Web説教「信仰による家族愛の強化」01


 今回から「信仰による家族会の強化」と題するWeb説教を投稿します。この内容は、2017年11月5日に東京都内の教会に礼拝の説教者として招かれたときに語ったものですが、時局に関係なく普遍的な内容を扱った説教であり、私自身の信仰の表現としても記録に残しておきたい内容であるため、シリーズでアップさせていただきます。

家族とは何か?

 家族とはいったい何でしょうか? 普通、家族といえば親と子がいて、親が子供を愛し子供が親を慕うという「親子の愛」があり、もう一つの重要な構成要素として、夫と妻がお互いに愛し合う「夫婦の愛」があります。これら二つの愛によって強く結びついたときに、「家族の絆」というものが生まれてきます。これが家族の基本ではないかと思います。このほかにも、兄弟愛や祖父母の愛などもありますが、やはりこの二つが家族を構成する重要な要素なのではないかと思います。

 この「親子の愛」と「夫婦の愛」のどちらがより大事かと聞かれても、これは優劣をつけ難いわけでありまして、どちらも重要だということになるのですが、これを文化文明で比較してみますと、あくまで相対的にということなのでありますが、「親子の愛」の方はどちらかといえば東洋文明において強調されてきました。とくに日本においては、親子の愛情は非常に深いと言えるでしょう。それに対して「夫婦の愛」の方は、西洋文明、とくにキリスト教文明において強調され、大切にされてきたと、おおまかに見ることができるのではないかと思います。

 日本の文明におきましては、親が子供を愛するという世界において、相当に深く強いものがあったということを現代人に訴えている本があります。それは渡辺京二という人が書いた『逝きし世の面影』(平凡社、1998年)という本です。「逝きし世」というのは、すでに死んでしまった、なくなってしまった一つの「世(よ)」、文明という意味です。これは江戸時代の日本の古き良き文明のことを指しています。幕末から明治維新の時代に日本を訪れた外国人がたくさんいたのでありますが、彼らの見た古きよき日本の姿が、さまざまな文献に残されているのです。それをいまになって集めてきて、当時の日本の姿がどうであったのかということを外国人の目を通して再現したものです。

 それらの文献から分かることは、明治維新の前の「江戸文明」は、単に近代化される前の素朴で遅れた社会だったのではなく、世界的にも著しく文化の発達した国民が作り上げた希有な文明と呼ぶべきものであったということなのです。特に、日本に長期間滞在して人々の暮らしを観察した西洋人たちは、日本人が非常に陽気で幸せそうに生活していることに強い印象を受け、とりわけ当時の日本人の親子の情愛の深さには、逆に羨ましがるほどの感動を覚えたというのです。その当時、日本は「子供の楽園」と呼ばれていたのです。

逝きし世の面影

 ラザフォード・オールコックという人がいます。イギリスの初代駐日総領事を務めた人でありますが、日本は「子どもの楽園」であるという言葉を最初に言ったのがオールコック氏であり、その後しばしば引用されるようになりました。

 イザベラ・バードという人は、非常に有名なイギリスの女性旅行家で、当時の朝鮮を旅行して「朝鮮紀行」を書いていますが、日本各地も旅しており「日本奥地紀行」という本も書いています。彼女は日本について、以下のような言葉を残しています。
「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子供を抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子どもに誇りをもっている。」
「日本人の子どもへの愛はほとんど『子ども崇拝』の域に達している」

 エドワード・モースというアメリカの動物学者は次のように言っています。
「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世の中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」
「世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬することにおいて、日本の子どもにかなうものはない。」

 ウィリアム・グリフィスというアメリカ人の教師は次のように述べています。
「日本人が非常に愛情の深い父であり母であり、また非常におとなしくて無邪気な子供を持っていることに、他の何よりも大いに尊敬したくなってくる。」

 このような日本の親子関係に対する賛辞があふれているのです。彼らは開発途上国の人間だったのではなく、当時最高の先進国の知識人だったのです。その彼らが驚き、うらやましがるほどに、日本人の親子は愛情に満ちていたというのです。これは単に西洋と東洋の違いということにとどまりません。なぜなら、彼らは中国やタイなどの東洋の他の国も見てきたのですが、とりわけ日本の家族のすばらしさに魅了されたというのです。

 当時の日本人が子供を愛する愛情というものは、西洋人から見れば「盲愛」に近いほどの、純粋でほとばしるような愛情だったという記述もあります。クリストファー・ホジソンは英国の領事をしていた人でした。彼は1859年から妻と二人の娘を伴って長崎と函館で領事を務めました。娘の名前はエヴァとサラといいました。この人が雇った「子守のおばさん」に関するエピソードが残っています。

 函館ではエヴァとサラの世話のために子守の「おばさん」を雇いました。ところが、この子供たちがちょっといたずらで、エヴァが喫煙してしまったのです。それをホジソン氏が叱ろうとすると、その子守の「おばさん」が「吸っていたのは自分だ」と言って一生懸命に子どもをかばったというのです。別の日に「おばさん」はエヴァから池に突き落とされてしまうのですが、彼女は「落ちたのは自分の過ちで、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と詫びたというのです。なぜこれほどまでに子守の「おばさん」が子供たちをかばったのかというと、自分がかばわなければ、エヴァとサラは両親から厳しい罰を受けることを彼女は知っていたので、それが可哀想でならなくて、必死で守ろうとしたというのです。すなわち、自分のことは顧みず、ただ衝動的に子どもたちを守ろうとする、ほとばしるような愛情がそこにはあったというのです。

 このような愛情は、西洋の合理的な考え方からすれば、子供を甘やかす途方もない盲愛に映るかもしれませんし、実際にホジソン氏はそう思ったのです。しかし、それにもかかわらず、ホジソン氏はこの子守の「おばさん」のほとばしるような情愛に感動したという記録が残っているのです。このようなストーリーを通して、渡辺京二氏は次のように主張しています。
「かつての日本人は、ことの是非は措くとして、このように純粋で濁りのない愛情をことに触れてほとばしらせることのできる人びとだった。」
「このいとしがり可愛がるというのはひとつの能力である。しかしそれは個人の能力ではなく、いまは消え去ったひとつの文明が培った万人の能力であった。」

 昔の日本人というのは、このように大変情の深い民族であったということが分かります。
(次回に続く)

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