神学論争と統一原理の世界シリーズ21


第五章 救世主(メシヤ)について

2.イエスはなぜ十字架にかかったのか?

イエス・キリストの十字架はキリスト教信仰の中核をなすものだ。それは、救い主が全人類の罪の贖いのために、自分の生命を犠牲の供え物として捧げた出来事であったと理解されている。したがってそれは神の予定であり、イエスが生まれる以前から定められており、イエスは誕生以来その生涯を十字架を目指してまっしぐらに歩んで行ったことになっている。

少年イエスの「神話」

クリスチャンたちが伝統的に思い描いている少年イエスの姿とは、次のようなものである。

「少年イエスは大工である父ヨセフの手伝いをしながら、すくすくと成長していった。ある日、父の手伝いをしていたイエスは、かたわらに落ちていた木っ端を二つ拾い、それを十字の形に組んで紐でくくり、将来自分がかかるべき十字架のことを思って空を見上げ、独り瞑想された」。美しいステンドグラスの絵の題材にでもなりそうな光景であるが、実際に少年時代のイエスがこのようであったというのは信じ難い話である。それは十字架の死が神の予定であったという信仰に基づいて、頭の中で作りだしたイエスについてのイマジネーションなのである。

キリスト教の世界では、長い間イエスが十字架につくために来たということは疑われることがなかったので、このようなイエス像は当然のものとして受け入れられてきた。しかし19世紀以降の聖書批評学の発達により、このようなイエス像は大きな挑戦を受けることになった。聖書批評学はあくまである事件や発言が歴史的な事実かどうかを扱う学問なので、「十字架が神の予定であったかどうか?」というような神学的な問いには答えない。それは守備範囲の外にある。聖書批評学が扱うのは、果たして歴史上の人物としてのイエスが、自分が十字架にかかって死ぬことを人類救済のための贖いの出来事として認識していたのかかどうかということだ。

 

十字架よりも「神の国」を目指したイエス

前節で聖書学者たちの意見はバラバラで、各人各様のイエス像を提供していると言ったが、実はこの点に関しては驚くほどのコンセンサスが得られている。答は「ノー」だ。イエスは自分の死を贖いの事件とは見ていなかった。イエスの宣教の中心テーマは「神の国の到来」であって、「自分が十字架上で死ぬことにより、あなた方は救われる」と宣べ伝えたのではなかったというのである。さらに当時のユダヤ教には、メシヤが十字架にかかって死ぬというような考え方は存在しなかった。

最後の晩餐

ドレの版画「最後の晩餐」福音書によれば、イエスはここで受難の預言をしている。

しかし福音書の中には、イエスが自分の死に関して預言をしている箇所がある。例えばマルコによる福音書10章45節では、イエスは自分が来たのは「多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」と述べているし、マタイによる福音書26章28節の最後の晩餐の場面では、イエスは自分の死を予期しつつ、ぶどう酒を祝福して、「これは罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である」と言っている。そこを読めば、イエスが自分が十字架にかかることを神によって予定された必然的なものとして認識しており、自分が死ななければならないことを知っていたかのように思える。しかしこれらの箇所については、ほとんどすべての学者たちが、その預言は実際にイエス自身が語ったものではなく、後代のキリスト教の教義をイエスの口を通して語らせているだけであると見ている。

作り上げられた十字架信仰

それではなぜクリスチャンたちはイエスの死を神の予定であり、必然的なものであると見るようになったのだろうか?

