アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳48


第5章 選択か洗脳か?(11)

ここで統一教会の高い失敗率の証拠と、その意味合いについて簡潔に調べてみよう。
統一教会の修練会に参加した誰かが運動に参加しないとき、彼の経験は「幸運な脱出」として描かれるか、あるいは忘れられるか無視されがちである。しかし、そのような人々は非常に重要な質問を投げ掛けている。もし社会的状況にそれほど説得力があるなら、どうして彼らはムーニーにならなかったのだろうか? そのような人々が存在することを発見するには、それほど時間はかからなかった。実際、私の参加した修練会の明らかな失敗率と、全体の会員数がかなり少数に留まっているという事実から判断すると、入会しない者の数と、メンバー自身の中でドロップアウトする割合が極めて高いことは明らかであると思われた。

医師が処置しなければ死に至る病気に対する治療の有効性を示唆したいとき、彼は成功率70%と言うかも知れない。これは全ての患者が70%回復するという意味に取られるよう意図されているわけではない。それは患者の70%が回復し、残りの30%が死亡することを意味する。ある人が統一教会の修練会に参加する場合には、その人はムーニーになるかならないかのどちらかである。もしわれわれが「個人」に直目すれば、処置または技術は、成功か失敗かのどちらかで描写される。100%の成功率か失敗率でない限り、われわれは異なる「個人」の性格がその結果にどの程度影響を及ぼすのかを評価することはできない。「グループ」について述べることによって、それができるのである。

したがって、ムーニーになるという決断が下される社会的状況の有効性、およびその状況に連れて来られた個人の性格の相対的な重要性についての客観的な評価をしようと望むのであれば、入会者と非入会者の割合を正確に知ることが決定的に重要であった。会員リストと多数の修練会の山のような参加申込書に苦心して取り組むことによって(さらにこれらのデータを、会員およびその両親にインタビューしたノート、および私自身がその年の修練会に参加することを通じてチェックすることにより)、1979年のロンドン地域での2日間の修練会(詳細は第1章参照)にもともと参加を申し込んだ約1000人の、それぞれの「統一教会におけるキャリア」と呼べるものを図表にすることができた。これは表5に要約されている。

1979年のロンドン・グループは私が正確な割合を得たと確信する唯一の例だが、私がイギリスの別の時期と場所で集めた情報が示唆していたのは、それが他の修練会の群よりも高い入会率を持っているということだった。確かに、絶対数に関する限り、イギリスの統一教会は1979年ほど新会員獲得に成功したときはそれまでなかった(それ以降もなかった)(注62)。潜在的な回心者のグループの運命を組織的に追跡した他の研究は、私の知る限りでは、ギャランターによって行われたロサンゼルス地域での104人に関するものだけである(注63)。表5から分かるように、彼の発見したことは私自身の結果と酷似していた。残念なことに、オークランド・ファミリーの修練会の、特にキャンプKとブーンビルにおけるものの成功率・失敗率に関する推定は、その他のセンターでも同様だが、互いに著しく矛盾する傾向にある。

もちろん、ムーニーにとっては(その他の人にとっても)離脱していく人よりも一緒に留まっている人を記憶する方が容易である。そして無意識に記憶が選択されるために、誇張されている部分も間違いなくある。しかし、ムーニーも反カルト主義者も共に、できる限り成功率を高くすることに強い関心があることは事実である(前者は士気の高揚のため、後者は洗脳の証拠のために)。記録が得られないところでは、最も信頼できる正確な数字の情報源はおそらく、自分の自由な意思で教会を離れ、その後に反カルト運動で活動をしてない元ムーニーたちだろう。独立した訪問者たちが、数回以上の修練会の成功率・失敗率を計算できるほど長く留まっていることはまれであるため、それらは典型的だとは言えないだろう。しかし、現役のムーニー、元ムーニー(ディプログラムされた者とその他の者)および運動の研究者たちの推定を深刻に受け止めても、一年を通して見ると、2日間のオークランド修練会に行こうとまでした人々の中で、最終的にフルタイムのムーニーになるのは4分の1以下であり、たぶん20人に1人に過ぎないだろう(注64)。オークランド・ファミリーが1970年代後半を通じて西洋で最も成功した統一教会の新会員獲得センターであったという評判は、成功の「率」というよりもむしろ運動に招き入れた人の「数」に関係しているのではないかと、私は強く疑っている。

 

(注62)これは主として、当時イギリスにいた国際十字軍(第2章を参照)の活動によるものである。
(注63)M ・ギャランター「大グループへの心理的な誘導:現代の宗教セクトからの発見」アメリカン・ジャーナル・オブ・サイキアトリー、第137巻、第12号、1980年、p.1575
(注64)オークランドの「第2レベル」の指導者の一人は私に対して、次のように考えていると話した。街頭で話をした人のうちで、10人に1人が夕食に来るだろう。夕食に来た人のうちで、10人に1人が修練会参加に同意するだろう。そして修練会に参加した人のうちで、10人に1人が最終的にフルタイムの会員になるだろう。最初の数字は高過ぎると思われるが、それを除けば、私がイギリスで観察したパターンと一致しているように見え、私が見積ることのできる範囲においては、アメリカに関しても正しいだろう。独立した情報源からの数字で最も高いものは、修士論文の研究の一貫として1975年にブーンビルを6回訪れた、デビッド・テイラーによるものである。D・G・ブロムリーとA・D・シュウプJr「アメリカにおけるムーニー:カルト、教会および十字軍」ビバリーヒルズ/ロンドン、セージ出版、1977年、p.177は、D・テイラーの「社会的に組織された成果としての統一教会への勧誘」修士論文、モンタナ大学、1978年を引用して、2日間の修練会に参加する人のほぼ半数が一週間の修練会に参加すると言っている。テイラーは、R・ワリス(編)『至福千年信仰とカリスマ』、ベルファースト、クイーンズ大学、1982年、p.202に掲載されている「新しい人々になる:若いアメリカ人の統一教会への勧誘」の中で、一週間の修練会を修了した者の半数をやや超える人々がそのまま留まり、彼らの大部分が最終的に会員になると推定している。テイラーは1975年の夏について以下のように私に語った。

