『生書』を読む30


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第30回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。このころの大神様と同志たちの関係は、家族的で美しいものであった。しかし大神様と同志たち、さらには同志たちの間の結束が強まっていく一方で、教団と世間一般との間には軋轢が生じることもあった。その原因は、同志たちが大神様と同じように人々の悪口をその面前で言ったり、世間の悪を痛烈に批判したりしたことにある。

 こうした世間との軋轢は、初期の天照皇大神宮教においてはまったく問題にされなかった。初期の新宗教運動や根本主義的なキリスト教においては、この世から憎まれることこそが自分たちが神から選ばれ、愛されている証拠であるという発想がある。迫害が逆に信徒たちの「選民意識」を高めるという精神構造があるのである。これはこの世で尊ばれている地位、名誉、財産などの一切を否定し、ただ神のみを求めるという姿勢だが、それは天照皇大神宮教においては「裸一貫」という言葉で表現されている。「裸一貫」の辞書的な意味は、「自分のからだ以外、資本となるものを何も持たないこと」だが、天照皇大神宮教においてはそれに宗教的な意味が付与されている。

 この言葉は、当時同志の一人に神の口がついた(啓示が下りた)のを、そのまま書き留めた記録の中で表現されている。そのメッセージを下した神が猿田彦命(さるたひこのみこと)という神道の神であることと、「そもそも大和の国は神の国なり」(p.197)という愛国的なトーンで始まっていることは興味深い。『生書』には大神様が直接受けた啓示だけでなく、同志たちが受けた啓示も記載されているのだが、この啓示にはその特定の同志の宗教的背景が反映されていると見ることができるだろう。しかし、「裸一貫」に関する記述はむしろシンプルで普遍的なものである。
「神国のためなら何にもいらない裸一貫・・・神国の弥栄(いやさか)はかくの如く喜びあるものを、何故に身に衣まといしぞ。裸一貫、神国のためじゃ」(p.198)

 ここで身に衣をまとわないことや裸であることは、文字通りの意味ではなく、物質的な財産やそれに対する欲望の否定を象徴的に表しているととらえるべきであろう。これは一つの普遍的な宗教的価値観である。

 古来より宗教は、不幸や苦しみは過度の欲望もしくは利己的な欲望によって引きおこされると教えてきた。そして、富と所有物に対する執着は霊的成長を阻む足枷であるとみなし、救済を得るためには富と所有物を放棄しなければならないと教えてきた。仏教の十戒は、基本的に人間の欲望を否定し制限するものだが、10番目の「不蓄金銀宝」はお金や財産にかかわる欲望の否定である。仏教のみならず、伝統宗教の聖句の中には、金銭や財産に対する欲望が不幸の原因であり、それに対する執着を否定することが悟りや救いに対する道であることを説いたものが多数ある。ここではキリスト教の聖書から代表的なものを紹介しよう。
「金銭を愛することは、すべての悪の根である。」(テモテへの第一の手紙 6.10)
「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ 6.20)
「あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。(マタイ 19.21-24)
「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」(マタイ 6.24)
「次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、『もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう』。するとイエスは彼に言われた、『サタンよ、退け。「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と書いてある』。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」(マタイ 4:8-11)
「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」(マタイ 6.19-21)

 この伝統を受け継ぎ、キリスト教において「聖者」とみなされる人々は、イエスと同じ道を歩もうとした。フランシスコ会の創設者として知られるアッシジのフランチェスコは、自らは裕福な家に生れながらも、それらをすべて捨ててキリストに倣い、「清貧」をモットーとする修道会を創設した。彼の創設した托鉢修道会は私有財産を認めておらず、修道士が托鉢を行い、善意の施しによって生活をするもので、修道士たちは衣服以外には一切の財産をもたなかった。

 マザー・テレサはコルカタで「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことを目的とした「神の愛の宣教者会」を設立した。そこで働くシスターたちも、私有財産を持たない清貧の生活を守っている。

 キリスト教社会運動家として有名な賀川豊彦は、自らは裕福な家庭に生れながらも、キリスト教に入信したことをきっかけに、神戸の貧民街に移り住み、救済活動と宣教に努めた。彼はボランティア組織「救霊団」を結成して活動するとともに、キリスト教を説き、精魂を尽くしたことにより、「スラム街の聖者」と呼ばれるようになった。

 物質的な財産を否定する思想は、日本の新宗教にも発見することができる。その一つに、「貧に落ち切れ」という天理教の教えがある。神のやしろとなった教祖・中山みきがまず進めたことは、「貧に落ち切る」ことであった。彼女はもともと困っている人、悲しんでいる人を見ると救いの手を差し伸べるような強い母性を持っていたが、そこに親神様が入り込まれ、貧に落ち切るよう求められると、いっそう激しさを増し、中山家の財産をそれらの人びとに惜しげもなく与えたのである。中山みきは、屋敷母屋の瓦や高塀を取り壊し、中山家が誇りにしていた格式を捨てるよう(親神様から)求められていた。夫、善兵衛はついて行けず、押しとどめようとしたが、神意には逆らえず、中山家は没落の一途を辿った。人が物をもつとそれに拘り、心の自由が制限される。よってそれを撤廃するためには「物を一度手放してしまう必要」を教祖自らが示したと言われている。これも「裸一貫」の精神に通じると言えるだろう。

 統一教会の信者たちも、伝統的に贅沢を避け、私有財産やプライバシーのほとんどない共同体の信仰生活を実践してきた。そこには物質的な豊かさはなかったが、神を中心とする共同体としての心の豊かさがあり、そうした内面の喜びを求める人々が教会に集ってきたのである。初期の統一教会に特徴的に見られた「献身」の精神は、自身の地位、名誉、財産のみならず、自分自身をさえ神のみ旨のために捧げてしまうという意味であり、それは天照皇大神宮教の「裸一貫神国のために働きます」(p.199)という精神とまったく同じものであったと言える。

 同志たちと世間の人々との溝が深まり、軋轢が生じるようになると、田布施周辺では周囲の迫害を恐れて参って来る者の数が減少したこともあった。しかし一方でうわさを聞いて遠方から参って来る者が増え、昭和20年も終わりに近づくと、道場は毎日満員の盛況となったという。こうした中で大神様は午前、午後、夜とほとんど休む間もなく説法を続けられた。

 この頃の大神様がやっていたことは、狐や生霊が憑いている人からそれらを落としてやり、その結果として病気を治してやるというものであった。こうした活動をしても、大神様は一切謝礼を受け取らなかった。それは肚の神様が「蛆の世界じゃあ、金や品物を稼ぐために祈祷しよるが、金や品物を取る者には法力は与えない。」(p.202)と言われたからである。大神様が立てたこの伝統は、組織としての天照皇大神宮教に受け継がれている。その最大の特徴は、職業的宗教家の禁止であろう。宗教を生業(なりわい)とすることは、天照皇大神宮教の教義に反するのである。それは、魂が救われるかどうかはお金の問題ではなく、純粋に魂の問題であるという信念に基づく。ただで教えを受け、ただで伝道するのが天照皇大神宮教の基本である。よって月々の会費や年会費などのいわゆる宗費を取ることは禁じられている。同志が様々な会合・行事・活動に参加するときは、自弁自費が原則である。講話や説法に対する謝礼を受け取ることもなく、伝道に出かけるための交通費が教団から支給されることもないという。

 ここまでの記述は、すべて昭和20年の出来事である。以上で「第七章 道場の発足」の部分は終わる。次回から「第八章 開元」に入る。

カテゴリー: 生書 パーマリンク