非常に現実的な見方をすれば、イエスが死なざるを得なかったのは、その敵があまりにも強く、その支持者たちがあまりにも弱かったからである。イエスは宗教的には異端者であり、政治的には危険分子であった。パリサイ人やエルサレムの大法官などのユダヤ人とローマ総督府の高官は、邪魔者であるイエスを排除するという目的で一致した。そしてイエスを亡き者にする陰謀をたくらみ、イエスを十字架にかけるため、反乱を恐れたピラトの恐怖心を利用したのである。イエスはほとんど勝算のない局面に追い込まれ、虐殺された。すなわち十字架はイエスの宣教の挫折だったのである。

イエスの十字架 神の国の到来を夢見てイエスに従ってきた弟子たちは、イエスの死後、羊飼いを失った羊のように右往左往したに違いない。さらに周囲のユダヤ人たちは、イエスは十字架上で惨めな死を遂げたのだから、結局はメシヤではなかったと批判してくる。そこで彼らはイエスの十字架の意味を見いだし、ユダヤ人たちを論駁する必要に迫られるようになった。すなわちイエスの十字架の死をどのように弁護し、それを教理として形成して行くかが、彼らにとって至上の課題となったのである。

イエスはちょうど過越の祭の時に殺されたので、彼を罪の贖いのための犠牲の小羊であるととらえるのは、非常にインスピレーションを刺激する解釈だった。さらにイザヤ書53章には「苦難の僕」の章があり、そこには一人の義人の死によって民の罪が許されるという思想があった。さらに詩篇22篇などもつけ加えて、イエスは旧約聖書において預言されたメシヤであり、彼が人類の贖いのための供え物として死ぬことは、遠い昔から神によって定められていた、という解釈にたどりついたのである。実際マタイによる福音書を読めば、イエスの出来事の一つひとつが旧約聖書の預言の成就であるということがしつこいほどに強調されているのが分かるはずだ。これはマタイによる福音書が、まだユダヤ教の一派であったキリスト教の、ユダヤ人に対する弁明として書かれたことを物語っている。

こうしてみると、「十字架による贖罪」という教義は、イエス自身の教えではなく、後代のクリスチャンたちの解釈であったことが分かる。この解釈が彼らに慰めと希望を与え、宣教の励みとなったことは理解できるが、彼らはあまりにも十字架による贖罪を強調し過ぎたため、イエスが本来語りたかった「神の国の到来」というメッセージを曇らせ、歪めてしまう結果となったのである。

ゲッセマネの祈りの真意

「統一原理」は、19世紀以来の懐疑的な聖書批評学の上に成り立っているのではない。しかし両者は、「十字架による贖罪」を強調し過ぎることによって、キリスト教がイエスの真意を取り違えていると指摘している点においては一致している。イエスが宣べ伝えた中心メッセージである「神の国」が、一体いかなる意味であったのかについては、聖書学者たちの間でさまざまに意見が分かれているが、「統一原理」では、それは地上において具体的に建設される理想世界であったととらえている。すなわちイエスは自分の使命を、生きて地上に天国を建設するという、非常に具体的・現実的なものとして認識していたことになる。それはイエスが死んだなら挫折してしまうのである。

ゲッセマネの祈り イエスが初めから十字架を目指して一直線に突き進んで行ったととらえると、その十字架の直前、すなわちゲッセマネの祈りにおいて、イエスが十字架を回避するための祈りをしたことについて、すっきりとした説明ができない。この祈りは明らかに生に対する執着の祈りであるが、「統一原理」はこれを単に死を恐れる人間的な弱さから来たものではなく、イエスが自分の「本来の使命」に対して最後まで執着し、責任をもとうとした気持ちから出たものであると解釈するのである。しかし、その道が閉ざされたことを知った彼は、果たし得なかった使命を成就するために再び来るであろうという、再臨の預言だけを残して地上を去ったのである。

以上のようなイエスの生涯が、「統一原理」のとらえ方である。これは伝統的なキリスト教の神学とはほど遠いかもしれないが、歴史的にイエスをとらえようとすればより自然な見方である。「統一原理」は「イエスは十字架にかかるために来た」という聖書著者の先入観を突き破って、イエスの実像に迫ろうとした。その結果、今にもその息遣いが聞こえてきそうな人類の救い主のリアルな姿を、聖書の中に再発見したのである。

カテゴリー: 神学論争と統一原理の世界 パーマリンク