述べた。全国しあわせサークル協議会の年間の売上は、7、8百億と質問に答えている。(札幌地裁昭和六二年(ワ)第六〇三号損害賠償請求事件承認調書)」(p.147-8)と記載している。この記述は本当なのだろうか?

 私の手元に、家庭連合(旧統一教会)の法務局から入手した、このときの小柳氏の証人調書がある。櫻井氏の記述に該当する部分を確認してみると、郷路弁護士が「あなたの証言によれば、昭和61年にTV100、即ち一か月の売上目標100億円という目標を掲げ、その年の12月に目標を達成したという証言がありますね。」と質問しており、それに対して小柳氏は「はい。」と答えているだけである。すなわち、法廷ではTV100の指令が文鮮明師から出されたなどということは、聞かれてもいなければ答えてもいないのである。小柳氏はただ、1986年に一か月の売上目標100億円という目標を掲げ、その年の12月に目標を達成したことを認めただけである。櫻井氏の記述は、そこに「文鮮明の指令」などというフィクションを書き加えた上に、目標を達成した月に11月を加えるという二重の偽装がほどこされている。「どうせ読者は裁判の証言調書など読むことができないだろうから嘘をついてもばれないだろう」と彼が思ったとしたら、脇が甘いか、良心が麻痺しているとしか言いようがない。これだけで彼の著作の信憑性は大きく損なわれると言っても過言ではない。

 この証言調書の中で、郷路弁護士は連絡協議会の年間売上について小柳氏に対して執拗に質問している。一か月の売上目標100億円という目標を掲げ、それを毎月達成すれば年間1200億円の売上になる。しかし一年を通じてなかなか月間目標を達成できず、12月にやっと達成したという話から、郷路弁護士は1986年の年間売上は1000億円くらいであったのかと執拗に質問したので、小柳氏はそこまでは行っておらず、だいたいの数字として7、8百億円だったと答えている。本人がそういうのであるから、たぶんそのくらいが1986年当時の連絡協議会全体の売り上げであったのだろう。

 櫻井氏は、「統一教会全体でどのくらいの資金調達能力があるのかは長らく不明のままだった。ところが、二〇〇八年にX教区(情報提供者のプライバシーに配慮して、X教区と記載する)において総務を担当していた教会員が脱会し、自身のパソコンに入っていた地区・教区・教域ごとの売上金額や目標分配金額等が記載された集計表を裁判において公開した。」(p.149)とした上で、表4-9、表4-10、表4-11を裁判に提出された証拠から転載している。

150ページ

151ページ

152ページ

 そして、これらの表を分析した結果として、「年間数百億から1000億円近くの金を日本が稼ぎ出していたことがこのような内部情報から明らかになった。」(p.150)と結論している。これは小柳氏の証言と額が一致するだけに興味深いが、そのまま信じれば2007年の時点でもほぼ同額の実績を統一教会が挙げていたことになる。

 筆者が家庭連合(旧統一教会)法務局に確認したところ、この「内部資料」を提供した元信者は、平成20年に神戸地裁に提訴された裁判の原告であるが、彼が教会の役員、職員、あるいは総務となった事実はなく、彼は当時、教区長の手伝いをしていただけであるという。しかし、職員でなくても教区長の手伝いをしていたのであれば、教会の「内部文書」を持ちだすことは可能であるかもしれない。表4-9、表4-10、表4-11に関して、統一教会は裁判においてどのような認否をしているのであろうか。

 法務局によると、この訴訟は和解案件であったことから、特に裁判で詳細な認否をしていないのだという。この元信者は熊本教会信徒会代表のS氏と既に和解しており、教会側は「原告(元信者)とS氏との間の和解において合意された和解金額が完済された以上、原告は、S氏、及び被告(統一教会)に対して、信徒であった期間中に知り得た法人の機密情報及び他の信徒の個人情報について、一切、他に漏洩しない義務を負う」と主張している。したがって、このような情報を含む証拠は撤回すべきであり、また、別件事件に原告が提供している情報も直ちに全て回収すべきであると求めているのである。分かりやすく言えば、櫻井氏の掲載している証拠は、教会内部の機密情報及び個人情報を他に漏えいしないことを条件に和解したにも関わらず、それを破って提出された証拠であるということだ。証拠の内容の信憑性そのものは教会側が認否をしていないので不明だが、入手経路に問題のある資料であるということは言えるだろう。