「それは彼らが勧誘に成功したピークだろう。教会が自分たちをクリエイティブ・コミュニティ・プロジェクトとして提示するのに何の困難もなかったし、その当時は彼らについての否定的なメディア報道やその他の情報もなかった。・・・最初の週末を過ごした者のうち25%が第2週を始めるという数字はかなり正確だと信じている。残っている問題は、この25%のうちどれだけの者が献身的な会員としてバークレー/オークランド地域に戻ってくるかだ。・・・私は[バーカー氏の言う]10%が大きく外れていると言うつもりはない。実際、ブーンビルで2日間のコースに行った者の少なくとも15%は、たとえ短期間であったとしても、最終的に会員になっていると感じている。25%が第2週に入り、そのほぼ全員がその期間(4週間)留まるので、全体では20%近くになるだろう。しかし、このパーセンテージ(15~20)が信頼できるのは1975年夏の勧誘期間だけである。数字の不一致が起きるもう一つの理由は、少々献身的になってブーンビルから共同体に帰ってきたものの、ほぼすぐに離脱した人をムーニーが計算に入れていないからだろう。この段階で高い離脱率があるだろう。なぜなら、事実上ほとんど全ての新入会員は、自分たちが統一教会に献身しているということを理解していないからだ。もちろん、新入会員が共同体に定着した後には、文師についてだけは明らかにされる。この段階でどれだけの頻度で人が離脱しているかを知る方法はないだろう。」(個人的なやりとり)

私の数字に到達するために用いた情報源と計算のさらなる詳細については、以下に示されている。アイーリン・バーカー「逃げた者たち:統一教会の修練会参加してもムーニーにならない人々」R・スターク編『宗教運動;創世記、出エジプト記、民数記』ニューヨーク、シャロンのバラ出版、近刊予定、およびアイーリン・バーカー編「神々と人間について:西洋における新宗教運動」、ジョージア州アトランタ、マーサー大学出版、1984年;特に注11を見よ。
追記:この原稿を出版社に送ってから、著者はオークランドでのゲストの離脱率について次の証拠を得た。第一の情報は、ブーンビルのグループリーダーだったがその後ディプログラムされた統一教会の元会員(女性)からのものである。彼女はそれ以来、ディプログラミングと元会員のカウンセリングに自ら携わっている。彼女はブーンビルのグループリーダーであった。彼女はこの宣誓証言の中で、1975年から77年にかけての北カリフォルニアでの夕食と修練会について以下のように語っている:

問.金曜日の夜に夕食に来た者のうち、何パーセントが週末にブーンビルに行くのか?
答.恐らく25人の人が夕食に来て、時にはその半数の人が、また時にはわずか4分の1の人を(週末の修練会のために)獲得する。
問.そのグループのうち、どれだけの人が1週間のセミナーに残るのか?
答.私の記憶では、通常は少なくとも15人の新しい人がその週に行く。少なくともそれくらいの数はいるという意味だ。どれだけ多くの人がいるかによって、例えば、週末に60人いれば、恐らく30人の新しい人々を我々は獲得するだろう。
問.その1週間のセミナーの後、結果的に2~3週間以上にわたって会員になるのは、彼らのうちの何パーセントくらいか?
答.まあ、30人が週末に来れば、15人がその週に留まるだろう。その週の終わりには、10人が会員になるだろうと思う。
問.その会員とは、2~3週間以上グループと一緒に滞在する人々のことを言っているのか?
答.そうだ。
問.その10人のうち、6ヶ月以上留まるのは何人だろうか?
答.5人だと思う。

バーバラ・アンダーウッド・シャーフの宣誓証言、1983年6月21日(71-72ページ)、「デビッド・モルコとトレイシー・リール」対「世界基督教統一神霊協会ほか」裁判、サンフランシスコ市郡のカリフォルニア州上級裁判所、事件番号769-529。
table63第二の情報は統一教会員によって準備されたいくつかの統計からなっており、彼は1975年11月24日から1976年2月1日までの10週間の記録を調べた。これらは、その頃すでに週末のセミナーに参加し、7日間の修練会を開始していた170人のその後を調べたものである。その数字(下の表を参照)によると、その頃は平均して17人が2日間の修練会から7日間の修練会に参加している。もしわれわれが、(証拠が示唆するように)2倍から4倍の人が2日間の修練会参加すると仮定するなら、オークランドの「率」はギャランターや私自身の集めたデータと極めて類似しているだろう(p.146の表5で示されたように)。

 

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