アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳09


第一章 接近と情報収集(5)

 最後に、私が研究している人々が、私が彼らを研究しているがゆえに、私の存在によって影響され得るという事実についても述べるべきであろう(注11)。自然界の観察者は(彼がハイゼンベルグの不確定性原理が大きく作用する実験を行っているのでない限り)、実社会の研究者ほど、研究しているデータに影響を与えることはないだろう。私の研究が、起きていることをどの程度「邪魔した」かを正確に知るのは不可能である。ムーニーとその両親との間を仲裁する機会が何度かあり、私はしばしば、メンバーが親族と連絡を取るように、運動の指導者が取り払うよう説得しようと試みた。このような仲裁や、両親やメディア、反カルト運動のメンバー、そして宗教団体やその他の多様な団体の職員に情報提供することを、私は、やっていることが状況に作用し得るということを知りながら引き受けた。また私が意図せずに影響を与えた場面も数多くあった。二つの極端な例がそれを示している。

 最初の出来事は、参加者が講義をすることになっている21日間の講座に私が参加している間に起こった。私が割り当てられたテーマは「メシヤ降臨の目的」だった。私は、このような側面の研究はさほど楽しくなかったが、参与観察というものは参与することを含んでいるので、講義の途中に「『原理講論』は…ということを教えている」とか、「原理によれば…」というようなフレーズを注意深くまじえながら話をした。私が終えたとき、聴衆の一人が、自分は教義のまさにその部分について非常に当惑していたが、いまやそれを理解し、レバレンド・ムーンが本当にメシヤだということを完全に受け入れた、と宣言したのである。私は恐ろしくなった。「しかし、私はそう信じていない」「私はそれが真実だと考えてはいない」と、私は強調した。担当のムーニーが口を挟んで、「たぶんそのとおり(アイリーンは信じていない)かもしれないが、神がアイリーンを使ってローズマリーに真理を示したのだ」と言った。

 始めから私は、私が参加する用意のある活動から「伝道」(あるいは「真理を広めること」)を除外していた。私は即座に、これから参加するワークショップで講義をすることを拒否すると断言した。しかしながら、私は総合大学、単科大学、学校、教会ホール、そして多様な会議で、新宗教運動一般について、そして特に統一教会について多くの話をしてきた。そのような機会においては、私の聴衆はたいてい統一教会について、それが「悪いもの」であるということ以外ほとんど何も知らない人々で構成されていた。しかしながら、ときおり、一人のムーニー(たいていはカープ・メンバー)(注12)が立ち上がって自己紹介をした(それはときには私を当惑させ、ときにはその瞬間まで彼を「普通の」学生だと思っていた彼の学友たちを驚かせた)。私が研究している人々に対する私の影響の第二の例についての情報は、ある友人を通して私の所へ届いた。その友人が教えていた学生の一人は元ムーニーで、彼女は私が運動についての講義をしているのを聞いたことがあり、その結果、彼女が「中間位置」と呼ぶ立場を取ることが可能だということを初めて悟った、と彼に告げたのである。彼女は、統一教会で教えられたことや彼女に期待されたことのすべてを受け入れはしないという段階に到達していたけれども、同時に、もし脱会するのならそうする必要があると彼女が考えていたように、運動内で体験した良いことを否定する(これは一方ではムーニーの態度のゆえであり、他方は「部外者」の態度のゆえである)必要もないと感じていたのである。しかし、私が部外者の観点から、彼女が運動についてのかなり正確な報告だとみなした内容を話しているのを聞いたとき、彼女は絶対的な「イエスかノーか」の選択をする必要はなく、どっちつかずの気持ちのゆえに留まらなければならないと感じるよりは、むしろ去ることができるのだという結論を出したのである。

 もちろん、研究の効果の大部分は、誰かを運動に入会させるとか脱会させるかといったような劇的なものではなかったが、センターに私がいるということが何らかの違いを生み出さなかったというのは信じ難い。特に私の研究の初期の頃は、一兵卒のムーニーがファンドレイジングや新入会員を見つけるという特定の目的以外で、メンバーでない誰かに話しかけることはほとんどなかったのだから。私がインタビューを始めたとき、ムーニーのみならず誰にとっても答えるのが難しいと感じるような、厄介で綿密な質問をすることがどんな結果をもたらすかについて、私は確信がなかった。私のインタビューに答えた人は、それがしばしば相当に疲れるものだったにせよ、実際にその体験を楽しんだと私に告げた。彼らはその質問によって、以前にはほとんど考えたこともなかった事柄について考えさせられたと言った。しかし私が彼らの議論の中にある矛盾を指摘したとき、彼らは崩れ落ちることも、信仰に関して疑問を表明することもなさそうだった――その代わりに彼らは、その信条をもっと深く見つめて、解答を見いだすよう私が彼らに課題を提供し、その解答は彼らがそれについてただ研究したり考えたりするだけで発見できるに違いないと感じる、と言う傾向があった。私はまた、私がムーニーにとってある種の情報源になっていたということを発見し、既に述べたように、私は数人のムーニーがつまらないおしゃべりのために私に接触するのを発見した。この立場において私は「見知らぬ人」(注13)の役割を演じたが、既に示唆したように、それは私の研究にとって非常に有用であった。しかし、私に秘密を打ち明けて相談した人々の多くにとっては、「代わりの見知らぬ人」は存在しそうもないという限りにおいては、私はもう一度、自分が研究している状況に変化をもたらしたかもしれないということを認めなければならない――実のところ、いくつかの事例においては、私は自分がそうしたことを願っている。

(注11)アリソン・ルーリー『想像上の友人』ロンドン、ハインマン、1967年を、宗教セクトと宗教社会学者との関わり合いの面白い報告の一つとして参照のこと。
(注12)統一教会の学生部のメンバー:第二章参照。
(注13)カート・H・ウォルフ(編・訳)『ゲオルク・ジンメルの社会学』ニューヨーク、フリー・プレス、1950年、第5部、第3章を参照のこと。また、アイリーン・バーカー「プロのよそ者」あるいはドイツ語版「プロのよそ者」、「悪魔とスープをすする:科学者にはどのくらい長いスプーンが必要か?」、『社会学分析』第44巻3号、1983年を、参与観察者が自分の研究している運動と関わることの倫理的・方法論的意味についてのさらなる議論のために参照(後者の論文で、私が統一教会の会議に参加したことが議論されている)。

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