 以上を総合すると、1980年代には連絡協議会が、1990年代から2000年代にかけては宗教法人である統一教会が、年間で数百億円の資金を調達していたことは事実であると推察される。商行為の売上なのか、宗教的献金なのかという形態は違ったとしても、これらの資金調達活動に従事していたのは統一教会の信徒たちであったことに変わりはなく、信徒たちの主観においては「神の摂理のために」行った活動であったことになる。

 問題は、それをどう評価するかである。櫻井氏は以下のように述べている。
「但し、幾つか疑問が残る部分がある。各地区・教区・教域の諸教会において全く内部保留せずにそのまま本部に献金していたのか、日本の本部はそのまま韓国の本部に送金していたのかということである。この点は資料がないので何ともいえないが、銀行等を介さない送金の仕方や、一九九〇年以降韓国の幹部が日本の地区長や教区長といった役職者として多数来日したことの背景から想像できなくもない。すなわち、彼らは日本の資金調達活動を直接引き締めるために文鮮明によって送りこまれてきたともいえるが、日本に進んで稼ぎにきたといえなくもない。韓国の幹部が日本の教会員に対して全財産を自らはき出すだけではなく、はき出す人を連れてこいと激を飛ばすビデオ等を見るにつけ、日本の統一教会員は奴隷並みに絞れる存在として認識されていることがよくわかる。

 以上、日本の統一教会を組織として収益の構造的な側面から見てきたわけだが、資金調達に特化されたミッションを果たすための事業多角化だったことが了解されたかと思う。日本における統一教会には、信徒達の主観的思いは別として、客観的に見れば日本社会に対して過激な人的資源・経済的資源の搾取を宣教目的としてきたが、その日本の統一教会もまた、統一教会全体によって過剰なまでに搾取され続けてきた。統一教会員はこのことを誰も理不尽とは考えなかったのか。」(p.150-2)

 櫻井氏の分析は、本人が言うとおり、資料に基づかない「想像」に過ぎない。まず、日本の地方教会の内部留保に関しては、2000年代に入ってから各地で礼拝堂を献堂したというニュースが多く聞かれるようになったことから、現場で集まった献金を現場で使うという一定の内部留保はあったと考えられる。櫻井氏の指摘するビデオ映像は、マスコミで繰り返し放映されてきたものと思われるが、あれは極めて極端で異常な例であって、あれだけで統一教会全体を判断しようとするのは学者らしからぬ軽率さである。もしあれが統一教会の典型的な姿であるとすれば、奴隷のように扱われる教団になぜこれほど多くの信徒が集まり、宗教団体として成り立っているのかという問いに答えなければならない。常識的に考えれば、あのようなことが広範かつ長期間にわたって行われていれば、ほとんどの信徒が既に教会を去っているはずである。

 櫻井氏の議論は、「資金調達に特化されたミッション」と「事業多角化」という根本的に矛盾する内容を無理やり結び付けたものであると言える。櫻井氏が紹介した広範な統一運動の組織は、そのほとんどが経済的利益を生み出さない活動を行っており、地上天国実現のための先行投資に近いものであった。もし日本の使命が資金調達に特化されていたとするならば、このようなお金を生み出さない分野は無駄に過ぎず、多角化する意味はないと言える。その意味で、櫻井氏の主張は根本的な矛盾をはらんでいる。

 櫻井氏は日本の統一教会信徒は「主観的思いは別として」搾取されてきたと主張する。しかし、宗教においてはその「主観的思い」こそが重要であり、本質であるのではないだろうか。宗教において最も重要なのは、内的な意味の世界だからである。日本の信徒たちは、神の摂理を進めるために喜んで献金してきたのであり、それを外部から客観的に「搾取されてきた」と解釈するのは下衆の勘繰りである。「統一教会員はこのことを誰も理不尽とは考えなかったのか。」という彼の問いかけに対しては、「一部の人は理不尽と考えたであろう。そして、そう思った人の多くは教会を去ったであろう。」と答えるほかない。統一教会の主流の信徒たちは、地上天国実現という大義のために感謝して献金を行ってきたのである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』 パーマリンク