アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳10


第一章 接近と情報収集(6)

アンケート

 もし研究者が、なんらかの科学的説明が基づかねばならない一般化をテストしたいと思うのであれば、質的・比較的な分析を受け得るデータを、ある程度獲得しなければならない。さまざまな理由により、その理由のいくつかはかなり明白だが、社会科学の扱うテーマは、自然科学のそれよりもはるかに調査の対象になりづらい。しかしこれは、われわれが社会的パターンや動向、傾向についての知識を向上させることができず、可変的なものの間の規則性(何が何に伴うのかということ)に関して、より信頼できる理解を得られないという意味ではない。全体としてグループを見ることによって、われわれは関係性のパターンを理解し始めることができるし、どの出来事が偶発的なのか、そしてたとえ驚くべきことであったとしても、どれが「通常」なのかを見抜くことが容易になってくるのである。

 1978年の始めまでに私は、もっと系統的にテストしたいと思っていた仮説のいくつかを策定した。私はまた、メンバーたちが通常はに部外者と討論しないような質問に対して、十分にかつ率直に答えることのできる自信を与えることができるほど、十分に内部の基礎知識を「誇示する」用語で書かれたアンケートを作成することができるくらいに、自分が運動の信条や実践を十分に熟知していたいと願っていた。

 辛抱強い私の学生たちを相手にいくつかの初稿の効果を試した後、私は一つの大きな統一教会センターに20枚のコピーを配って、曖昧なところがあれば指摘し、改善や追加の質問をしたほうが良ければどんなことでも提案してくれるようメンバーたちに依頼した。この試験的研究はいくつかの非常に有益なアイデアを生み出し、それはすべての英国人メンバーと、英語力が十分に高い水準にある英国在住の外国人メンバーたちに与えられた最終的な41ページのアンケートに組み込まれた。そのアンケートはまた、ニューヨーク州の統一神学校で学んでいるすべてのムーニーと、やや大雑把なやり方で、少数の他の米国人メンバーにも配られた。私はアンケートのいくつかを、センターを巡回している間に個人的に手渡した。残りは郵便で個人宛に送った。私は一人一人のムーニーに番号を付け、帰ってきたアンケートが誰のものかを示すのはこの番号だけであった。私はそれぞれの番号を名前に結び付ける鍵を入手できる唯一の人物である(そして、そうであり続けるつもりだ)。それぞれのアンケートには、私の大学の住所が押された封筒が添付された。  回答率は並外れて高かった。私は返事のなかった英国人メンバーに手紙を出し、それでもまだ返事のなかった人々には、解答した人々が解答しなかった人々と(性別や会員歴の長さのような要因において)異なっているかどうかをチェックするために基礎的な背景情報を尋ねる1ページのアンケートを送った。結果的には、私はどのような意義ある違いも見つけることはできなかった。その年(1978年)の終わりまでに、そしてもう一度催促をした後に、私は英国の運動に属していて英語を話す11名の献身的ムーニーを除いて、全員からなんらかの返答を受け取った。そして私は、この11人の大部分についてかなり多くの情報を収集することができた。無回答者のうち3人だけが、アンケートに答えることに対して基本的に反対していることを認めた。その他の人々が主張したのは、答える時間がなかったか、アンケートの原本をなくしてしまったかのどちらかだった。

 質問は、プリコード方式(選択回答方式)と「自由回答式」の二種類から成っていた。プリコード方式の質問に対しては、回答者は一連の可能な答えの中から最適なものに○を付けるだろうし、自由回答式の質問については、回答者が選択する任意の方法で答えることができた。これらの回答の多くは非常に詳しく、そのページの裏にまで続いていた。二人の研究助手は、情報をコンピュータに入力することができるよう回答を符号化した(注14)。

 私は統計的な理論や技術を持ち出して、この節を方法論の教科書にしようとしているのではない。しかし、本書の中にある発言の中には、ムーニーたちによって、メディアによって、反カルト主義者によって、そして実際に、何人かの学者たちによってなされたいくつかの主張に対して疑問を投げ掛けるものがあるので、彼らの結論に挑戦する上で(そして私自身の正当性の裏付けのために)私が極めて重要であると考える量的な方法論と原則について簡単に述べたいと思う。

