実況:キリスト教講座04


キリスト教について学ぶ意義(4)

 その次に、なぜ私たちがキリスト教に関心を持ち、それを愛さなければならないかというと、お父様ご自身がキリスト教を愛しておられる、ということなんですね。お父様は、ときとしてキリスト教徒から多くの迫害を受けました。梨花女子大事件のときもそうですし、北朝鮮においてなぜ牢獄に入ったかというと、「羊を奪われた」と言って既成のキリスト教会がお父様のことを北朝鮮の政府に対して密告して、悪い噂を広めたから、牢獄まで行かなければならなかったわけです。このようにキリスト教徒からたくさん迫害を受けてきました。迫害を受けたにもかかわらずなぜお父様はキリスト教を愛するのかというと、その心情が『み旨の道』という小冊子のみ言葉の「指導者」の項目の94ページに出てきます。これは版によって違うと思いますが、私の持っていたものでは94ページでした。それは次のようなみ言葉です。

 「ヨセフがエジプトに訪ねてきた11人の兄弟を許すことができたのは、自分がいない間、それでも父母を養った兄弟たちであることを思えば、許さざるを得なかったのである。それと同じように、我々に反対してきた既成教団を祝福せざるを得ないのは、それでも統一教会が現れる以前に神様に侍ってきた基準があるからである。」

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 これは大変深いみ言葉なんですが、皆さんはヨセフの物語を知っていますか? 聖書で学んでおられると思いますが、ヤコブには12人の子供がいました。10人先に生まれてきて、11人目がヨセフですね。その下にベニヤミンという末の弟がいるわけですが、そのベニヤミンが生まれる前に、ヤコブはこのヨセフをものすごく溺愛するものですから、10人の兄弟が嫉妬して、ヨセフを殺そうとするわけです。

 でもまあ、殺すのはやめようということで、ラクダの隊商に売り払われてしまう。そしてエジプトで奴隷にされてしまうという物語であります。ですから、最も愛されていた子供でありながら、兄弟たちの嫉妬によってエジプトの奴隷になるという、まさに転落の人生を歩んだ人がヨセフだったということです。エジプトで奴隷としてポテパルという官吏に仕えるわけですが、その奥さんが、ヨセフがとてもイケメンだったものですから、ヨセフを誘惑するわけです。でもヨセフは貞操を守ってそれを拒絶したら、その奥さんが逆ギレいたしまして、「ヨセフが自分にセクハラをはたらいた」ということで、ヨセフを訴えて、牢屋に入れられてしまいます。ですから、一番愛されていた立場から牢屋というどん底まで落ちていくというのが、ヨセフの物語です。

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 ところがヨセフには霊的な力があって、夢を解く才能があった。それで牢獄で囚人の見た夢の意味を解いてあげた。それが見事に的中したことが評判になって、そのころパロが不吉な夢に悩まされていたので、その夢の意味をヨセフが解いてあげた。「これからエジプトに7年間豊作があって、そのあと7年間飢饉が来ますから、豊作の間に穀物を十分蓄えておいて飢饉に備えてください」という、非常に的確なアドバイスをして、王様から認められるようになり、ついにエジプトの総理大臣になってしまうという話です。

 飢饉が来たときに何が起きたかというと、自分のことを奴隷として売り払った兄弟たちが、まさかヨセフがエジプトの総理大臣になっているとは思いもせずに、エジプトまで食料をくださいといって訪ねてくるわけです。このときのヨセフの兄弟たちに対する気持ちはどうなのかということですよ。自分はいま権力の座にいるわけですね。この兄弟たちをひと思いに殺そうと思えば殺すことのできる力を持っているわけです。この兄弟たちは、個人的には憎い怨讐ですよ。この兄弟たちが嫉妬したために自分はエジプトに売られて、悲惨な人生を歩んだ、という立場です。しかし、なぜヨセフが兄弟たちに対して仕返しをして殺さなかったかというと、このお父様のみ言葉によれば、「それでも私は故郷を後にして、お父さんお母さんに親孝行できなかった。その期間誰が親孝行してくれたかというと、このお兄さんたちだ。だから個人的に自分に対してはひどいことをしたけれども、親を愛してくれたというその一点において、その功労の故に、このお兄さんたちを殺すことはできない。許して愛していかなければならない」という思いでもって、11人の自分の兄弟たちを許していったという話なんです。これがまさにお父様とキリスト教徒の間の心情的関係ということなんですよ。

 つまり、二千年前にイエス様が神の子として来られました。そして十字架で亡くなられました。それから二千年経ってようやく、次の神の子であり、第三アダムであるお父様がこの地上に来られるまでの二千年間、本当の神の子として親孝行できる人はいなかったわけです。その間、神の子はいわば不在だったわけです。ではその間、誰が神様を慰め、神様を愛し、神様の願いを果たそうと頑張ってきたのか、神様に仕えてきたのかというと、それはキリスト教徒たちである。二千年間、いわば自分が留守の間、神様を愛してくれた、神様に侍ってくれたというその功労は否定することができない。だからいまこの地上にいるクリスチャンたちが自分を迫害し、統一教会を迫害したとしても、その二千年間親孝行してきた功労を思えば、許して愛さざるを得ないんだ、という観点でもってお父様はキリスト教を見つめておられるわけですね。

 ですから私たちが安易にキリスト教は失敗したんだとか、あるいはキリスト教は摂理に逆らってるんだというふうに裁くことはできない。それくらいお父様はキリスト教というものに対して、本当に神様を愛してきた宗教として尊重しておられる世界があるわけです。ですから私たちもお父様の弟子であり、息子娘である以上は、そういう心情をもってキリスト教を見つめなければならないわけです。これがキリスト教を見つめる基本的な姿勢ですね。

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