 目に触れる機会が多いということを、数が多いことと人々が混同するというのは理解できる。あるラジオ・プログラムの最中に私は、英国にはおよそ500人のムーニーがいると述べたことがある。教会に激しく反対している一人の人物がBBCに電話をかけてきて、少なくともその数の二倍はいると言った。私は517人いるということはかなり確かだと思っていたが、その人数が何に基づいているのか彼に尋ねた。「そうですねえ、人々は不平を言い続けているし、とにかくどこに行っても彼らに会えるじゃないですか――どこかの大きなショッピング・センターでも歩いてみなさい。そうすれば、あなたは私が意味していることが分かるでしょう」。私の数字は間違っていたかもしれない。それは最新のムーニーの名簿に基づいていたが、既に示唆したように、私は前もって知らせないでセンターを訪問することにより、また両親や脱会者の報告を通して、そして実際に、反カルト運動自体によって提供された名前に照らし合わせて、これらのリストを頻繁に注意深くチェックしたのである。この比較的単純な点において、私の主張の根拠は彼のものとは比較にならないほど優れており、もし私が間違っているとしても、彼が間違っているほどには間違ってはいないことは確かだ、ということを信じるのに私は何の躊躇もなかった(そして彼は実際に、後の発表で何度か私の数字を使ったのである)。

 目に触れる機会が多いということと数が多いことが混同されるようになるもう一つのより複雑な状況は、ある特定の運動に関連して本当の話が繰り返し繰り返し語られており、これが問題になっている運動においては典型であり(すなわち運動内でそのようなことが起こる割合が高く)、そしてそれはより広範な人々にとっては非典型である(すなわち「通常の」社会においてそのようなことが起こる割合は非常に低いか、全く存在しない)と思い込まれている場合である。この議論が通常進んでいく次の段階は、高い割合で起こっている(と仮定されている)ということが、それに対する責任(主たる原因)はその運動にあることを「証明」しているとみなされる、ということである。その仮定は本当であるかもしれないし、そうではないかもしれないが、われわれは対照群を注意深く使うことをも含めて、系統立てた調査を通してのみ、それを見出すことができるのである。  研究者がしばしば直面しなければならない関連問題は、彼が研究している人々全員についての情報を常に得られるとは限らないということである。結果的に、彼はサブグループあるいはサンプルに働き掛けることを余儀なくされる。もし、サンプルから一般化したいのであれば、それがいかに正確にグループ全体を反映しているかを測定しようと試みなければならない。例えば、もし彼のサンプルの21パーセントがローマ・カトリックの背景から来ているのであれば、グループ全体の21パーセントがローマ・カトリックの背景から来ている可能性はどのくらいなのか? もしわれわれがグループ全体の各メンバーが平等に選ばれるチャンスのある、無作為に選ばれたサンプルをもっているのであれば、そして、もしそのサンプルが十分な大きさであるならば、そのとき、われわれは自分のサンプルが正確にグループ全体の性格を反映している可能性を正確に計算することができる。しかし、もしそのサンプルが無作為に選ばれたのでなければ、われわれが一般化しようとしている情報に関して、そのサンプルの代表性にバイアスをかけ得るような、選択に起因する要因が存在したかどうかを問わなければならない。大部分の人々は、離婚の兆候が必ずしも結婚制度を研究するうえで最も信頼的できる根拠にはならないということに同意するであろう。しかし、ムーニーについて一般化するために頻繁に用いられてきた一つのサンプルは、ディプログラムされ、その過程で、運動について彼らが今になって言うことの多くを「教え」られてきた人々で構成されているのである(第五章参照)。彼らの発言をどの程度一般化することができるかを評価する際には、このことと、彼らがディプログラム「され得る」人々であった(同様のプロセスを通過しつつも、他の人々は運動に戻ってきたのに対して)という事実の双方を考慮に入れなければならないのである。

(注14)各回答者のために6枚のカードが打印され、1枚につき80字分のスペースがあった。

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